第六話 その背中は凛々しく見えました。
爽やかな朝、訓練場へ向かうと緊急の命令が伝えられた。
「は? 家畜が逃げた? 何でそんなことでうちの騎士隊が呼ばれるの?」
「俺たちは便利屋みたいなもんだからな。ユリノは王宮に残るんだろ?」
平時の第三騎士隊が便利屋のように使われているのは知っていたけれど、災害対処や魔物退治と聞いていた。まさか逃げた家畜を捕まえる程度で呼び出されるなんて理解不能。
「私も騎士なんだからいくわよ。役には立つでしょ」
ただでさえ夜勤を免除されたり優遇されてるのに、これ以上の特別待遇はして欲しくない。王宮外に出て、馬のエルドに乗って走りたいという不純な動機もちょっとあるのは秘密。
私が外に出ることに隊長は難色を示したものの、副隊長が護衛するということで話が付いた。
「護衛なんて……騎士なのに」
口を尖らせると、副隊長が笑う。
「いいじゃないか。外に出たかったんだろ?」
「……はい」
流石、副隊長。豪快で大雑把な性格に見えても、騎士隊の一人一人をよく観察していると思う。
馬を全速力で走らせて、体感で一時間弱で到着した。この世界の馬はものすごく速いから、かなりの距離。
現場は小さな村の大きな牧場。村人のほぼ全員が働いているということで、家畜が逃げたのは死活問題だと顔色が悪い。村長によると、子供のいたずらで柵の扉が開け放してあったらしい。
「奥にある森に逃げ込んだらしい。三方が岩場なので、逃げ場所はない」
絵の上手い騎士が地面に棒で絵を描いて説明する。これなら皆で追い詰めれば簡単につかまるだろう。
騎士たちが、一斉に上着を脱ぎ始めた。数名の騎士が上着と剣を預かっていく。
「何で上着脱ぐの?」
「ん? 知らないのか? ガートゥは光る物に反応して狂暴になるから、捕まえる時は外すんだよ。ユリノの上着の金ボタンとか装飾なんて、すげーヤバイぞ」
ガートゥというのが家畜の名前らしい。王宮の晩餐会でステーキ風に焼かれて出されたのを思い出した。滅茶苦茶硬い肉で途中で断念した覚えがある。
「ユリノの上着も預かってくれるぞ」
「そ、そう言われても……」
マズイ。今朝はシャツに珈琲を零して、替えを出してもらうのが面倒で脱いできた。騎士服の下はキャミソールとブラだけ。野郎だらけの中でその格好は、嫌すぎる。
「な、何とかなるわよ」
巫女の力があれば何とかなる。きっと。たぶん。
「おう、それならいいけどな」
剣だけを他の騎士に預けた私は、少々の不安を抱きつつも気合いを入れた。
うっそうと茂る森に五頭のガートゥ、三羽の鶏が逃げ込んだと村長が言う。数が多いのかと思ったのに、全然そんなことはない。唯一の出口に延々と網を張り、数名の騎士が追い立てる役目で森の中に入っていく。
「いたぞ!」
騎士の叫びが上がった方向を見ると、茂みの中から灰色の巨体が飛び出して細い木をなぎ倒しながら縦横無尽に駆け抜けていく。
その姿は特大の牙を生やした、ワンボックスカーサイズの超巨大な灰色のイノシシ。網に掛かる前に急停止して、また森の中へと戻ってしまった。
「は?」
ちょっと待ってほしい。家畜だと聞いていた。
「何よ、あれ! 黒くないだけで魔物と変わらないじゃない!」
「ああ。だから俺たちが呼ばれてるんだよ」
たった五頭が逃げただけなのに、何故第三騎士隊が呼ばれたのか理解した。
「よ、よく、あんなの飼ってるわね……」
「普段は穏やかな性格らしい。そろそろ出荷されると気が付いたんじゃないか?」
この世界では、家畜を極限まで大きく育ててから捌いて食べる。だから肉も硬いのかもしれない。
「で、あれは?」
「鶏。ユリノの世界にはいないのか?」
「いるけど、あんなに巨大じゃないわよ!」
茶色と白のまだら模様の鶏。トサカは真っ赤。そこまでは普通だと思う。異常なのはその体格。元の世界で最大の鶏と言われていたブラマを倍に大きくした感じで、隊員の背と比べると二メートルはある。
「普通の卵が大きいのって、こういう理由だったのね」
Lサイズの卵の二倍から三倍の大きさがこの世界の標準。王子が作る目玉焼きはLサイズくらいだから、卵も特別に取り寄せているのかもしれない。元の世界の食事に近い料理を作ることは、とても大変なことだと今更ながらに気が付いて、女装した王子の笑顔が心に浮かぶ。
私の為に頑張らなくてもいいのに。ほんのりと温かくなった心の中でそっと呟く。
「ユリノは鶏を頼む!」
「了解っ!」
思考に沈みかけた私は、仲間の声で浮上した。一人の騎士が餌を地面に撒いて鶏の注意を引き、他の騎士が後ろから頭に布袋を掛ける作戦。そうは言っても背の高さはダチョウより高い。
「ユリノ、いけるか?」
「大丈夫、任せて!」
鶏の後方から、ふわりと跳躍して餌をついばみ首を上げた所に袋をかぶせる。巫女の力では浮遊することはできなくても、遠くまで音を立てずに跳ぶことはできる。
袋を被せた鶏は動きを止め、他の騎士たちが捕まえて脚を縄で縛っていく。
「楽勝っ!」
「おー、ユリノ、お疲れー!」
三羽の鶏は、皆の協力で捕獲できた。私の上着を汚したくないと言って、騎士仲間が鶏を運んでいく。
「汚れても別にいいのに……」
そうは言っても、洗濯するのは王宮の使用人の人達。騎士服の上着は厳重管理がされているから、自分で洗うことはできない。王宮暮らしは便利なようで、不便というか申し訳ないというか、不自由な感じ。
「ユリノ! 後ろっ!」
騎士仲間の叫びに振り向くと、灰色の巨体が目の前に迫っていた。
ぶつかる! 瞬間的に覚悟した時、巨体が緑色の光球で吹き飛んだ。
「え?」
光球が飛んできた方を見ると、シャツにズボン、ブーツ姿のヴィンセント王子が駆けてきた。今のは恐らく王子の魔法攻撃。
「ユリノ、怪我は?」
「あ、はい。ありません。ありがとうございます」
「その服では危ない。これを」
そう言って王子はシャツを脱ぎ、私に手渡した。王子は着やせするタイプなのかもしれない。筋肉質な上半身に内心動揺する。
ガートゥは私の騎士服の飾りに反応して襲ってきたと理解すれば、迷う暇はない。上着の上からシャツを羽織ると、王子の方が体が大きいことに気が付いて鼓動が跳ね上がった。
光球を受けて倒れていたガートゥが頭を振りながら起き上がった。猛牛かと思うような鼻息も荒く、蹄は地面を削り取っている。ぎらぎらと光る視線は、王子へと真っすぐ向かう。
太陽の光を受け、王子の金髪はきらきらと輝きを増している。
「……王子、貴方の金髪に反応してませんか?」
「……そのようだな」
ガートゥが隣にいる王子めがけて突進してきた。灰色のワンボックスカーが猛スピードで走ってくるようで本当に怖い。
「ユリノ、下がっていろ!」
王子が勢いよく飛び出して、ガートゥの顎下から拳を入れた。巨体がのけぞるようにして浮き上がり、露出した腹に王子の蹴りが入れられる。
巨体が吹き飛び、木にぶつかったガートゥは口から泡を吹き、地響きを起こしつつ倒れた。
「マジかよ……」
その呟きは騎士たちから。カッコイイと素直に思う。
森の中から、追われたガートゥが現れた。
「よっしゃあぁあああ! 俺も本気出す!」
叫びと同時にびりりと音がして、シャツを破き上半身裸になった副隊長がガートゥに走り寄り、殴り付けた。よろめいた巨体を王子が蹴り飛ばす。
半裸の王子と副隊長のコンビネーションは息が合い過ぎている。
「まーた筋肉自慢かよ……」
「あー、あれはしばらく止まらんぞー」
「副隊長、そういうキャラだったんだ……」
四頭のガートゥが次々と二人に倒されていく。私たちは気絶した巨体を縛り上げ、村人が用意した大きな荷馬車に乗せるだけ。
「あと一頭か。追い立ての手伝いに……」
騎士の呟きは途中で途切れた。茂みから顔を見せた巨大なガートゥは額に大きな傷があり、凶悪そのものの目つきでこちらへと音を立てて歩いてくる。
巨大で恐ろしい魔物のような姿を見ても、王子と副隊長の背中は怯まない。副隊長の姿が勇者ラーシュに重なって、胸がきゅっと痛くなる。魔王討伐の旅の間、魔物が現れる度にラーシュは私を背にして護ってくれた。
「行くぜ!」
副隊長が走り出し、ガートゥの額の傷を狙って殴りつける。強烈な一撃はガートゥの頭を沈め、その巨体が大きな音を立てて前のめりに倒れた。
「やった!」
見守っていた騎士たちが歓声に沸いた途端に、ガートゥは跳ね上がるようにして起き上がり、その鋭い牙で副隊長の腹部を狙う。
「あ……!」
私が危ないと叫ぶ前に副隊長の前へ飛び込んで、鋭い牙を手で止めたのは王子だった。王子の体が緑色の光に包まれ、気合の掛け声と共にガートゥの首を捻じ曲げる。
地響きを立てて倒れたガートゥは、今度はぴくりとも動かない。奇妙な静寂の中、王子が立ち上がった。その背中が凛々しくて頼もしい。
「無事か?」
「はい。ありがとうございます」
助けられた副隊長と助けた王子が、がっちりと手を握る。ラーシュと王子が手を握っているような錯覚に戸惑うことしかできない。
副隊長は私に背を向けたまま。振り返った王子の視線が私へと向けられて、笑顔に変わる。
「ユリノ、怪我はないか?」
「……」
王子の優しい声で、胸の痛みがすっと薄れていく。何故という驚きで咄嗟に声が出せなくて頷くだけ。
すぐ側にいるのに、王子は私に近づいてこない。女装の時なら隙あらば抱き着いてくるのに。人目が多すぎるからかと、理由を付けて納得する。
代わりに副隊長が近づいてきた。
「ユリノ、王子と一緒に王宮に帰っていいぞ」
「いえ。任務を遂行します。完了まで帰れません」
これ以上の特別扱いは受けたくない。最後の一頭を村に運び入れるまで、騎士の仕事を成し遂げたい。
「シャツを貸して下さって、ありがとうございました」
脱いだシャツを軽く畳んで王子に差し出す。本当は洗って返したい。でも上半身裸のまま王子を帰すことはできない。
「間に合ってよかった」
笑顔の王子がシャツを羽織る。たったそれだけの仕草が格好良くて、どきどきする。
「それでは、後は頼む」
王子は白馬に乗って、颯爽と走り去って行った。
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