第四話 傷物になんかしてません。

 翌朝、王子は姿を見せなかった。テーブルの上には温かい朝食が置かれている。


「見ちゃったから、顔合わせるの恥ずかしいのかなー」

 ここしばらく毎日ベッドでの攻防が続いていたから、いきなりなくなると何故か寂しいと感じてしまう。スカートが風でめくれた光景を見られたのが恥ずかしいというのはよくわかるけど、男性でも同じように思うのは意外。


 美味しい朝食を食べて気を取り直した私は、騎士の訓練へと向かった。


     ◆


「おい、ユリノ。お前、王子を傷物にしたって?」

 騎士仲間の真剣な表情に、私は驚愕するしかなかった。

「は? 何にもしてないわよ」

 私はスカートがめくれたのを目撃しただけ。あれで男が傷物になるわけがない。


「っていうか、王子がそう言ってるの?」

「いや。従僕や下働きの間で出始めた噂だから、誰かが見てたんだろ」

「えー、覗き趣味の人がいるってこと?」

 それは嫌すぎる。常に誰かの目を気にしなければならないのか。


「王子の動向なんて、平民の俺たちにとっては娯楽でしかないからな。王宮庭園であれやこれやされたら、そりゃあ見ちまうのも仕方ねぇだろ」

 どういう理屈なのかさっぱりわからない。芸能人のゴシップ感覚なのだろうか。


「王子の人権はないの?」

「人としての権利? 意味わかんねーな。見られたくなけりゃあ、部屋に入ればすむ。外でってことは、誰に見られても構わないってことだろ? ある意味、健全な関係っつーことだ」

 どうやら人権という言葉は、この世界にはないらしい。


「それなのにお前が王子を傷物にしたっていうから、俺たち驚いたのなんのって!」

「見られて喜ぶ趣味があったのかと!」

 騎士仲間がげらげらと笑う。


「冤罪よ! 私は何もしてないんだから!」

 叫んだ後で、ちくりと心が痛むけど気にしたら負け。王子のスカートがめくれたのを目撃したなんて、口が裂けてもこいつらには言えない。もしも知られたら、一生笑いのネタにされるに違いない。


「何だ、つまんねーな。お前が王子を押し倒して無理矢理……とか、想像して楽しんでたのに」

「ちょ。失礼極まりない最低の所業よね。それって。暇なの?」

 この世界にセクハラなんていう概念はないし、説明しても無駄なのはわかっている。よく考えれば毎朝ベッドに潜り込んでくる王子が一番酷い。


「いやー。お前のお陰で平和になったから、俺たち暇でなー」 

 第三騎士隊は、王子と一緒に国内の魔物退治に駆り出されていた。


 貴族の長男で構成される第一騎士隊は王族を護り、貴族の次男以降で構成される第二騎士隊は兵士を率いて王宮を護る。第四騎士隊は強い魔力を持つ魔法騎士で構成されるけれど、近年は誰もいない。第五騎士隊は辺境警備と、役割は決まっている。


 ほぼ平民で構成される第三騎士隊は、便利屋のように国中のあちこちに呼び出されて災害対処や魔物との実戦に放り込まれる。戦争になった時は徴兵された平民を率いるから人数も多い。


「魔物退治っていうと必ず死人がでたもんだが、王子の魔法が凄まじくて、今回は一人も死んでない」

「怪我も一瞬で治療されたしな」


「もしかして、魔王討伐に出た魔術師テオドルより凄いの?」

「ああ。知らなかったのか? ヴィンセント王子は王族でなかったら未来の魔術師長だったって、今の魔術師長がいつも嘆いてる」


「そうなんだ……」

 テオドルの魔法も凄い威力だった。独自開発した護符を使い、杖で戦うこともできる人。魔王討伐の旅から帰ってきてからは、死ぬほど本が読みたいという願いを叶えられて王宮の図書館に籠っている。


 神官モルバリは戦闘力はさほどなく、強力な結界と浄化、そして野外料理が得意な人だった。モルバリがいなければ、私たちはろくな食事がとれなかったと思う。今は神官長候補として、神殿で務めを続けている真面目な人。


 戦闘能力の高い勇者ラーシュと魔術師テオドル、神官モルバリの三人は、互いの不足している能力を補い合う相性のいい集団パーティだった。だから何のとりえもない私は足手まといにならないよう、自分なりに必死になって頑張った。


 スマホもレンジも冷蔵庫も洗濯機もない世界で、自分のことを自分の手でこなすことの大変さを私は学んだ。あの旅での経験は、きっと元の世界に戻っても忘れることなく、私の人生を支えるものになると信じている。


「いやー、だから王子のドレス姿見て驚愕したって訳よ。魔物と戦ってる時の凛々しさはどこいったのかと目を疑ったよな」

「結構美人だよな」

 騎士仲間の表情がにやにやと怪しくなってきた。これは壮絶なセクハラ話になる予感。


「ちょっと、変態な妄想話はやめてよね。隊長に直訴するわよ」

 他人に言いつけるなんて卑怯かもしれないけど、この手の話題は嫌いだから仕方ない。いつも温和な騎士隊長が怒ると本当に悪鬼のようになるから、全員が恐れている。


「ユリノ、それだけは勘弁してくれ」

「すまんかった」

 口々に隊員が謝って、話題は別の話へと移っていく。

 

「あ。ユリノ、俺、明日休みで町にでるから、菓子買ってきてやるぞ」

「ありがとー! お金払うから買ってきて!」

「金はいらん。国を救った英雄に金請求するとか、どんな恩知らずかと思われるだろ?」

 いつもお金を払うと言っているのに、騎士仲間は誰も受け取ろうとしない。


「えー、でも、何かいつも悪いなーって」

「気にすんな。本来なら、毎日買ってきてもいいくらいだ」

「あー、そうだよなー。それくらいしてもいいよな」

「毎日食べてたら太るからいいわよ。たまに食べるから貴重でありがたいんだから」

 庶民のお菓子は砂糖と油が大量に使われていて、見た目が違っても同じ味しかしない。毎日食べるには厳しすぎるし、カロリーがとても気になる。


 昨日、王子からもらったクッキーは、程よい甘さで美味しかった。優しい味は、王子の優しさなのかもしれないと思いついて、どきりとする。


 一度に食べるのが惜しくて半分残しているから、部屋に帰って食べるのが楽しみ。


「そろそろ始める?」

「ああ、そうだな。久々に試合でもするか」

 談笑していた騎士たちが模擬剣を持って準備運動を始めると、唐突に地響きのような音が近づいてきた。


「何だ?」

 騎士たちが困惑の声を上げて警戒する中、大勢の女性たちが訓練場に押し寄せた。


「ヴィンセント様を傷物にしたユリノとかいう、異世界の女はどこ!?」

「すぐに連れてきなさい!」

 怒号は殺気だった女性たちから聞こえてくる。見える範囲だけでも豪華なドレスで着飾った女性が百名以上いる。


「あ、あいつです!」

 訓練場にいた騎士たちが一斉に私を指さした。

「うわ、売られた!」


 逃げようとするも、あっと言う間に囲まれた。いくらなんでも女に剣は向けられない。殺気だった女性たちの空気は恐ろしい。


 私が剣を抜こうとしないことに気が付いたのか、徐々に包囲の輪が狭まっていく。


「お、落ち着いて! 誤解よ! 完全な誤解よ!」

 私の叫びは、女性たちの感情を逆なでしてしまったらしい。全員の目尻がつり上がった。先頭に立っているのは、公爵家や伯爵家の令嬢たちで、一際きらびやかなドレス姿。豪華なドレスのきらめきがマジで怖い。


「私たちのヴィンセント様を傷物にした上に、責任を取らないと言ってるらしいわね!」

「傷物になんかしてません!」


 一人の女性が、私の腕を掴んだ。それを合図にするように、押し寄せる女性たちが私の服や髪を引っ張る。


「落ち着いて!」

 同じ女とはいえ、私は騎士だから女に剣は向けられない。私の拳に付与された力は男にも劣らないから、下手に抵抗すれば殴り倒してしまう。


 顔を庇い剣を押えながら伸びてくる腕を払い、逃げ道を探す。人の壁はどこまでも厚い。鋭い爪で引っかかれ、ぶちりと音を立てて騎士服のボタンが引きちぎられる。


「怪我をしたくなければ、どけ!」

 王子の叫び声が響き渡り、人の壁が割れて白馬が飛び込んできた。


「ユリノ!」

 藍色のドレス姿の王子が手を差し伸べる。迷う暇はなかった。王子の手を掴むと同時に腕を引かれて、馬上の王子の前に横座りに乗せられる。


 助かった。騎士服のボタンや装飾が一部取れていて、ポニーテールも崩れてぼろぼろ。顔は護っていたのでかろうじて傷はないけど、手の甲と首にはひっかき傷ができている。あのままでは、どうなっていたのかと考えるだけでも怖い。


 王子からは怒りの感情が滲んでいる。私は怒鳴りつけようとする王子の口を手で押さえた。


「ダメです。騒ぎにしないで下さい」

 小声で告げると王子の青い瞳が困惑の色を浮かべた。


「私は大丈夫です。貴方が助けてくれたから」

 王子の怒りを鎮める為に、私は言葉を重ねる。一国の王子が、たかが一人の女の為に貴族女性たちを咎めて罰するなんてことはあってはならないと思う。


 女性たちの後ろにはそれぞれの家が付いている。国は王族だけで統治されているものではなく、貴族たちの協力があって成り立つ。そのことを忘れてはいけない。


「……わかった」

 小声で答えた王子が深く息を吸い込んで、口を開く。


「皆様! ごめんなさい! 私、ユリノのお嫁さんになるのが夢なの!」

 ドレス姿の王子の宣言に何人もの女性が倒れた。私も倒れそうだ。いくらなんでも、それは酷い。取り囲む女性たちに困惑が広がっていく。


「わかりました! それがヴィンセント様の夢でしたら、わたくしたち全力で応援致します!」

 そう叫んだのは巻かれた銀髪が美しいユーホルト公爵家の令嬢テューネ。緑の瞳を輝かせている。


 殺気だっていた空気が、何か違う熱い空気へと変化していく。女性たちが、口々に頑張ってくださいと王子に声を掛けて、訓練場から去って行った。


 これで騒ぎは治まった……のだろうか。さらにややこしい状況に追い込まれたような気がしてならない。


「助けて下さってありがとうございました。……王子。その手は?」

「何かしら?」

 うふふ。そんな微笑みにも、私は騙されない。大体、この騒ぎの原因は王子だ。さりげなく抱き寄せる手を払って、私は王子を馬上から蹴り落とした。

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