第十八話 これが私の選択です。

 何かが爆発するような音が遠くに聞こえた。目を開くと青く澄んだ空には、赤と緑の月。小さな白い太陽が輝いている。光の籠は消え去り、私はヴィンセントに抱きしめられたまま石塔の頂上にいた。


「……えっと。私たち、分解されて消えるんじゃなかったの?」

「……そうだな」


 顔を見合わせると、地上から困惑の声が聞こえてきた。元の世界に帰ったはずの巫女姫が戻ってきたのだから何が起きているのかわからないのだろう。


 儀式が失敗した。そんな言葉が聞こえてきて、徐々に大きさを増していく。

「え、ちょっと、マズイんじゃない?」

 巫女姫の召喚と帰還は、国を挙げての儀式のはず。多くの国民の目の前で失敗したとなれば、国王の威信を揺るがす。


「ああ。任せてくれないか」

 微笑んだヴィンセントが私を抱きしめていた腕を解き、隣にたって肩を抱く。すっと息を深く吸い込んだ。


「巫女姫ユリノは、第三王子ヴィンセントが呼び戻した! 私は、ユリノの嫁になりたいと思う!」


 ちょっと待ってほしい。ヴィンセントは何を堂々と宣言しているのか。思考が止まって体が固まる。地上のざわめきが一瞬で静まり返り、微妙な空気が人々の間を流れていく。何か盛大に誤解されているような気がしてならない。


「待って! 私、嫁はいらないから!」

 これは否定しておかなければ。事情を知らない人からみれば、女装したヴィンセントを侍らせ、絶世の美女に見えた〝塔の魔女〟に絡まれていた私は、そんな倒錯した趣味を持つ女。


 私の叫びの後、「王子、頑張れ!」という叫びがどこかから起きた。そこから、何故か王子を応援する声が広がっていく。


「あー。こーれーはー」

 いつか見た光景。人々の空気が完全に変わった。不審な顔をしていた人々が、笑顔で王子を応援している。


「ヴィンセント……酷い……」

 儀式の失敗とは思われなかったのはよかったけれど、私の名誉が傷ついた。

「後で埋め合わせをする」

 やけに爽やかな笑顔のヴィンセントを見ていたら、抗議する気力がなくなっていく。


「はー。まぁ、それは後で。……これ、どうやって降りるの?」

 木で出来た階段は石塔から離れ、遥か彼方の地面に崩れ落ちていた。綺麗に真下に落ちているからか、怪我人はいないようでほっとした。


「それは問題ない」

 輝くような笑顔のヴィンセントが私を軽々と横抱きにして、塔から跳躍する。

「ひょぇえええええ!」

 まったく色気の無い悲鳴を上げて、私はヴィンセントに抱き着くしかなかった。


      ◆


 晴れ渡る空の下、王宮庭園でヴィンセントと二人でお昼ご飯を食べていた。今日の公務は外国の大使と会談する一件のみ。それまでの自由を二人で楽しむ。


 ヴィンセントは今日も藍色のドレス姿。王宮の仕立て部屋は、何故かせっせとドレスを作り続けている。


「……結構大変でしょ? 料理人に任せたら?」

 特製のサンドイッチはカラフルで美味しい。手間が掛かっていると見ただけでわかる。


「ユリノの嫁になる為に、もっと料理の腕を磨きたいと思っている」

「だーかーらー。呪いも解けたし、何でまだ嫁になるっていうの?」


「多くの国民の前で宣言したのだから実行しなければ」

「意味わかんないー。あれ、絶対ワザと言ったでしょ?」

「ん? 何のことだ?」

 白々しい棒読みと、さわやかな笑顔で返されて確信する。あれは騒ぎを収めるためじゃなく、私を囲い込む為の策略だった。王子様は意外と腹黒なのかもしれない。

 

「と・に・か・く。私は嫁はいりません!」

 旦那様は欲しいと続けそうになって、誤魔化す為にサンドイッチを口に入れる。


「ごちそうさまでしたー! 美味しかったー!」

 食事を終え、片づけを終えて立ち上がった所で腕を引かれて膝の上に乗せられる。


「……ヴィンセント。その手は何?」 

「何か?」 

 これだけは笑顔で誤魔化されたりはしない。私を膝の上に乗せ、髪を一房すくい上げるヴィンセントの手をぺちりと払い落とし、追加攻撃を入れようとした時、赤い魔法陣が近くに描かれて周囲の音が消えた。これはきっと魔法による結界。


「何だ?」

 ヴィンセントが私に結界を張って背に庇う。赤い魔法陣の中央に闇色の影が現れて人の姿を形作る。


『よう。久しぶりー!』

 片手を上げて軽い挨拶をするのはヨアンだった。何故か黒いドレス姿。髪は長くても魔女だった頃とは違い、あきらかに女装。ヴィンセントと同じで、妙に似合ってはいる。


「は? 何でここにいるのよ。しかも女装? もう男に戻ったんでしょ?」

 魔王とは〝漆黒城〟に囚われているのではないのか。


『三百年以上、女だったからな。脚衣ズボンはアレが窮屈だ』

「成程。それはよくわかる」

 何故かヴィンセントが頷く。女装の男二人が頷き合う理由がよくわからない。


『魔王の仕事にも慣れて来たんでな。ユリノ、俺が嫁になってやるぞ』

 胸を張って宣言する姿は完全に俺様。でも女装。


『「魔王嫁」良い響きだろ?』

「は?」

「『王子嫁』の方が良い響きに決まっている」

 ヴィンセントが鋭い目でヨアンを睨みつけて言う。


『ほほう? やるか、ヴィンセント!』

「望む所だ! 決着をつけてやる!」

 唐突に二人が対峙した。その手には魔法光で出来た剣。


 女装の美形二人が戦う姿を、近くにあった石のベンチに座って見物する。最初の本気の戦いとは明らかに違っていて、止める必要は感じない。


 剣を斬り結び、ぎりぎりと歯噛みしながら力比べをしていても、真剣さよりも楽し気な雰囲気を感じる。


『くそっ! 生意気だぞ!』

「うるさい! とっとと帰れ!」

 怒鳴り合い、長い髪とドレスをひるがえしながら剣をぶつけ合う姿は、意外とカッコいい。


『ちっ。こうなったら、俺の奥義を見せてやる!』

「仕方ない。ならば私も見せよう」

 両者が同時に後ろに跳んで距離を取り、呪文の詠唱が始まった。


 流石に、これは止めた方がいいのかも。そう考えた時、ヨアンの背後に焦茶色の魔法陣が出現した。


『魔王陛下、こちらにいらっしゃいましたか』

『げっ!』

 焦茶色の魔法陣から現れたのは、これまた漆黒の服を着た美形。裾の長い詰襟の上着に黒いズボンと艶のある革靴。波打つ黒髪をあご下で切りそろえていて、有能な秘書風の雰囲気をびしばしと感じる。


『明日に備えての儀式がございますと説明したはずですが?』

 丁寧な男の声と黒い瞳は氷点下。

『それは夜からだろ? まだ時間が……!』

 目を細めた男がぱちりと指を鳴らすと、ヨアンの首に太い縄が巻き付いた。


『おい、お前! 俺は魔王だっていうのに、無礼だろ! 敬え!』

『魔王の務めを果たさない方を敬うことはできません!』

 男は縄を握りしめ、自らの魔法陣へとヨアンを引きずっていく。首は締まってはいないらしい。どことなく、散歩の途中で言うことを聞かない大型犬を連想してしまう。

 

 世界最強のヨアンの方が魔力があるはずなのに。そう思って気が付いた。力が強すぎて傷つけてしまうかもしれないから、下手に抵抗できないのかもしれない。やっぱりヨアンは優しい人だ。


「魔王のお仕事頑張ってねー!」

『くそー、また来るからなー!』

 じたばたと暴れながら、首に縄を掛けられたヨアンが叫ぶ。


「来る前に連絡してくれたら、お茶とお菓子用意しとくー!」

『約束だぞー!』

「約束ねー!」

 笑顔になったヨアンは、恭しく礼をした男と姿を消した。残されたのは、口を引き結んだヴィンセントと手を振る私。


「……約束などしなくてもいいだろう」

「だって魔王のお仕事って大変そうじゃない? 息抜きも必要だと思うの。……前の魔王もそういうのが出来なくて疲れちゃったんじゃないかな」

 黒い森に魔力を供給して魔物の面倒を見て、漆黒城で魔性の墓守。この世界の魔王という存在は、称号でイメージしていた華々しい職業ではなかった。


 私が倒した魔王は独りぼっちだと思っていたけれど、もしかしたら狂う前に周囲にいた魔性や魔物を逃がしていたのかもしれない。そんな気がする。


「んー。久々にお菓子作りたくなってきた!」

 騎士隊控室の簡易厨房なら使っていないと言っていたから、貸してもらえるかもしれない。


「ユリノ……まさか……あの男の為に?」

「違うの。両親が私に遺してくれた技術を忘れたくないなって思ったの。最初はヴィンセントに、いーっぱい味見してもらうわよ?」

 私が得意なのは菓子職人だった父母直伝の和菓子。この世界の人の味覚にあうかどうかはわからないから、改良が必要だと思う。


「そうか。それは楽しみだ」

 微笑むヴィンセントと並んで、王宮へ向かって歩き出す。 


「……ヴィンセント、私、ずっと騎士でいたい。テューネとか皆みたいに、綺麗なドレス着て、毎日大人しくなんてしてられそうにないの」

 儀式の日から五日。出戻ってしまった気まずさを抱えた私は、第三騎士隊に戻ってはいない。隊長はいつでも戻ってくればいいと、わざわざ言いに来てくれた。


「ならば、私の騎士になればいい」

「え?」


「私を護る騎士としてなら、一生でもかまわない。ただ……時々はドレスを着てくれないか?」

 男の顔をしたヴィンセントがそっと耳元で囁くとくすぐったい。


「そうね。時々なら」

 きらびやかなお姫様のようなドレスも嫌いじゃない。


「その時は、王子様に戻ってね」

「ああ。もちろん」

 綺麗なドレスを着た王子様が、騎士の格好をした私を優しく抱きしめる。熱くなる頬はきっと赤い。


 ヴィンセントがさっと周囲に防音結界を張り巡らせた。きらきらとした光の粒が舞って、幻想的な空気に包まれる。


「ユリノ、愛してる」

「私……」

 私も愛していると答えようとして、恥ずかしくて言い淀む。そんなに簡単に言える言葉じゃない。


「ユ、ユリノ?」

 答えない私にヴィンセントが動揺している。意地の悪い私は、ヨアンの笑顔を真似て唇を弧にしてみた。唇に人差し指を当てれば、少しはあの色気が出るだろうか。


「秘密」

 私の一言にヴィンセントが衝撃を受けた表情を浮かべ、結界が溶けていく。見開いた目にはうっすらと涙。引き結んだ口が可愛い。


「そんな顔しないで。私も……」

 慌てて告白しようとした私の囁きをかき消すように、王宮に時を告げる鐘が鳴り響いた。


「あ! ヴィンセント、大使との会談!」

「着替える時間が無い。このままいくか」


「そ、そのままっ!? 大使がびっくりするわよ!」

「時間に遅れる方が問題だろう!」

 

 女装の王子様と護衛の女騎士。二人で手を繋ぎ、約束の場所へ向かって走り出す。

 愛しているという言葉は、もう少し私の心が落ち着いてから。今は、ときめく心を大事にしたい。


 赤と緑の月が輝く青い空。

 この不思議な異世界で、私は騎士として生きていく。

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確かに私は、お嫁さんが欲しいと言いました。~女装の王子様はお断り!~ ヴィルヘルミナ @Wilhelmina

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