第十七話 強すぎる白い光は、白い闇。

 とうとう〝帰還の儀〟の日がやってきた。青空はどこまでも澄んでいて、赤と緑の月が輝く。小さな白い太陽が月に負けじと輝いている。


 与えられていた部屋を整えて、騎士服に着替える。剣は壁に掛けたまま。テーブルに置かれていた豪華な朝食には手を付けずに、騎士仲間に買ってきてもらったお菓子と花茶で食事を済ませた。


 いつも騎士たちが訓練に使う中央広場は国民に開放されて、多くの人々が儀式を見ようと集まっている。賑やか以上の騒音に苦笑するしかない。


 儀式が始まるまで待機する部屋には様々な花が大量に飾られていて、まるで花園にいるよう。慣れない場所は落ち着かない。立って窓の外を覗いては、椅子に座るを繰り返す。ざっと見ただけでも数万人。緊張で喉が渇いても、水を飲むのは我慢して舌を湿らせる程度に留める。


 挨拶に訪れたテューネが、ポケットから布に包まれた品を取り出した。

「ユリノ。どうかこちらをお持ちになって」

「何?」

 手渡されたのは、ずっしりと重いカードサイズの風景画。赤と緑の月が輝く美しい風景が描かれている。精緻な彫刻が施された金色の額縁が物凄く高そう。


「この角を押すと開きますのよ」

 彫刻で隠された突起を押すと風景画が浮き上がって開き、中から絵が現れた。


「……これ……」

 藍色の王子姿のヴィンセントの精密画。写真かと見紛うくらいに正確で、その凛々しい表情に、きゅっと胸が痛む。


「テューネ……私、こんなに高価な物はもらえない……」

 額縁は恐らく金で出来ている。彫刻の中に嵌め込まれた王子の瞳と同じ色の青い石は、きっと宝石。


「ユリノ、貴女は何も欲しいものをおっしゃらず、贈り物もすべて辞退してしまったでしょう? 王も貴族も、皆、とても困っておりましたの。国を救った巫女姫に、我々は何も返すことができないのかと」

 私が受け取った物といえば、騎士仲間や、侍女たちからもらった心尽くしの贈り物だけ。侍女さんたちから贈り物をもらえるなんて思っていなかったし、それだけで十分だと思った。


「だって……私には何も返す物がないもの」

 テューネに何かを贈りたいと思っても、公爵家の令嬢に下手な物は贈れない。電池の切れたスマホはただの鉄の板だし、ハンカチだってありふれたもの。騎士の給金は高額でも手をつけることなく全額置いてきた。


「わたくしたちは、十分な恩恵を頂きました。皆を助けると思って、受け取って頂きたいの」

 そう言われてしまえば、受け取るしかない。

「ありがとう」

 鞄に入れるか迷って、結局ポケットに入れた。


「それじゃあ、元気でね」

 最後は笑顔で。無理に笑顔を作った時、テューネが私に抱き着いてきた。

「テュ、テューネ?」

「ユリノ……帰らないで……」

 テューネの囁きが胸に痛い。


「ごめんなさい。私が生きる世界は、ここじゃないの」

 それは嘘。ヨアンを孤独な魔王にした上に、ヴィンセントすら信じられなくなって、自暴自棄になっているだけ。


「そうですわね。ごめんなさい。取り乱して」

「ううん。ちょっと嬉しかった。引き留めてくれてありがと」

 テューネの涙を私のハンカチで拭いて、私たちは泣きながら笑い合った。


      ◆


 青い空の下、広場の中央に設けられた〝帰還の塔〟は、一年を掛けて作られた高さ十数メートルの白い石塔。塔の周りには、木で作られた階段が螺旋を描いて頂上へと向かっている。


 王と挨拶を交わし、私は一人で階段を上る。数万の人々が口々にお礼を言いながら、手を振っている。目を凝らしても、その中にヴィンセントの姿はない。


 元の世界に帰る道の筈なのに、まるで処刑台に昇る気分で足が重い。


 もしかしたら本当に戻れないないのかもしれない。ヴィンセントの言葉のせいで、私の心は恐怖に満ちている。


 頂上は、四畳半くらいの平らな場所。複雑な魔法陣が描かれていて、指示された通りに中央に立つと王宮の鐘が鳴り響いた。


 時を告げる鐘ではなく、儀式や新年に鳴らされる本鐘。美しい音が幾重にも重なって、まるで音楽のよう。魔法陣が七色に輝き始め、光の帯が私を包みながら丸い籠を編み上げていく。


 現実とは思えない美しい光景が恐ろしい。本当に帰ることができるのか。それとも帰れないのか。青い空が籠で覆い尽くされようとした時、籠を突き破って藍色のドレス姿のヴィンセントが飛び込んで来た。


 金色の長い髪と、藍色のドレスの裾がふわりと舞う。緊張した表情のヴィンセントが立ち上がった。


「ヴィンセント!?」

 破られた穴は、すぐに光の帯が塞いでいく。私たちは完全に丸い光の籠の中に閉じ込められた。


「私も共に逝くことを許してくれ」

「顔も見たくないって言ったでしょ! 一緒に戻っても、絶対に世話なんてしないから!」

「すまない……」 

 ヴィンセントは目を逸らそうともしない。ただ、私をまっすぐに見つめている。


 魔法陣から噴き出した光の糸が足に巻き付いてきた。 

「え?」 

 それは不思議な感覚。足先から熱が奪われていく。


「何、これ?」

「……肉体を分解している。〝召喚の儀〟では神力の術を使って肉体の器を構築し、異世界から移転してきた精神を迎え入れる。……〝帰還の儀〟では魔法を使って肉体を分解し、精神を解放する」


「肉体を分解? まさかヴィンセントも分解されてしまうの?」

「ああ。一人の女性の人生の代償としては足りないが、私ができることは共に逝くことしかない。どうか許して欲しい」

 ヴィンセントが近づいてきた。


「……すまない。最期に私の本当の気持ちを聞いてくれ」

 最期と言われれば、嫌とは言えなくなった。その瞳を見つめるしかない。


「ユリノ、好きだ。召喚された直後から、君が懸命に努力する姿に惹かれた。それがたとえ他の男の為だったとしても、私には輝いて見えた」

 召喚された直後、私は馬に乗ることを習い、この国の常識や巫女の術を習い、ラーシュの足手まといにならないように、必死で頑張っていた。


「ずっと好きだった。ユリノが旅に出ている間も、想い続けていた。何度追いかけようと思ったかわからない」

 私は全然知らなかった。


「ユリノ、愛してる」

 その青い瞳は真剣で。その言葉が胸に染みていく。


「……嬉しいけど……王子様の姿で言ってくれたら、もっと嬉しかったかも」

 最期の愛の告白をドレス姿の王子様から受けるとは思わなかった。何かどうでもよくなって笑ってしまう。


「王子の姿では、ユリノのこの可愛い笑顔は見られない」

 ヴィンセントがそっと私の頬を撫でる。確かに私の緊張感が違う気がする。


「だから、ずっと女装してたの?」

「ああ。この姿なら、いつもこの笑顔を見ていられる」

 優しく微笑むヴィンセントが私を抱きしめる。


 光の糸は抱き合ったままの二人を一緒に包み込んでいく。

 そして私たちは、白い光の渦にのみ込まれた。


      ◆


 ヴィンセントの腕の中、私は召喚された日の光景を見ていた。


 人々が行き交う新宿駅の雑踏の中、何かが爆発して、私は爆風で吹き飛ばされた。幾人もの人間が、ガラスのショーウィンドウにぶつかって、割れたガラスが体を貫いて血が流れている。


 血だまりの中で倒れた人間の一人が私だった。絶対に助からない酷い怪我。

 何の爆発かはわからない。地面はクレーターのように抉れ、多くの人々が血を流して倒れていた。


 ……私は元の世界で死んでいる。ヴィンセントの言葉は嘘ではなかった。


      ◆


 強すぎる白い光は白い闇。体の先から細胞がばらばらになっていくのを感じる。細胞の中、繋がる螺旋が解けていく感覚。これが死ぬということなのか。


 私を抱きしめているはずのヴィンセントの姿は見えない。ただその腕の力強さだけを感じるだけ。


 これでおしまい。視線を下げた時、私の目には薔薇のペンダントだけが映った。風で煽られるように暴れている。それは苦しそうで辛そうで。


 これはたぶん、私の気持ち。本当の気持ちを言えないでいる私の心。

 散々拒否しておきながら、自分勝手だとわかっている。それでも、最期に言っておきたいと思った。


『私は……ヴィンセントが好き』


 本当の気持ちを口にした途端、握りしめたペンダントからヴィンセントの温かい緑の光とヨアンの優しい赤い闇、モルバリの柔らかな白い光とテオドルの薄藤の闇が溢れ出し、混ざり合って煌めく花を生み出していく。


 それは花咲く奇跡の魔法。

 舞い散る花は生への歓喜を歌い、死への鎮魂を歌う。生か死か。どちらかを選べと私に促す。


『どこの世界でもいい。私はヴィンセントと生きたい』

 迷うことなんてなかった。たとえ異世界の空の下でも、私はまだ生きていたい。ヴィンセントと一緒に。


 煌めく花々は混じり合い、金色になった光が白い闇を払い除けていく。

 暁の黄金の光が、私の視界を覆い尽くした。

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