第十六話 旅の仲間からの贈り物。
朝の光で目が覚めるとベッドには私だけ。寂しいと思ってしまう自分を心の中で叱りつける。
元の世界の私は死んでいる。……酷い嘘だと思った。ヴィンセントは私をこの世界に足止めしたいから、そう言ったのだと思う。
テーブルには豪華な食事が二人分。美味しそうだと思っても食欲はない。今、何かを口にしたら吐いてしまいそうなくらいに胃が痛い。
今日はヴィンセントと二人で過ごす予定だった。クローゼットを開けて騎士服を着ようとして、一度しか着ていないドレスに目が留まる。可愛らしいドレスは、元の世界で着る機会は絶対にない。
騎士になってから、初めて使用人を呼ぶ小さなベルを鳴らした。静かに入って来た侍女さんたちに、ドレスを着せてもらえないかとお願いすると、喜んで着せてくれた。
久しぶりに着るドレスは歩きにくくても、鏡に映る私は結構可愛い。侍女さんたちにお礼を言って、私は部屋の外へと歩き出した。
◆
広大な王宮は、まだ行ったことのない場所も多い。馬で周囲を一周したら、とんでもなく広いと実感した。あちこちに点在する王宮庭園も全部は回ったことがなくて、部屋から一番近い庭園をゆっくりと歩く。
青い空には、大きな赤い月と緑の月。白く小さな太陽が輝いている。元の世界とは明らかに違う空。もしかしたら、ここは死後の世界なのかと思い浮かんだ考えを振り払う。
私は死んではいない。だって新宿駅の雑踏の中を歩いていただけだから。そんな状況でどうやって死ぬというのか。
花が溢れる王宮庭園を歩いていると、女装の王子との思い出ばかり浮かんでくる。追いかけられて逃げた道、一緒にお昼ご飯を食べた場所。……泣き止まない私を抱きしめて、まぶたへキスした場所。
半年の魔王討伐の旅より、たった二カ月半の間の思い出の方があざやかな色で心に残っている。
王宮庭園を抜けると神殿の敷地に入った。神殿の周囲には、貴重な薬草や果樹が植えられていて、庭園というより、薬草園。
「ユリノ!」
呼びかける声の方を見ると、神官モルバリが小さな箱を持って立っていた。今日は長い髪を一つに結んで、すっきりとした姿。それでも女性に見えてしまうので、大変だなぁと思ってしまう。
モルバリも相当強い神力を持っていて、力を安定させるために長い髪が必要と聞いた。本人は何度も短く切りたいと愚痴っていたことが懐かしい。
「どうしたの? また何か呪物?」
「いや。部屋に行ったら、散歩に出たって聞いたから探してた」
避ける理由も特になく、モルバリと並んで思い出話をしながら歩く。すっかり忘れていたことも、話していると思い出す。楽しかったことと、苦しかったこと、過ぎ去ってみれば、どちらも良い思い出。
「……ユリノ、騎士を辞めて神殿へ巫女として入らないか? 神殿の最奥なら、ヴィンセント様から隠れることも可能だ」
ヴィンセントの名前を聞いて、胸がちくりと痛んだ。今は隠れたいとか逃げたいと思っている訳ではなくて、ヴィンセントとの楽しかった思い出と、好きという気持ちを汚したくないだけ。
昨日の夜、酷い嘘を聞いていなければ、きらきらした綺麗なままの気持ちで元の世界に帰ることができたのに。
「ありがとう。でも、私がおとなしく普通の巫女なんかしていられないのは、モルバリも知ってるでしょ? それに、明日私は元の世界に帰るから」
旅の間、ラーシュや皆と一緒に鳥や魚を捕まえたり、薪を拾ったり。お姫様扱いされるのが苦手な私は、自分が出来ることを可能な限り頑張った。
「ユリノ、一緒にお茶を飲むか? 外国から取り寄せたお菓子が届いたんだ」
モルバリが大事に持っている箱にはお菓子が入っているらしい。もう二度とない機会に、私は頷く。
「王宮図書に喫茶室がある。そちらに向かおう」
明るく笑うモルバリと一緒に、私は王宮図書へと歩き出した。
◆
王宮図書というのは、要するに図書館。一つの建物にあらゆる書物が収蔵されている。扉を開けると薄暗い廊下が迷路のようになっていて、モルバリは慣れた足取りで奥へ奥へと進んでいく。
「へー。こんなに本があるんだー」
モルバリが開けた部屋は薄暗い以上に暗く、光を極限まで弱めた魔法灯が足元を照らすだけ。書架は天井までそそり立ち、はっきりと見えないものの、本がぎっしりと詰まっている雰囲気は感じる。
「ここは魔法書や貴重な本の部屋だ。足元に気を付けて」
ふと足元を見ると、床から赤いキノコと紫色のキノコが生えていた。どちらもぼんやりと発光している。
「は? キ、キノコ?」
その色は毒々しい蛍光色。あきらかに毒キノコ。食べたら死にそう。
「キノコは、この部屋の湿度を調整してくれてるんだ。乾燥し過ぎると本が傷むからね。それに持っている毒のお陰でネズミや害虫が寄ってこない」
「あ、そ、そうなんだ。便利なキノコなのね」
「食べたら死ぬけどね」
さらりとした言葉が怖い。ドレスの裾が触れないように迂回してみる。
キノコを避けながら部屋の最奥、古びた木の扉の前に到達した。モルバリが変わったリズムで扉を叩く。
「テオドル! 入っていいか?」
テューネの兄、魔術師テオドルは、ここに籠っていたのか。旅から帰った後、王から褒美を聞かれたテオドルは、死ぬほど本が読みたいと願った。王宮に戻ってきてから半年間、直接会ったことはない。
半年ぶりに見たテオドルは、意外とすっきりとしていた。病的な痩身と目の下のクマはそのままでも、ぼさぼさだった長い銀髪は、長めのウルフカットに整えられている。
「テオドル。久しぶりー。この前の転移魔法の護符、ありがとう。ものすごく助かっちゃった」
「ああ。妹から聴いてる」
ぶっきらぼうな返事が懐かしい。神官モルバリと魔術師テオドル。あとは勇者ラーシュがいれば、旅の時と同じ光景。
ラーシュのことを思い浮かべても、もう胸の痛みは感じない。私の完全な片思いだったと今なら笑って言えるかも。
テオドルが籠っている部屋は六畳くらいの部屋。壁際に大きなカウチと、中央にテーブルセットが置かれていて、あちこちに本や書類が山積み状態。
モルバリが手慣れた様子でティーセットと室内用携帯焜炉を発掘し、洗ってくると言って出て行った。私とテオドルはテーブルに座る。
「すまない。……ユリノが元の世界へ帰る方法を探していたが、見つけることができなかった」
テオドルの謝罪に耳を疑う。
「待って。いきなり、何? 私、やっぱり帰れないの?」
「やっぱり? 誰から聞いた」
「ヴィンセントから」
「……召喚の儀式の噂――異世界で死んだ人間しかこの世界に召喚できないとは聞いていた。だが死ぬ前に戻って回避することができないかと思った。どうして死んだか覚えているか?」
「新宿駅……人がいっぱいいる場所で、私は歩いてた。横から白い光が浴びせられて、強い風が吹いた。……本当にそれだけなの。死ぬ要素全然ないでしょ?」
「……そうだな」
黙り込んでしまったテオドルを前に、どうしたものかと心の中で助けを求める。テオドルは頭が良すぎるからなのか、よく話が飛ぶ。会話の間の思考が全くついて行けない速度で進むから、話がかみ合わないことも多い。
めんどうだと思っても、やっぱり懐かしくて笑ってしまう。何度も間の思考を説明してもらって、うんざりした顔をされたこともあった。
戻って来たモルバリの手には大きなお盆。手早く花茶が淹れられて、テーブルに並べられた。
「これは、花の砂糖漬けなんだって」
小さな箱の中には、宝石のような色をした砂糖漬けが詰まっている。
「うわー。白い砂糖なんて初めて見た」
この世界には精製された白砂糖はない。茶色や褐色の砂糖だけと思っていた。
「白いのは岩糖だ。とても希少な甘味料だと聞いてる」
岩糖は、岩塩のように塊になっていて山の中で取れるらしい。
「スミレと薔薇、これはルルトかな」
ルルトというのは、八重桜に似た白い花。紫とピンクと白の色彩に、きらきらとした岩糖の結晶がまぶされていて、食べるのが惜しいくらいに綺麗。
「ユリノの為に取り寄せたから、全部食べちゃってもいいよ」
「えー、太っちゃうから、三人で」
私がそう言うのはわかっていたのか、小さな白い皿が三枚用意されて砂糖漬けが盛られる。
「その、太るというのがわからん」
「テオドルは食べなさすぎ。ユリノ、聞いてよ。僕が時々食事の差し入れしないと、ずーっと絶食してるんだよ」
「えー、信じられないー。何も食べないって思考が鈍らない?」
「そんなことはない。逆に思考と感覚が研ぎ澄まされる」
「はいはい。じゃあ、僕はもう差し入れするの止めとくね」
モルバリはそう言っても、絶対に気になって差し入れを辞めないと思う。ものぐさなテオドルと世話焼きのモルバリ。二人のやり取りは楽しい。
きらきらと輝く砂糖漬けを口に含むと、物凄く甘い。小さな欠片なのに、氷砂糖よりも甘い。食事を抜いた体に染み渡る。
三人で旅の思い出を語りながら、王宮図書を出てあちこちを歩き、昼食と夕食を共にして。あっと言う間に時間は過ぎ去った。
「そろそろ部屋に戻らなきゃ」
明日、会えるかどうかはわからない。最後の挨拶のつもりで、寂しさを堪えて笑顔を作る。
「……ユリノ。もし、もしも何かあったら、この力を使って」
モルバリの手の中には、白く輝く光球。かなり強い神力の塊だと感じる。
「えっと……」
「何か装飾品は持っていないのか? そこに宿せばいい」
テオドルに言われて、私は服の中からペンダントを取り出した。
「……とても強い力が込められているね。必要ないかもしれないけど……でも、これは僕の気持ちだから」
ペンダントを見た二人は、込められた魔力の強さに驚いた。
「ならば私も魔力を贈ろう」
テオドルの手のひらに、薄藤色の光球が現れた。
「転移魔法の護符作ったから、半年間魔法が使えないんじゃなかった?」
「表向きはな。魔術師たる者、最低限の魔力は備えてある。もっとも、これで完全枯渇するが」
ぶっきらぼうな言葉と態度の中に、優しさが滲む。
「ありがとう」
二人からの贈り物を受けて、ペンダントは輝きを増した。
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