第十五話 元の世界に帰らせて頂きます。
呪いが解けたヴィンセントは女装を辞めると思っていたのに、今朝もドレス姿で微笑んでいる。私のベッドで。
「ヴィンセント? どうして?」
「王族に仕立てられた服は、基本的に汚れたり破れない限り五回以上着る決まりがある」
仕立て部屋が妙に張り切ってしまった結果、まだ袖を通していないドレスが十着以上あるらしい。
「それなら仕方ないかー。今日も綺麗ね」
「ユリノは今日も可愛いな」
「お世辞は結構です」
私がヴィンセントの初恋の相手と知って浮き立つ心と、私が魔王にしてしまったヨアンに対する罪悪感が混ざり合って素直には喜べない。……元の世界に戻って、全部夢の中のお伽話でしたで締めくくりたい。
「ユリノ、朝食にしよう」
「え? 昨日、遅かったでしょ? もしかして寝てないの?」
ヴィンセントは深夜まで泣き続けた私を部屋まで送り届けて、眠るまで見守ってくれた。
「……眠る気分にはなれなかった」
少し困ったように眉尻を下げてヴィンセントが微笑む。テーブルにはいつもより豪華な朝食。
「ありがとう。でも、無理はしないで」
「ああ。気をつける」
今日の予定は何も入っていないというヴィンセントと、私はゆったりとした朝食の時間を楽しんだ。
◆
舞踏会の翌々日になると、王宮はすっかりいつもの雰囲気を取り戻した。広大な王宮では大勢の人々が見えない所で働いているのだと感心する。私が訪れたことはない区画には、使用人向けの売店もあるらしい。一つの町としても機能している。
騎士の控室に向かう途中、テューネと出会った。
「ユリノ、おはよう」
「あ、テューネ、おはよう。一昨日の舞踏会、参加してなかったの?」
周囲を気にする余裕が無いながらも、一応姿を探してはいた。
「ええ。一昨日の舞踏会は二十二歳以上と決められておりましたの。それに……父が絶対に来るなと申しておりましたので」
「どうして?」
「ドレス姿を娘に見られるのが恥ずかしかったようですのよ」
「あ、じゃあ、見てないんだ。結構似合ってたのに」
ユーホルト公爵の女装は、騎士仲間のような地獄絵図ではなかった。何となく、こういう民族服と思えば受け入れられるかもっていう雰囲気だった。
「も・ち・ろ・ん、見ておりますわよ。父に見つからないよう隠れておりましたのですけれど、侍女たちと笑いをこらえるのが大変で」
扇を口にあて、ほほほとテューネが笑う。
「〝塔の魔女〟様はお帰りになってしまわれたのですね。寂しくなりますわね。……ユリノ?」
〝塔の魔女〟と聞いただけで、ヨアンの笑顔が浮かんで胸が痛む。ほろりと涙が零れたのを見て、慌てたテューネが私の肩を抱いてハンカチを手渡してくれた。
「ごめんなさい。ユリノがそれ程までにあの方を想っていらっしゃったなんて思わなかったの。失恋は辛いことですわね……」
完全にテューネが誤解している。これはマズイと顔を上げた。
「誤解よ。失恋とかじゃないから」
知らなかったとはいえ、私はヨアンを魔王にしてしまった。そのことに対する罪悪感を感じているだけで、好きでもなんでもない。
「あら? そうでしたの?」
「……ちょっと寂しいなって思っただけだから。心配してくれてありがと」
私は涙を拭いて笑顔を作った。
◆
ぎりぎりまで訓練に参加しようと騎士の控室に行くと、騎士仲間に囲まれた。
「なぁ、ユリノ、やっぱり帰っちまうのか?」
「帰るわよ。何て言っても、元の世界の方が便利なんだもの」
「まぁなぁ。魔力がなくても誰でも魔法が使える世界の方が、楽だとは思うがなぁ」
スマホにレンジに洗濯機、車や飛行機に宇宙船。馬と馬車が移動手段のこの世界の人々にとっては、私にとって当たり前のものがすべて魔法に思えるらしい。説明するのは物凄く大変だった。
「あー。寂しくなるなぁ」
ぽつりと零された言葉に、胸が温かくなる。いなくなって寂しいと思ってもらえるくらい、私は受け入れられていた。
「元に戻るだけよ。ほら、今日の訓練は?」
「ああ、馬術訓練だ。王宮の周りをぐるっと、な」
ヨアンの呪いが解け、男に戻った副隊長がそう言って私の肩を叩く。広大な王宮の周囲を馬で走ることができるとは思わなかった。
「外に出る許可は取ってある。……逃げてもいいぞ」
「逃げませんよ。私は帰りますから」
「〝塔の魔女〟は、ユリノが好みだと言ってた。駆け落ちするなら応援するぞ。……俺も一緒に連れていってくれ」
どうやら、副隊長の本音は最後のひと言らしい。
「駆け落ちなんかしません! そんな趣味はないので、お気遣いなく!」
ダメだ。完全に何か誤解をされている。肩に置かれたままの手を払い落し、私はげらげらと笑う騎士仲間たちと外に向かった。
◆
舞踏会から数日があっという間に過ぎ去った。夕食後、部屋に戻って壁に貼ったカレンダーに付けた傷を指で撫でる。あと二日。それで、このお伽話もすべて終わり。
あの朝の光景を繰り返すのだとしても、ヨアンを孤独な魔王にしてしまった私は、この世界にいられないと思う。元の世界に戻って、大学を出て就職して。自分の現実を改善したい。
ヴィンセントと離れる寂しさも、いつかきっと良い思い出になる。
帰る為の準備も整えた。元の世界で使っていた肩掛けカバンには、いろんな人たちから貰った小さな贈り物がいっぱい。
静かに扉が叩かれて、シンプルな藍色のワンピース姿のヴィンセントが入って来た。寂しさを悟られないように、思いっきり明るい顔で笑う。
「ユリノ……」
「あ、ちょうど良かった。帰る時の服、迷ってるの。大勢の人が来るんでしょ? 騎士服がいいかなーって思うんだけど、元の世界に戻ったら、雑踏の中でコスプレしてる人になっちゃうし、普通の服だと人前に立つのは恥ずかしいし」
新宿駅の雑踏の中で、いきなり騎士服で現れたら街中でコスプレしてるヤバイ人になってしまう。とはいえ、Tシャツにジーンズでは、きらびやかな儀式の中では浮いてしまう。
「んー。元の世界に戻った瞬間、上着を脱ぐ。で、何とかなると思う?」
一瞬の恥ずかしささえ耐えれば、何とかなりそうな気もする。
「……ユリノ……隠していたことがある」
押し黙っていたヴィンセントが口を開いた。
「何?」
「……ユリノは、元の世界には帰れない」
「どういう意味?」
一瞬で血の気が引いて、心臓が嫌な音を立てて早鐘を打つ。
「この世界に召喚できるのは、元の世界で死んだ人間だ。……何らかの突発的な事象で命を失った者だけだ」
「ヴィンセント……嘘……よね? 私を引き留めようとしてるだけなんでしょ?」
「真実だ」
ヴィンセントの表情は硬く、嘘を言っているようには見えない。
「待って。何よ、それ。私が死んでるっていうの? 冗談よね? 私、新宿駅歩いてただけよ?」
バイト先に向かって雑踏の中を歩いていただけ。横から白い閃光と強い風が吹いて……私はこの国に召喚された。歩いているだけで死ぬようなことがある訳ない。
「皆で、私を騙してたの? 一年で元の世界に帰れるって言ってたじゃない。だから私は頑張ってきたのに……」
「知っているのは王族と神官長、魔術師長だけだ。他は誰も知らない」
「ユリノ、帰らないと言ってくれれば、儀式を止める」
「嫌よ。私は帰るの! 元の世界に帰って、全部夢でしたって笑うの!」
酷い嘘だとしか思えない。私が死んだなんて、信じられる訳がない。
「ユリノ……」
抱きしめようとした腕から逃れ、私はヴィンセントを睨みつけた。
「やめて! どんなに優しくされても、もう私は信じない」
「出て行って! 二度と顔を見せないで!」
私は、王子を扉の外へと押し出した。
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