第十四話 呪いに隠されていたこと。
赤と緑の大きな月が輝き、白い小さな月が輝く夜は地上から見える星は少ない。夜の王宮庭園には、魔法灯と複雑にカットされた水晶が吊り下げられていて、咲き乱れる花々も淡く光っているように見えて幻想的な光景が広がっている。
『よし。この辺りでいいか。……おいこら、この近辺にいる奴らは撤退しろ! 見聞きした奴は全員殺すぞ!』
立ち止まったヨアンは、周囲の茂みに向かって怒鳴りつけた。微かな音がして数名が走り去って行く。
「何?」
『王の間諜だろ。俺は要注意人物だからな』
「……必要なら防音結界を張る」
『そんなもんいらねーよ。ユリノ、そのまま立っててくれ。ヴィンセントは二歩下がれ。ドレスの裾が邪魔だ』
「何をするつもりだ?」
ヴィンセントが厳しい表情でヨアンに問う。
『まずは俺の呪いを解く』
「え? 呪われてたの?」
『ああ。協力してくれ』
「別にいいけど……悪いことしない?」
『しない。俺の真名に掛けてもいい。ヴィンセント、下がれって言ってるだろ』
「お願い、ヴィンセント」
私がお願いすると、ヴィンセントは口を引き結びながら二歩下がった。
『始めるか』
私の右手を取ってヨアンが跪くと黒いドレスが広がり、地面には赤い光で複雑な模様が描かれていく。
「それは何の魔法だ!?」
『ヴィンセント、心配するな。ユリノには一切影響はないと我が
ヨアンは左手を軽くあげて誓い、ヴィンセントは唇をかみしめる。
跪いたヨアンが深く深く息を吸いこんで、口を開いた。
『悠久の時を司る大いなる存在よ。我が声を聞き給え。――我を照らす暁の黄金の光は、月の真白な光を喰らう。闇に凍える林檎の実を溶かし、その白き花々をほころばせる。祝福の光はここにあり』
呪文のような言葉を唱えるうち、ヨアンの声が男性のような声に変化して行く。
『今、暁の乙女に我は誓わん。その眠りを護る者となり、この地の安寧を護らんと』
赤い唇を弧にしたヨアンが、私の手の甲に口づけて目を閉じる。
口づけられた場所から発生した赤と白の光が、暴風を伴って周囲の花を巻き上げていく。ヨアンの黒いドレスが焦げた紙のようになって粉々にちぎれ、長い髪が散る。
ゆっくりと見開いた目の色は赤。その笑みは妖艶な美女のものではなく、精悍な男の笑み。赤い唇の色は消え、艶やかな女性の顔立ちは端整な男性の顔立ちに変化した。
立ち上がったヨアンは髪が短くなり、複雑な装飾がされた漆黒のロングコートとズボンにブーツ姿。背丈もヴィンセントと変わらない。
『ついにやった! 完全復活!』
両手を握りしめ、喜ぶ姿も声も完全に男。
『ユリノ、お前のお陰だ』
花びらが舞う中、男になったヨアンと見つめ合う。何がどうなっているのか、さっぱりわからない。
「どういうことだ? 説明を求める」
ヨアンが私を抱きしめようとする前に、ヴィンセントが私を護るように抱きしめた。ヴィンセントはドレス姿のままで変わっていない。
『ちっ。そういえば、めんどくせーヤツがいたか。……俺は三百年前に人違いで呪いを掛けられて女になってたんだよ。呪った奴は俺と別の男を間違った上、自分の命と引き換えに人間嫌いの俺が絶対に解けない条件を付けてた』
「解けない条件?」
『衆人環視の中で女と踊って、満月の下で跪き従属を誓うっていうヤツだ。今までの俺なら絶対に出来なかった』
「間違えられた悪い奴は?」
『とうの昔に死んでた。だから俺は三百年間ずっといらいらしてたって訳だ』
男の姿のヨアンは凛々しくて、慣れないからなのかどきどきする。
「えーっと。約束よ。ヴィンセントの呪いを解いて」
『……仕方ないな。約束だからな。ヴィンセントと、ついでにラーシュの呪いも解いてやるか』
短く呪文を唱えたヨアンが、手を叩くと何かが割れるような音がした。
『よし、消えた』
私を抱きしめたままのヴィンセントの前髪を上げると、こめかみのアザが消えていた。
「良かった。ヴィンセント、これで私の嫁にならなくて済むわね」
『あ? 俺はそんな呪いは掛けてねーぞ。初恋の――』
「言うな!」
ヴィンセントが片手で緑色の光矢を飛ばし、ヨアンがぎりぎりで避ける。
『あっぶねー。ふーん。そうか。呪いのことをユリノには言ってないのか。ほほー』
性格の悪そうな目をしたヨアンが、ヴィンセントに笑いかける。
「用件は済んだ。帰ってもらおう。行こう、ユリノ」
『ほう。これは面白い』
ヴィンセントが何か呪文を唱えると、私の周囲に淡い緑の透明な膜が現れて周囲の音が消えた。
私を片腕で抱きしめたままのヴィンセントは、ヨアンと何か怒鳴り合っている。品行方正な王子様の時とは雰囲気が違って、生き生きとしているように見える。
ヨアンの方を見ると声は聞こえなくても、その唇の動きで言っている言葉が何故かわかった。
『「初恋の女が最初に欲しいって言ったものを与えないと女が死ぬ」っていうだけの呪いだが、随分とやっかいなものを欲しいと言われたようだな! そうか、ユリノは嫁が欲しいのか。これはいいことを聞いた』
初恋の女。それが私? 胸の鼓動が跳ね上がって、いろんな妄想が渦巻きそうになりつつも、ヨアンの最後の言葉で引き戻された。マズイ。これは厄介ごとが増えそうな予感。
「だからそれは、冗談だって言ってるでしょ!」
私が叫ぶと透明な膜が弾けて消えた。ヴィンセントが驚いた顔で私を見つめている。
『ほー。防音結界を一声で破ったのか。おい、ヴィンセント、ユリノには隠し事はできないようだぞ』
にやにやと笑いながらヨアンがヴィンセントをからかう。
「……聞いてしまったのか?」
「聞こえなかったけど、意味がわかったの。たぶん、私に付与された言語能力のせい」
ヴィンセントの眉が下がって、抱きしめる腕が緩んだ。ショックを受けているようなので、手を伸ばして長い金髪を撫でて慰める。いろいろ言いたいこともあるけど、それは後で。
「ラーシュはどんな呪いだったの?」
『あいつはすでに一生を捧げる誓いを立てた初恋の女がいたからな。「初恋の女と結婚しないと、次に愛した女が死ぬ」っていう呪いだ』
「ヨアンって、心の中まで読めるの?」
『いや。呪い掛ける前に初恋の女がいるか聞いたら答えた。間抜けな奴らだよな』
「……八歳の少年が、不意を突かれて答えてしまっただけだ」
「でも、そんなの初恋の女がずっと好きだったら意味ないじゃない」
ラーシュは王女が初恋だったのだと思う。きっと騎士と王女では身分が釣り合わないから、危険な魔王討伐に参加して願いを叶えた。一生を捧げる誓いを立てていたのなら、最初から私が入り込む余地は無かった。
『俺の呪いは、基本的に些細な嫌がらせだ。本気で殺そうとしてた訳じゃねーよ』
呪いの内容を聞いてみると、本当に地味で笑ってしまう。
『おい、ヴィンセント。ユリノを独り占めするなよ』
「断る」
「ちょ、ちょっとヴィンセント。離して」
腕を軽く叩くと、ようやく自由になれた。
「ま、皆の呪いが解けて良かったわね。これですっきりよ」
ヨアンの呪いも、ヴィンセントとラーシュの呪いも消え去った。これでヴィンセントは私の嫁になる必要もない。ちょっと寂しい気がしても、私は元の世界に帰るのだから、お伽話の一つとでも思えばいい。
三人で笑顔を交わした時、ぐらりと地面が揺れて周囲の景色から色彩が失われ、周囲の音が消えた。
『おい、ヴィンセント、ユリノに光属性の結界を張れ』
「わかった」
鋭い表情のヨアンの指示で、ヴィンセントは私に結界魔法を掛けた。二人が私を背にして護るように周囲を警戒する。
地響きが鳴り、地面に闇色の染みがぽつぽつと広がっていく。
「これ……見たことある。……魔王の……〝漆黒城〟で」
闇色の染みが地面を覆い尽くし、複雑な魔法陣を描く。漆黒城の大広間で、魔王が出現する時に見たものと同じ。
「嘘……」
魔王は間違いなく倒したはず。まだ生きていたのか。
魔法陣の中央、空中に闇色の光球が現れて、灰色の石の板に変化した。
「何……これ……」
灰色の石板は、ゆっくりと回転しながらその色と形を変えていく。黒や茶色、夜の色、様々な形に変化する。その表面には漢字のような文字が浮かんでは消えていく。
静かに石板を見つめていたヨアンが、口を開いた。
『……これは〝死者の石板〟だ。……どうやら俺は新しい魔王に指名されたらしい』
「どういうこと?」
『魔王っていうのは、魔性と魔物を統べる者。黒い森に魔力を供給して、魔物がなるべく外界に出ないように調整する。んでもって、死んだ魔性を弔い、その死を記録する〝死者の石板〟の管理者だ。この石板には、この世界が出来てから生まれて死んだ魔性の名がすべて刻まれてる』
ヨアンが手を伸ばすと、石板が手元に吸い寄せられるように移動した。浮きあがっては消える漢字は、魔性の真名なのか。
『要するに、魔王ってのは黒い森の世話係であり、魔性の墓守だな』
「墓守が何故、魔物を使って我が国に侵攻してくるのだ?」
ヴィンセントの声が困惑と緊張を滲ませる。
『俺も良くは知らんが、長いこと魔王やってると正気が保てなくなるらしい。最後には狂って暴走する。これまでは大抵、異世界人に倒されて終わり、だな』
「……私が、魔王を倒したから?」
だから新しい魔王が選ばれたのか。
『気にすんな。魔王に選ばれるってことは、俺の魔力が世界最強ってことだ。結構気分いいもんだな』
そう言いながら石板を指で叩いてヨアンが笑う。
「魔王になって、どうするつもりだ?」
『心配するなよ。俺は世界最強の魔王として、魔物の世話と墓守の仕事に専念するだけさ。そのうち飽きて先代みたいに狂っちまうかもしれないが、ユリノがこの国にいる限り、正気を保ってやるからよ』
『ああ、それから。魔王のことについては秘密にしてくれ。知った者には命の危険があるから書き残すのもダメだ。お前らは俺が護るが他は護れん』
ヴィンセントと話していたヨアンが、私の方へと向き直った。
『悪いな、ユリノ。俺はお前が好きだったんだが、俺には護る物が別に出来ちまった』
魔王は悪者だと信じていたのに。だから私は殺してしまうことをためらわなかった。長い長い時間、あの暗い漆黒城で独りぼっちで墓守をする人だとは、考えもしなかった。
ヨアンは笑っているのだから、可哀想だと思うことは失礼なのかもしれない。それでも、狂ってしまう程の孤独を思うと涙が零れる。
『ユリノ、最後くらい笑ってくれ。で、真名を呼んで頑張れって言ってくれると俺はきっと頑張れる』
優しい声に心が震える。私が倒してしまった魔王も、狂う前は優しい人だったのかもしれない。涙を拭って、無理矢理笑顔を作る。
「……
『もちろん、頑張るさ』
ヨアンは石板に右手を乗せた。
『――我、〝死者の石板〟の継承を受諾する』
『対象者、継承意思確認。通常処理ヲ開始シマス』
女性とも男性とも判別できない電子音のような声が響き、広がっていた闇色の魔法陣が急速に縮んでヨアンの足元から包み込んでいく。
『じゃあな』
笑って片眼を瞑ったヨアンの姿が消えると周囲の景色も元に戻った。王宮からの賑やかな舞踏会の音楽が遠く聞こえる。
ヨアンは何も残さず消えてしまった。元から存在していなかったかのように。
「……魔王のこと、全然知らなかった……」
「私も知らなかった。……すまない」
「ヴィンセントが謝ることじゃないわ。誰も知らなかったんでしょ?」
「どうしよ。涙が止まらない……」
無言のままヴィンセントの腕が私を包み込み、私は長い時間、涙を流し続けた。
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