第十三話 空前絶後の舞踏会なのです。
あっという間に舞踏会の日になった。早朝から貴族たちが続々と王宮に集まり、賑やかな空気が流れている。
ここ数日は朝食が部屋に置かれているだけで、ヴィンセントと顔を合わせていない。忙しいとわかっていても、一人での食事は寂しい。
今日はドレスを着ないので、時間もたっぷりある。騎士になる前、儀式があると着せられた正装のドレスは、お姫様みたいで綺麗でも着るのに時間と手間がかかったことを思い出す。
一応、平時の騎士服よりも装飾品が増えた第三礼装。金色の紐や金具で飾られた緋色の上着に白いトラウザーズ、茶色のブーツ。ポニーテールにも金の縁取りがされた緋色のリボンを結んでいる。
あまりにも暇なので第三騎士隊の控室に向かうと、そこには地獄絵図が広がっていた。
「……ね。それ、どういう冗談?」
第三騎士隊の控室前の広い廊下で、屈強な騎士仲間たちがドレスに着替えていた。小さな袖に無理矢理腕を通そうと努力している者や、ドレスの背中が開いたまま化粧をする者。びりりと何かが破ける音があちこちから聞こえる。
「おう、ユリノ。冗談じゃねーぞ。相手は〝塔の魔女〟だぞ。呪われたくねーもんな」
「昨日、副隊長が呪われたんだよ。だから女装するしかねーだろ」
「え? 呪われたの?」
「ああ。ほれ、後ろ」
言われて振り向くと、手鏡を覗き込んでぶつぶつと呟く青色の髪の十歳くらいの少女の姿。渋水色のワンピースが可愛い。
「あれ? 副隊長は?」
他には誰もいない。あのがっしりとした体格は、隠れようがない。
「……俺だ」
少女が絶望の眼差しで答えた。声は確かに副隊長。
「えぇぇぇぇぇぇ!」
「なぁ、俺の筋肉、どこいったんだ? ……俺の筋肉ぅぅぅぅ!」
少女の姿をした副隊長が、私の肩を掴んで叫ぶ。副隊長が感じている問題点は違うらしい。前髪が揺れて左のこめかみに赤い薔薇のアザが見えた。
「うわあああああん! 俺の筋肉ーっっ!」
少女の姿で泣きながら副隊長が走り去って行った。
「昨日からあの調子だ。そっとしておいてやってくれ」
声に振り返ると翡翠色のドレスを着た隊長。濃い金色の巻き髪と濃い化粧。腰のベルトには剣が下げられている。
「た、隊長? まさか、その格好で舞踏会の警備に?」
「ああ。呪われて戦力外になることだけは避けねばならんからな」
今、私の表情筋が試されている。騎士仲間のドレス姿は冗談で笑えても、隊長の女装は笑ってはいけない気がする。
「あ、あの、副隊長はどうして呪われたんですか?」
「魔女の姿があまりにも好みだったので、高い酒を持って口説きにいったらしい」
「え……」
それは馬鹿だ。男嫌いの魔女だと皆が恐れていたのに。
「副隊長の呪い、解けるんですか?」
「今日の夜までと言われたそうだ。それが本当かどうかはわからない」
ヨアンが時間を限定したのなら、呪いを解いてくれるだろう。ちょっとほっとした。
「わ、私、皆の着替えの手伝いをします」
「ああ、悪いな。よろしく頼む」
ぎりぎり笑わずに乗り切って、私は騎士仲間の着替えの手伝いに入った。
◆
大広間を見下ろすボックス席のような場所の柱に寄り掛かりながら、人々が集まるのを眺める。巫女姫に用意された豪華な椅子は、座り心地は最高でも居心地が悪い。
広い大広間は、練習に使っていた部屋の六倍はある。高い天井には輝く魔法灯のシャンデリアがいくつも輝く。
ここに来たくはなかった。奥の段上には王と王妃の椅子。……魔王討伐から帰って来た翌日、私はここで王に謁見した。お礼を言われて褒美を聞かれた時、ラーシュは王女との結婚を望んだ。
ヴィンセントの妹、第二王女は私の二つ下の十七歳。美しくはかなげな少女のような人だった。
私が異世界の巫女であることを捨て、騎士になることを望んだのはその時。巫女姫と呼ばれて崇められ敬われ、特別扱いされるのが嫌になった。
『ユリノ、どうした?』
背中から巻き付いてきたヨアンの細い腕をぺちりと叩いて、胸に伸ばそうとした手をつねり上げる。
『いてて。ひでーな』
「酷いのはどっち? うちの副隊長呪ったでしょ」
『副隊長? ああ、あの青髪の筋肉馬鹿か』
ヨアンの言葉は否定できないくらいに的確。
『美味そうな酒持ってきたから、条件なしで時限指定してやった。十分優しいだろ?』
「まぁ、そうね」
『何見てんだ?』
「ん。皆、慣れないドレスで大変だろうなって」
次々と集まる人々は、全員がきらびやかなドレス姿。厳めしい顔つきの公爵たち、涼し気な顔の宰相まで全員が女装。周囲にいる人々は、絶対に表情筋と精神力が鍛えられている。
公爵や宰相は見苦しさはなく、それなりに整っている。元の顔が良いというのもあるだろうし、ドレスも特注品なのだろう。他の貴族はまぁ、いろいろ。時折、女性かと見紛う人もいる。
入場を告げられ、ヨアンをエスコートしながら入り口へと立つ。
『楽しもうぜ』
ヨアンの明るい笑顔にも、緊張しすぎて困った笑顔しか返せない。
「〝緋玉の騎士〟ユリノ・アカツキハラ様、〝塔の魔女〟様、御入場!」
告知係の声が大広間に響き渡った。辞退したはずの騎士の称号に緊張する。ただの騎士でいいとお願いしたのに。
静まり返った広間を歩く。緊張で周りを見る余裕なんてない。正面を向きながら、先導する騎士のドレスの裾を踏まないように気を付けるだけ。
続いて第三王子のヴィンセント、第二王子と王子妃、最後に王と王妃が入場した。第一王子はヨアンが王宮に来た直後に、妃と子供を連れて視察の旅に出ている。おそらくは、王宮で危機が発生した時の避難処置なのだろう。
ヴィンセントのドレス姿は見慣れていても、第二王子と王のドレス姿は、いろんな意味でどきどきしてしまう。
王の短い挨拶の後、舞踏会は始まった。王宮楽師たちが奏でる音楽が響き渡り、最初のダンスの一歩を踏み出す。
「うわっ!」
いきなり間違った。ヨアンのドレスを踏みそうになって、ぎりぎりでヨアンが避けた。
「ご、ごめん」
『平気平気。ほら、周りを見ろよ』
ヨアンの魔法で持ち上げられ、くるりと予定にない回転が入る。周囲では自らのドレスを踏んで転倒する男性の姿が多数見えた。
『おー。あいつは頑張ってるな』
そういってヨアンが顎で示したのは、厳めしい表情のユーホルト公爵と、テューネに似た銀髪の公爵夫人。お互いの髪と瞳の色を使ったドレスは同じデザイン。
きっと練習したのだと思う。その優雅なダンスはドレスの裾捌きも完璧。私は騎士服なのだから負けてはいられない。必死になってステップを踏み続ける。
『もっと気楽にしていいぞ。俺に任せろ』
ヨアンの笑顔が頼もしくみえて、どきどきする。
「できるだけ自力で頑張ってみたいの。ダメな時はよろしく」
『そうか。わかった』
近くで夫人と踊っていた宰相が自分のドレスを踏んでよろめき、咄嗟に助けようと手を伸ばしたユーホルト公爵と一緒に転倒した。
大広間の時が止まった。音楽は流れ続けていても、貴族たちはぴたりと動きを止め、尻餅をついた宰相と公爵に注目している。私とヨアンもつられて足が止まった。
「ふむ。練習が足りなかったようだな」
厳めしい顔つきだった公爵が、声を上げて笑い出した。公爵夫人も笑いながら手を引いて立ち上がらせると、段上にいた王も声を上げて笑う。
大広間の緊張していた空気が一気に緩んだ。明るく朗らかな雰囲気に包まれ、貴族たちはお互いの服装について談笑し、踊って転倒しては笑う。
ヨアンと三曲を続けて踊り、ヴィンセントと一曲、またヨアンと一曲を踊った。この国では、同じ相手と四曲以上は続けて踊ってはいけない不思議な決まりがある。
『あー、そろそろいいか』
「満足した?」
『満足はしてないな。もっとユリノと踊りたい。……でも、限界だろ?』
ヨアンは踊っている最中に、私が足を捻ったことに気が付いてしまったらしい。さっと跪いて、私の足首に治癒魔法を掛けた。
『一度捻ると癖になるからな。しばらくは無理するなよ』
「……ごめんなさい」
『謝るなよ。これから先、いくらでも機会はあるだろ』
「それは……」
ないと思う。私は元の世界に帰るから。〝帰還の儀〟まであとわずか。
『よし。庭園で呪いを解いてやる。ヴィンセント、着いてこい』
上機嫌のヨアンは私の手を握って歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます