確かに私は、お嫁さんが欲しいと言いました。~女装の王子様はお断り!~

ヴィルヘルミナ

第一話 それは非常に微妙な朝。

 ふわりと珈琲の香りが漂ってきた。体が眠りから覚めていく。


「朝よ。そろそろ起きて支度をしないと遅れてしまうわよ」

 どこか遠くに聞こえる声は、優しくて少し低いハスキーボイス。


「ん……あと五分……」

「お寝坊さんね。私も一緒に二度寝しようかしら」

 優しい声の主が、そっと掛け布を持ち上げた。珈琲の匂いと微かなシトラス系の香りが鼻をくすぐる。


 髪を撫でられると心地いい。また深い眠りに落ちてしまいそうだけど、起きなければ食事抜きで騎士の訓練時間になってしまう。眠気に抗う為に寝返りを打っても体が重い。


「ベッドから落ちるわよ」

 くすりと耳元で笑われて、腰に腕が巻き付いた。

「ん……?」

 重いまぶたを開いた瞬間、私の眠気は一気に覚めた。ほとんど反射的に掛け布を腕で跳ね上げる。


 ありえない。私の意識は現実逃避を全力で試みるけど無駄だった。目の前には藍色のハイネックのドレスを着た、金髪碧眼の美形。


「……ヴィンセント王子? 何をしているんです?」

 まぎれもなく、この国の第三王子ヴィンセント。私の三つ年上の二十二歳。ご丁寧に薄い化粧を施した顔が近すぎる。長い髪はウィッグだろうか。


 どうして女装? 何故、女装?

 ぐるぐると頭の中を疑問が回る。はっきり言って、私よりも美人。百八十五センチはありそうな背丈は別として、首と手を隠せば迫力美人で通るかもしれない。


「ユリノを起こしにきたの」

 微笑む王子の手が、そっと私の髪を一房すくい上げる。途端にぞわりと嫌な予感。髪を奪い返して体を引く。


「貴方が女装する意味がわかりません」

 私は王子をベッドから追い出して対峙する。片や藍色のきらびやかなドレス、私は寝間着替わりのキャミソールとドロワーズ姿。一体何の罰ゲームなのか。


「昨日、お嫁さんが欲しいって言ってたじゃない?」

 首を傾げる王子の少し乱れた金髪が、壮絶な色気を振りまく。きらきらと輝いているようで、それはそれは美しい。


「確かに言いました。でも、冗談に決まっているでしょう!」

 そういえば、騎士の訓練場で言った覚えがある。昨日は疲れていた。心底疲れていた。本当に疲れていた。騎士仲間に欲しいものを聞かれて、嫁が欲しいと答えた。


「そんな……私の心を弄んだのねっ!」

 王子が衝撃を受けた顔で、よろりとよろめく。そんな仕草も艶めいていて美しい。美形って、マジ怖い。自分に無いものを見せつけられている気がしてムカつく。


「あー、それは、すいませんでした」

 どうしてなのかわからないけれど、謝罪を要求されている気がするので適当に謝罪する。王子だろうが何だろうが、もうどうでもいい。


「謝らないで! 謝罪替わりに、私をお嫁さんにしてちょうだい!」

 すかさず王子が私に抱き着いてきた。胸に詰め物をしているのか、弾力のある感触が妙にリアルでさらにムカつく。


「……出てけー!」

 ブチ切れた私は、王子を部屋から蹴り出した。


     ◆


 閉めた扉を背にして溜息を吐く。視線を室内に向けると、鏡に映る私と目が合った。長い黒髪に黒目。大きくて少し垂れた目は、勇者にフラれるまでは割と可愛いと思っていた。……起き抜けの顔はいろいろ酷い。


 私は暁原あかつきはら 結理乃ゆりの。十九歳の日本人。この中世か近世かよくわからない西欧風の異世界、ヴァランデール王国に一年限定で召喚された。


 召喚理由は魔王を倒す為。王に選ばれた勇者と異世界の巫女とされた私、魔術師と神官。ありがちな組み合わせで、いきなり旅に送り出された。


 魔王が住む城は広大な黒い森のあちこちを移動していて、たどり着くまでに半年の期間を要した。その間の旅は、潔癖症ではない私でもトラウマになりそうなエピソード満載。私に浄化の術が付与されていなければ、絶対に途中で脱落していたと思う。


 旅は大変だったけれど、魔王を倒すのは簡単だった。勇者の剣と私の巫女の力の一撃で魔王は即死。あまりにもあっさりした結末に、魔王は死にたかったのではないかと内心疑っている。


 王宮へ戻ってきた私は勇者と結婚してこの世界で暮らす覚悟をしていたのに、勇者は美人で優しい王女を選んで、さっさと婚約してしまった。


 出会った時から旅の間、勇者はずっと紳士的で優しかった。それは恋人に対するものではなく、異世界の巫女という立場に対するものだったと気が付いたのはその時。私一人だけが勇者の優しさを誤解して、舞い上がっていたのかと思うと恥ずかしい。


 男のような乱暴な女は可愛げがない。それが勇者の本音と聞いた時には、めまいがした。勇者の手を煩わせないように、自分なりに頑張った結果がその評価。悲鳴を上げて何もできない女の方が好みだったのかと絶望したのは、割と最近の話。


 フラれて独りになった私が元の世界に戻る〝帰還の儀〟までは日があった。何もすることがなく召喚で付与された体力が有り余っている私は、この国初の女騎士となり、平民が主体の第三騎士隊に入隊して日々の訓練に参加している。


「あの王子、嫁にしろなんて、何のつもりなのかしら」

 口から零れた独り言は、この世界に来てからの癖。巫女として崇められることはあっても、親しく接してくれる女性はおらず、侍女たちは黙々と職務をこなす有能な人ばかり。声を掛けても、一瞬戸惑う表情を見せて頭を下げてしまうだけで返事はない。仕事の邪魔になっているような気がして挨拶もできなくなってしまった。


 まともに返答してくれるのは、むさくるしい騎士仲間だけという状況では独り言で寂しさを紛らわせるしかない。


 そういえば召喚された当初から、王子から声を掛けられることが多かった。何が欲しいと聞かれても全然思いつかなかった。――あの頃は、私は勇者のことしか見ていなかった。


 王子は私が魔王討伐に出ている間、国内に出没する魔物退治に奔走していたと聞いている。自分が魔王討伐に出たいと立候補したのに、王が認めなかったらしい。


 テーブルの上には、トレイに乗せられた珈琲とトーストと目玉焼きとサラダ。美味しそうな見た目でも、この世界の料理は塩辛くて不味いものが多いから油断はできない。とりあえず無難そうな珈琲を口にする。


「……あ。美味しい」

 この国には珈琲はなかったはず。外国から取り寄せたのだろうか。砂糖と生クリームをたっぷり入れて、忘れかけていた風味を楽しむ。


 二センチの厚さにスライスされたトーストは丸くて、目玉焼きは半熟。新鮮な生野菜のサラダには、蒸された鶏の胸肉と塩辛いソーセージの薄切りが添えられていて、ドレッシングがなくても美味しい。


 この国の朝食は、超塩辛いヨーグルト風味の雑穀粥が定番。わざわざ特別メニューを作らせたのだろう。トーストの上に目玉焼きとソーセージの薄切りを載せてかじりつく。とろりとした黄身が口の中でパンに絡むと、頬が緩むのは止められない。トーストも目玉焼きもまだ温かくて、サラダは冷たい。もしかしたら、保温の魔法が掛けられているのかもしれない。


 元の世界では当たり前に食べていた料理も、この世界では特別。王子がベッドに入ってきたのはムカついたけど、これでチャラにしてもいい。


 久しぶりのまともな朝食を食べ終えると、残り時間は少ない。生成色のシャツに黒いズボンにブーツ。上着は裾が膝まである騎士服を着て、長い髪を紐で結んでポニーテールにする。


 私には緋色の識別色が割り当てられているから、デザインが変わっても上着は緋色。他の色を着てみたいと思うことがあっても騎士登録している以上、わがままは許されない。


 識別色というのは戦場で個人を見分ける為の色で、功績を上げた者に王から贈られる。王子の識別色は藍色で、平時に着る服も色を合わせることが多い。


「もしかしたら、ドレスも緋色になるのかな」

 騎士になるまで王宮から支給される服は、淡いピンクや水色という柔らかい色のドレスばかりだった。


 壁に貼ったカレンダーにナイフで印を付ける。〝帰還の儀〟まで、あと九十日。この国の一ケ月は三十六日だから、約二ケ月半。


「さて。今日も頑張りますか」

 私は半ば無理矢理に笑顔を作って部屋を出た。

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