第二話 騎士の誓いなんて無効です。
「今日もいい天気ー!」
青い空には大きな赤と緑の月。目を凝らすと大きなクレーターまで見えるのだから、相当巨大なのか、近いのかどちらか。輝く太陽は小さいながらも元の世界と同じように四季をもたらしている。
小さな町くらいある広大な王宮には十数万人が収容できる広場があり、その一角が騎士の訓練場として使われている。体術訓練と剣術訓練が主で、時には馬術訓練を行うこともある。
「エルド、元気だった? 今日もよろしくね!」
私に用意されているのは、黄褐色で白っぽいたてがみの美人の雌馬。魔王討伐に行った時も彼女が私を乗せてくれた。
この世界には背が高い人々が多いからか、馬もかなり大きい。私は近づくのも初めてだった馬を根性で乗りこなして旅に参加した。
召喚された直後の私は、勇者の足手まといにならないようにと必死だったから、馬に乗れるようになったという報告をした時の、一瞬の無言の意味に気が付かなかった。……勇者は私を前に乗せたかったんだと理解したのは、帰ってきてから。
勇者は元・騎士。魔王討伐が終われば騎士に戻ると言っていたのに王女の婚約者となった今は訓練に出てくることもない。顔を合わせることもないから気楽ではある。
「ひゃっ!」
思い出に沈んで、うつむきかけた私の頬をエルドが舐めた。
「あー、ごめんごめん。そうね。今更考えたって仕方ないよね」
異世界の馬だからなのか、エルドは賢い。私の体調が悪い時には速度を落としてくれたり、時には足が痛いという演技で私を休ませてくれたりもした。
今から考えると、魔王討伐の旅が無事だったのはエルドの協力もあったのだと思う。
「乗るよっ!」
声を掛け、
広場を駆け、周囲をぐるりと回ってエルドから降りる。速度も時間も物足りないと思っても、他の騎士たちもいるし邪魔はできない。私は正規の騎士ではなく期間限定の騎士だから、あと二カ月もすれば消えていなくなる。馬術を磨いても、元の世界に戻れば意味がない。
乗せてもらったお礼を言ってエルドを撫でれば、嬉し気にいななく。
「おーい! ユリノ! 嫁が来てるぞー!」
「嫁って誰よ」
騎士仲間の叫びに、くるりと振り返って後悔した。訓練場の入り口で朝とは違う藍色のドレスを着た王子が片手に籠を下げ、可愛らしく手を振っている。
「は?」
王子のドレス姿を見て騎士隊長が目を丸くして固まっているし、顔を引きつらせている隊員もいる。それはそうだ。私だって朝は驚いた。
これは逃げるが勝ち。そんな気がした私は、訓練場の別の出口へと視線を向けると黒い影。
「まぁまぁ。待てよ」
がしりと副隊長の大きな手が私の肩に乗せられた。今年二十八になる青色の髪の豪快な性格の美形。鍛えられた筋肉は騎士服を着ていても隠せない。その体型が勇者に似ているので、時々どきりとする。
「可愛らしい嫁さんじゃないか」
笑いをこらえているのか、ゆがんだ口元を震わせながら騎士仲間が私の退路を塞ぐ。この国の男たちは背が高く、皆百八十センチはあって巨大な壁のよう。三人に囲まれただけで逃げるのが難しくなった。
巫女として付与された力を使えば振り切って逃げることは出来る。そうは思っても仲間を倒すことはできない。抵抗することを諦めると、鼻歌混じりで副隊長が私の背中を押し王子の前に連れて行った。
「王子、どういうことです? 公務は?」
「会談相手が急病で倒れたから、時間が空いたの。それでね。ユリノに会いたくて」
もじもじ。そんな感じで王子は頬を赤らめる。背が高い王子から見下ろされている筈なのに、上目遣いで見られている気分。美形怖い。マジ怖い。
「ユリノ、王子と一緒に散歩に行ってこい。これは命令だ」
硬直していた隊長が立ち直り、にやりと笑って言った。命令だと言われればどうしようもない。
騎士仲間は全員が不自然な程のさわやかな笑顔で、止めてくれそうな人はいない。
「……了解」
私は渋々、王子の差し出す手を取った。
◆
王子に手を引かれ、王宮庭園の東屋の一つへと誘われた。流水で手を洗うように促され、石のベンチに座ると、王子はいそいそと腕に掛けていた籠から
「うわー。可愛いー」
中身はカラフルなサンドイッチ。トマトに卵、レタスやキュウリ、薄切り肉にチーズ等々、切り口が鮮やかで美味しそう。
王子に勧められるままに、手を伸ばした途端に気が付いた。そうだ。この世界では生野菜を食べることはなくて、必ず熱を加えた物がだされている。朝食の生野菜のサラダもありえないメニュー。
卵だって、しっかり以上に火を通されて香草で謎の味付けされているものばかり。半熟なんて食べたことはなかった。衛生環境を考えれば、それは当たり前の調理法で。
「あ。野菜は綺麗に洗って、浄化の魔法を掛けてあるから、大丈夫よ」
手を止めた私の心の中を察したのか、王子が微笑みながら添えられているプチトマトに似た野菜を口に入れた。
きっと卵も浄化魔法を掛けてあるのだろう。それなら安心。
「いただきます」
かぶりついたサンドイッチはとても美味しい。バターやマヨネーズではなくて、滑らかな白いソースが野菜と肉の味を引き立てる。
「……私の手作りなの」
頬を赤らめた王子の言葉を聞いて、私は飲み込もうとしていたパンをのどに詰まらせた。
「うぐっ……」
「ユ、ユリノっ!?」
苦しかったのは一瞬だけで、背中を王子が叩いてくれて飲み込めた。
「……あの……もしかして、朝食も?」
手渡されたお茶を飲んで呼吸を整える。この美味しいサンドイッチが王子の手作り? それだけで私の心は混乱状態に陥った。
「パンは焼いてあるものを切っているだけなの。でも他は私が作っているのよ。時間のかかる料理でなくてごめんなさい。そのうち、料理の時間を取るから楽しみにしておいて」
ぱちり。音がしそうな程のウインクは男と思えない程に艶やか。王子の濃い金色のまつ毛は長い。
「いえ。お忙しい王子のお手を煩わせる訳には……」
王子の公務予定は殺人的だと聞いている。料理をする時間なんてあると思えない。
「私、もっと料理を覚えるから、お嫁さんにして!」
「お断りします」
いくら王子が美形で艶めいていても、私は即答する。私は元の世界に帰るのだし、そもそも嫁はいらないと思う。
「美味しかったです! ごちそうさまでしたーっ!」
食事をして簡単な片づけを終えた瞬間、私は王子の前から全速力で走って逃げた。
◆
王子は毎朝、朝食を持参して私のベッドに潜り込むようになった。鍵をいくつも掛けたり、バリケードを作って抵抗してみても無駄だった。目が覚めると必ず女装した王子が隣で微笑んでいる。
「ありがとうございますっ! 朝食は美味しくいただきますね!」
いろいろ諦めた私は、起きると同時に王子を扉の外へと押し出すことにした。扉を挟んでの攻防が繰り返される。
「ちょっと待って! これを!」
扉の隙間から伸びた手には白い布が握られていて、反射的に受け取ってしまった。
「受け取ったわね! 〝騎士の誓い〟の言葉は省略で構わなくてよ!」
いつもなら扉を開けようと抵抗する手が引っ込む。ぱたりと閉まった扉の向こうからは完全に気配が消えた。
白くて丸い布は、どうやらハンカチ。この世界のハンカチは丸や花の形をしたものが多くて四角いハンカチはあまり見かけない。ハンカチには白い糸で複雑な花紋様が刺繍されていて、料理スキルの次は裁縫スキルをアピールしているのかもしれないと思いつく。可笑しくて、ちょっと笑ってしまう。
騎士の訓練に行くと、騎士仲間がにやにやと意味ありげな笑みを浮かべていた。私の背を叩いて、おめでとうと言う者まで現れた。
「何でおめでとうなの?」
「お前、ついに〝騎士の誓い〟を立てたそうじゃないか!」
「抵抗してたのに、堕ちるの早かったなー」
意味がわからない。そう言うと、
「白いハンカチ? 確かに受け取ったけど」
「うげっ。本当に受け取ってたのか」
げらげらと笑う騎士仲間の説明によると、貴婦人が刺繍したハンカチを騎士が受け取ることは、貴婦人へ剣を捧げ、愛と忠誠を一生誓うということになる。誓いたくない場合には、絶対に受け取ってはいけない。
「誓いの言葉っていうのは、こうだ。『我は御身の剣とならん。我の心は常に御身と共にあり、あらゆる災厄を退けん』って貴婦人に告げて、手巾に口付ける!」
騎士仲間が大袈裟な仕草で、その場面を再現して笑う。
「ま、俺たち平民騎士には、縁がないけどな。貴婦人が声掛けんのは、貴族子息の騎士だしな」
「あー、一度くらい言ってみたかったなー。うらやましいなー」
その表情は面白がっているだけで、絶対にそんなことは思っていないと丸わかり。
「そんなの、早く教えてよ! っていうか、王子は貴婦人じゃないでしょ! 無効よ、無効! 返せばいいのよね?」
私の叫びに、騎士たちはますます笑い転げる。
「返しても無駄だぞ。一度手にしたら、もう俺たち騎士は逃げられない。諦めろ」
一度も話したことがなかった女嫌いの騎士まで、口元を震わせながら私の肩を叩く。
「絶対に返品するんだからぁぁぁぁぁ!」
私の絶叫と騎士たちの馬鹿笑いが、訓練場に響き渡った。
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