第13話 幸せなんですよ?

 突然の訪問者はなんとブルーインパルスのパイロットだった。彩花は知らないけれど、そのパイロットは幸田にとって苦い思い出を残した人物の一人である。彩花はなんとなく二人の間に妙な空気を感じてしまい、少し不安になった。


「学さんのお知り合いなの?」

「うん、ちょっとだけね」

「ちょっと、だけ……?」


 幸田の眉が困ったように下がったのを見て彩花は更に不安になる。


「私、出ていようか? その、お話があるんですよね?」

「彩花さんはそこに居て。隠し事はしたくないから」

「でも」


 幸田はパイロットの八神に椅子に座るように言うと、あらためて挨拶をした。八神は急いできたのかブルーインパルスのフライトスーツを着たままだ。背が高くてスタイルもよく、それでいてひょろくなくよく鍛えらた体をしている。


(わぁ、これはモテそうね……)


 あまりジロジロ見てはいけないと思いながらも、視線はなかなか離せない。だって、フライトスーツにはブルーインパルスのエンブレムやツアーワッペンがついているから。ネームタグもブルーインパルス専用なのね、など気になって仕方がない。そう、人ではなく物に釘付けだった。


「八神さん。お久しぶりですね。本当にブルーインパルスだったんだ」

「あの時は失礼しました。威嚇的な態度をとってしまって大人気なかったと。あなたの潔い引き方に……って、いいんですか? 彼女さんに聞かれても。俺、やっぱり来るべきじゃなかったな。ウォークダウンのときに目に入って、一言、挨拶をしたくて」

「彼女は大丈夫です。最初はあなたに獲られては困ると、途中で帰ろうかと思ったのですが」


 幸田がそこまで話すとはっと我に返ったように彩花は二人の間に割り込んだ。幸田が困っているように見えたから。


「あの! 私、最後まで展示飛行が見れて嬉しかったです。学さんが何を心配しているのか分からないのですけど、ブルーインパルスは最高でした。ハートは特にっ」

「ちょっと、彩花さん。俺、話の途中なんだけど」

「あなたが射抜いた矢なのに、学さんから射抜かれた気分になりました。ブルーインパルスって見ている人をそんなふうに楽しませてくれるんだって。すごいなぁって思ったんです」


 彩花がきらきらと瞳を輝かせて、今日の素晴らしかったことを一生懸命に八神に話して聞かせる。飛行機が飛ぶためにたくさんの人の手がかかっていること、航空自衛隊だけでなく海上自衛隊や陸上自衛隊の今まで見てきて感動したことまで全部話してしまう。


「全然興味がなかったのに、ブルーインパルスがきっかけで学さんに出会いました。私がこんなだから心配ばかりかけていますけど、それでも学さんは私を応援してくれます。八神さんと学さんに何があったかは知りませんが、学さんは八神さんのことも応援していると思いますよ! ね! 学さん」

「えっ、あっ……。もちろんだよ」


 なんにも分かっていない彩花が全部持っていってまとめてしまった。幸田が言おうとしていたことを、すっかりかき消してしまった。すると黙って聞いていた八神が彩花にこう言った。


「君はとても幸田さんのことが好きなんだね」

「はい!」


 幸田は彩花の迷いのない返事に顔を赤くした。それを見た八神は椅子から静かに立ち上がり、幸田に向かってスッと頭を下げた。


「えっ、八神さんっ。なんで!」


 幸田は慌てて立ち上がり八神に頭を上げてくれと頼んだ。八神は顔を上げ真剣な面持ちで幸田に言った。


「俺はなんて失礼なやつだったんだって、思ってさ。真姫を絶対に誰にもやりたくなくて牽制したし威嚇した。かっこつけて彼女の決定に従うと言った。俺は君には負けないと思っていたから。そして真姫は俺を選んだ。嬉しかったしホッとしたよ。なのに、君に勝った優越感とは別に、心の何処かで君に悪いことをしたと思っていた」

「別に、あなたのせいじゃないだろ」


 八神はあの時、去りゆく幸田を見てもしかしたらあれが自分だったかもしれない。そして、自分でなかったことの安堵と、同時に生まれた幸田への哀れみに罪悪感を抱いてしまう。


「同じ自衛官だからかな。気になっていて……。けど、こんな可愛らしい彼女さんがいて、すげえ幸せそうで安心した」


 それを聞いた彩花は躊躇いもなく八神に言う。


「学さんは幸せそうじゃなくて、幸せなんですよ? それは私が一緒にいてとても幸せな気持ちになるからです。幸せでないと、人を幸せにはできないです。もう心配しないで下さいね」

「本当だよな。心配すること自体が失礼だと、今は思うよ。すまない」


 彩花はニコリと笑っておもむろにカメラを取り出した。そしてレンズ交換を始めてしまう。こんな時でも結局はカメラなのかと、もはや諦めを覚えた幸田。


「はい! 握手しましょう」

「彩花さん?」


 彩花は二人に握手をするように促し、自分はそこに焦点を合わせ始める。ピピッとピントを合わせる音が控室に響いた。彩花はファインダーを覗き口元は微笑んだままだ。


「ここに海の方がいたらもっと良かったですけど、あの? お願いします」

「ああ」


 彩花の有無も言わさない雰囲気に二人の男はガッチリとお互いの手を握った。日々の訓練で鍛えられた男の手は彩花にはたまらなく素晴らしい被写体となる。女性と違って筋が浮き立った手の甲、丸く切られた爪は清潔感を与える。太くも細くもない腕、そこに嵌められた腕時計がとてもいい味を出していた。


「いいお写真です。自分で言うのはおかしいですけど、見てください」


 彩花は操作画面をプレビューに変えて、幸田と八神に見せた。八神はその写真を見て「ほぅ」と息を漏らした。


「バックのぼかし具合がいいな! うわぁ、これポスターになるんじゃないか。俺、この写真欲しいな」

「本当ですかっ! わぁ、嬉しい」


 そんな二人の会話を聞いた幸田はコホンと咳払いをして、二人の間に入り込む。


「八神さん。交渉は俺を通してくださいね。直接のコンタクトはNGですよ。もし知れたら、空自への通信は遮断します」

「学さんっ」


 幸田が珍しく人に攻撃的な態度をとった。彩花はひんやりした嫌な汗を感じる。いつも温厚な人が本気で怒ったらどうなるのか、そんな彩花でも想像できる。


「ハハッ、了解した。陸自の通信部隊を敵に回すほど空自もばかじゃない」

「ですよね。でも空を自由に飛べるあなた方は、海まで出て海自のシステムを拝借できますもんね」


 なんだか二人の雲行きがどんどん怪しくなっていく。彩花は気が気でならない。私が気安くあんなことをしたからと、大反省。


「陸から離れれば、圏外だしな」

「ええ残念ながら。しかし、くれぐれも着陸のときはお気をつけください」


 彩花はもうこれ以上は! と、口を開こうとしたら二人の自衛官は大笑いを始める。何がなんだか彩花にはさっぱりだった。


「いや、本当に悪かったよ。でも、訪ねてきてよかった。実は明日の航空祭が公では最後の展示飛行になるんだ」

「えっ、明日が最後でしたか。お疲れ様でした。それに、俺はなんとも思っちゃいませんよ。真姫さんにも宜しくお伝えください」

「ありがとう」


 いつの間にか仲良さげにお互いを労い合いながら、背中を叩いて励ましたりしている。心配した彩花はむうっと膨れて再びカメラを構えた。


(ムカつくからこの二人のアップを連写してやるんだからー)


 カシャカシャカシャカシャカシャッ


 後日、これがまさか基地のホームページのギャラリーにのるなんて彩花は思っていない。ましてやこの二人が、かつての恋敵こいがたきだったなんて思いもしない。白い歯を見せながら笑う男の横顔は隊を越えた友情として写って見えたとか。





 そして、二人はようやく今日のお宿へとやってきた。幸田が宿泊の手続きをしている間、彩花は旅館の中庭を眺めていた。ホテルと旅館の混ざった現代風の造りで、でもあちこちに和の雰囲気が漂う温かみのあるお宿。


「彩花さん、行こうか」

「はい」


 案内されて歩く廊下には等間隔に行燈が置かれてあって、夜にはきっとそこに火が灯るのだ。仲居は部屋につくと一通りの設備や夕飯の時間を説明する。それが終わると二人に「お夕飯のお時間までごゆっくり」と言って下がっていった。二間つづき畳の部屋で、奥には寝室があり布団ではなく低いベッドが並んであった。


「素敵なお部屋! よく予約がとれましたね。ネットで調べた時は何処も満室だったのに」

「うん。ここは同僚から紹介してもらったんだ。なんとか一室、空けてもらった」


 幸田がそう言うと、彩花は「学さんすごい」と喜んだ。そんな風に無邪気にはしゃぐ彩花を見て幸田は和んでしまう。嫌な予感は全部、彩花が吹き飛ばしてしまうから。


(いや、和んでる場合じゃないだろ。オレ)


 色気というものを全く匂わせない彩花に、幸田は何が何でも今夜はキメてやる! そう意気込んでいた。


(中学生のカップルじゃないんだ。立派なオトナの関係になるんだ)


「見てー! 学さん!」

「なに。どうしたの」

「部屋風呂だよ。すごい……贅沢。これ、一緒に入れるね!」


 幸田は彩花の言う一緒に入れるねには、特に意味があるとは思っていない。そんな子供のようにキラキラした笑顔を見せられて嫌な気分はしない。だけど!


(俺だっていつまでも大人しい柴犬ちゃんじゃないんだぞっ。これでも野山を這い回る野生のっ)


「彩花さん」

「はいっ……え、学さん?」


 窓の外を見ていた彩花が振り向くと、もうすぐそこに幸田の顔があった。幸田はトンと彩花の肩を押して、その体を窓に押し付ける。幸田の影が彩花の顔を覆った。


「キス、しますよ」

「あのっ……んっ」


 律儀にキスコールは忘れない幸田。そんな幸田が押し付けた唇はいつまで経っても離れない。彩花はそれにも驚いたけれど、もっと驚いたことがある。触れていた鼻先が角度を変えて見えなくなり、代わりに感じたことのない感触が襲ってきた。だから彩花は体に力が入ってしまってカチコチになってしまった。


(こ、これって……!? もしかして、もしかすると!)


 幸田はしびれを切らしてとうとう彩花の顎に親指をかけた。そしてクイッと力を込める。


「んふっ」


(彩花さん、そろそろオトナ・・・の時間だよ)


「!!」


 柴犬じゃない、俺だってオオカミになるんだよ! と幸田の無言の攻撃が始まった。

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