第26話 なんてこった、やべぇ、どゆことーー!!

 本当に突然だった。朝、隊舎に入り本日のスケジュールを確認しようとしたときに、それはやってきた。話に聞いていたような恐怖は無かった。むしろそれは堂々としていて、断る雰囲気も拒む空気も出せなかった。


「おはようございます。幸田学二等陸尉」

「おはようございます。えっと、どちらの?」

「第1空挺団より参りました。佐藤大さとうまさる一等陸曹であります! 本日、大隊長の命により、貴殿をお迎えに上がりました!」


 ビシッ! と、風を切る音と共に敬礼を受けた学は、脳で考える前に体が動く。


「ご苦労であります!」


 ビシッ! 敬礼で返す。


「段取りはこちらに全てお任せください。では、参りましょう」


 しまった! そう思ったときにはすでに遅く、通信中隊の隊員たちから敬礼で見送られてしまう。声に出しはしないが、大橋通信隊長の口パクが悲壮感を醸し出す。


『幸田! 生きてかえって来いよ!』

(なんてぶっそうな励ましなんだ......)


 こんな正々堂々と正面からやって来るとは思わなかった。だったらこの一週間、ビクビク過ごす必要はなかったじゃないか。なんて思ってしまう。

 学は前を行く佐藤一曹の背中をじっと見つめながら歩いた。逃げようと思えば逃げられる。しかしその背中からは、逃げたりしないですよねと無言の圧力が感じられた。もっとも学は、逃げようなど思ってはいない。


「幸田二尉。本日はモニターツアーも兼ねているのですよ。我が空挺団の新人隊員が日頃の訓練を披露するんです。彼らはようやく、飛び出すことになれたばかりです。なので幸田二尉は心配いりません。二尉だけ悪く目立ったりしませんから」

「そうですか。気遣い感謝します。しかし、なんの訓練もしたことのない自分が飛び出せるものなのでしょうか。あなた方に恥をかかせることになりますが」

「あはは。心配には及びませんよ。恥なんてかいてなんぼです。空挺団とは言え、もとは普通の一般人だったんですよ。その彼らが逞しくなっていく姿を見せるのも、我々の仕事です。大丈夫です。ぶら下がるだけですから」


 足を止めて幸田を振り返り、眩しいくらいの笑顔でそういった佐藤一曹に、幸田は何も言い返せなかった。


(中止する可能性はゼロのようだな。俺も悪あがきはやめて、いい加減諦めるとするか)


 はぁ......と、心の中で何度もため息をついて、習志野駐屯地の演習場へと入った。





 学はこの春から空挺団として着隊した団員と、飛び出し訓練の説明を受けた。彼らは陸上自衛隊の各部隊からの推薦、もしくは強い希望で集まった精鋭たちだ。いくら新人とはいえ、昨日今日で自衛官になった人間ではない。むしろ学より、戦いにおいては優れているのだ。


「これまでの訓練の成果を出すときが来た! 無様な姿は晒すなよ! 飛べない可能性のあるやつは今のうちに申し出よ!」


 隊長の声に一層気を引き締めて、新人団員たちは一点を見つめた。誰も申し出る者はいない。


(待ってくれよ。無様な姿は晒すなって……いや、俺。俺はどうなるんだ。ここは、勇気を持って撤退すべきか)


 学はここ一番の勇気を出して、隊列から一歩前に踏み出した。


「失礼ながら、自分はっ、この手の訓練などしたことはなく! 無様な姿を晒すと思われます!」


 学のバクバク鳴り響く心音が、緊張と目の前にいる厳つい隊長に怯えていることを裏付けた。空挺団の恥だと言われるよりも、ここで情けないと罵られたほうがマシだ。そう思った。


「ああ、君は通信中隊の……」

「幸田学ニ等陸尉であります!」

「その、心意気! この藤崎がしかと受け止めた! 飛び出し訓練の許可を出す!」

「は!? な、なな……」

「以上! 訓練準備に取りかかれー!」


 勇気ある撤退がまさかの宣誓になるとは。学は片手で顔を覆い、思わず天を仰いだ。


(なんてこった……)




 そんなこんなのやり取りがあったなんて、彩花は思うまい。隊列の最後尾を歩く自分の夫を見て、心臓が跳ね上がった。


(学さん、なんで? どうしてこの訓練に? もしかして空挺団に異動になったの? ねえ、どういうこと?)


 カメラの焦点を学に合わせると、意を決したような強い眼差しがあった。奥歯を喰いしばり、降下訓練棟を見上げるその横顔は、彩花が思う学の最もかっこいい横顔だ。


(学さん……素敵)


 もう、心配などどこへやら。学の勇姿が見られると、彩花の気持ちが高鳴っていく。


「どうしよう。たまらないわっ。かっこいいよ、学さん」


 

 いよいよ降下訓練が始まる。彩花たちモニターツアー客は、指定された場所から見上げる。ハーネスを装着し、バンジージャンプをするように飛び出すそうだ。航空機から飛び出した時の姿勢をここで叩き込むらしい。


「4月から入団した若手の隊員たちです。基礎訓練を終えて、本日からこの降下訓練棟から飛び出し訓練を行います。飛び出す前に、決意表明を述べて飛びますので耳を傾けてみてください」


 地本の田中がそう言って、高い塔のてっぺんを指さした。すでに上では最初の一人が準備をしているところだ。いよいよ、飛び出す。

 彩花はカメラをそこに向ける。シャッタースピードがいまいち分からないので、スポーツモードの連写で挑戦することにした。


「先ず、手本として空挺団で隊長を務める藤崎ニ等陸佐が飛びます」


(え、けっこう偉い人がお手本をみせるんだ! すごい)


 がぜん、彩花のやる気に火がついた。


「空挺中隊隊長! 藤崎陸斗ふじさきりくとニ等陸佐! 飛びます! 精鋭無比せいえいむひ、レンジャー!」


 カシャン、というかすかな金属音がして、高さ11メートルから隊長が飛び出した。ゴムが伸びるようにビヨンビヨンと上下しながら着地した。


「おお……」


 見ているモニターツアー客は見事な飛び出しに、ただただ唸る。しかし、彩花は違った。


 カシャカシャカシャカシャ……


 鋭い眼光、微塵の躊躇いもなく、素早く飛び出し、ブレることなく姿勢を保ち、軽やかに着地。彩花には、本当に落下傘を開いているかのように見えたのだ。撮り終わってプレビュー画面で確認をする。


「わ……」


 奇跡的にうまく光の調整ができていた。小さな画面で見てもわかる、臨場感あふれるものが撮れた。


(うん! これならイケるわ! 学さんもかっこよく撮れる!)


 隊長の飛び出しを皮切りに、隊員たちが次々と飛び出してくる。若さ溢れる隊員からは、ベテランとは違う輝きが見えた気がした。


FFフリーフォールとるぞー!」

「降下隊員になるぞー!」

「レンジャー合格するぞー!」


 それぞれにある、初々ういういしい目標を大声で叫んでから飛び出す姿は、ベテラン隊員にはもうないものだ。


 そして、ついにその時はやってきた! そう、学が飛び出す番が来たのだ!


「学さん……がんばって」


 囁く程度の声で、彩花は言う。喉の乾きがいっそう増すのを、唾を飲み込んで誤魔化した。ふと、彩花は思った。


(写真じゃなくて、ビデオがいいかもしれない)


 急遽、モードチェンジしてビデオカメラに切り替える。三脚は持ってきていないので、立てた膝に肘を乗せてブレないよう態勢を変えた。

 隊員からなにやら説明を受けている学は、うん、うんと何度も頷いている。ハーネスをつけ終えていよいよ飛び出し口に姿を現した。


(学さん……)


「通信中隊、幸田学ニ等陸尉! 国民のっ、笑顔を守ります!」

「顎引いて! そう」

「飛びまーす!」


 前傾姿勢になり、つま先が床を蹴って、カシャンという金属音がすると学はもう飛び出していた。飛び出す瞬間は何を思っただろうか。一瞬、固く瞼を瞑ったのが分かった。ビヨンビヨンと上下しながら、ぐわん、ふわん、と揺れながら着地。残念ながら尻もちをついての地上への帰還。しかし、素早く立ち上がり敬礼して後ろへ下がった。


(よかった、ちゃんと着地したね)




 学は彩花がモニターで来ているなんて知らないし、カメラを向けているのが彩花だなんて思ってもいない。それよりも、目の肥えたモニターツアー客を前に、尻もちをついてしまったことを恥じていた。


「申し訳ありません! 皆さんの顔に泥を塗ってしまいましたっ」

「何を言っているのかね、幸田ニ尉。もともと我々は、泥を顔に塗って前進する部隊だぞ。尻もちついたくらいでは足りんな」

「はっ、失礼しました!」


 一番最初に飛び出した藤崎中隊長が、その程度で何を言うと幸田を励ます。作戦の場合は着地後に素早く傘を回収し、己が目立つようならばその場で土を顔に擦り付ける。決して敵に姿を捉えられてはならないからだ。


「気に入った! 幸田! 特別に夏祭りはうちの団員に混ぜてやる。みんなうちの団の出し物を楽しみにしているからな」

「そんな! とんでもないです!」

「通信中隊とは切っても切れぬ関係だ。我々の命を繋いでもらっているようなもの。遠慮するな、幸田ニ尉を歓迎する! ふはははっ」


 歓迎されたのは有り難いことである。が、幸田は空挺団と交わることは望んでいない。こんなレスラーみたいな人間たちと、自分が渡り合えるとは思っていないからだ。


「やべぇ……この展開」


 夏祭りの出し物を空挺団とすることになるなんて! 学の視界が僅かに霞んだのを誰も知らない。


「おい! お前、もう一人分のふんどしを追加しておけ! お客さんだから新品な!」

「はい!」


(え、なになに、褌? いや、気のせいだろ。俺、耳までいっちゃってるな……)


 聞きたくない単語は抹消するのだ。それが見えない敵から身を守る最大の防御。


「あはは、は……はははは」


 敵は降下棟にはいなかった!





 モニターツアーの参加者は、飛び出し訓練を見たあと、隊舎の一室でビデオを見ていた。

 昨年度の「降下訓練初め」というもので、新年最初の降下を、一般にも見学を開放している。防衛大臣も見学にやってくる大きな行事だ。


「わぁー。すごいですね! どんどん降りてくる」


 C−1輸送機の後部のドアから、等間隔で空挺団の団員がパラパラ降りてくる。秒感覚で飛び出す彼らの乱れぬ降下は、ビデオだけでも迫力があった。


(これ、見たいな……)


 彩花の驚きの声に地本の田中が答える。


「すごいのは降下してくる団員だけではありません。実は輸送機を操縦しているパイロットもすごいんです。時速を210キロまで落として飛行しなければならない。失速速度ギリギリをたもつのはそうとうな技量が必要になります。しかも、一人飛び降りるたびに、約120キロ減っていくんです。航空機にとって、積載重量が変わるのはとても大変なことなんです」

「そうなんですね! 知りませんでした。降下作戦に関わる人、すべてが優秀な人材なんですね」

「ええ、そりゃもう。エリート中のエリートですよ」


 降下する隊員の総装備がおよそ60キロ〜70キロと言われている。自分の体重より重い装備を身に着けるなんて! 普通すぎる世界で、普通の体型で生まれた彩花には想像のつかない世界だった。


「とてもお勉強になりました。ありがとうございます!」




 こうして彩花は、来る前には想像していなかった以上の収穫を得ることができた。帰宅後はもちろん録画した学の動画チェックだ。テレビ画面に繋いで、学の飛び出しを何度も見た。


 夕飯の準備が終わり。あとは学の帰宅を待つばかり。その間も、学の飛び出しはリビングに流れっぱなし。


「遅いな、学さん」


 興奮しすぎたのか、睡魔が襲ってくる。ちょっとだけと彩花はソファーに身を沈めた。





 ガチャ……


「ただいま?」


 物音しないリビングから、なにやら音が漏れている。疲れ切って帰宅した学が見たのは、思い出したくもない自分の姿。


「え……なになに、どゆこと!?」


 肝心の彩花は、気持ち良さそうに目を閉じたままだ。反するように、テレビの画面は煌々と光を放っている。


『通信中隊、幸田学ニ等陸尉! 国民のっ、笑顔を守ります!』

『顎引いて! そう』

『飛びまーす!』

 カシャン


「うわぁぁぁぁ!! なんで、なんでぇー!」


 両手で頭を抱える幸田小隊長の雄叫びが、B棟に響き渡った。



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