第27話 まっ、まっ、まーなーぶーさぁぁぁん!

 彩花は知った。習志野駐屯地夏祭りでは隊員達による、たくさんの催し物があるということを。そして、名物は空挺隊員のダンスであるということを。


「隊員さんたちが踊るんですか? すごい、すごいです!」

「そうなの。うちの人もやるみたい」

「わー! それ、絶対に見なきゃですねっ。まさか、藤崎さんのご主人が隊長さんだったなんて! 感動です。あっ、先日のモニターツアーは本当にありがとうございました。あの、お礼にならないんですけど、これよかったら」


 あの日、降下訓練棟から一番に飛び出したのが、同じB棟の藤崎会長の夫、藤崎陸斗ニ等陸佐だったのだ。


「これは? あら! これ、うちの人じゃない? すごく素敵に撮れてるわ。家で転がってる人とは思えない顔つきね……まぁ……」

「ご主人、とってもかっこよくて。本当にきれいな姿勢だったんです。忍者みたいでした!」


 彩花が渡したのは、藤崎ニ佐の飛び出し訓練の様子を撮ったものだ。光がうまく抑えられていて、戦闘服姿の凛々しい姿がよりいっそう濃く写っていた。厳しさ、鋭さ、逞しさが全面に出た男らしい写真だ。


「ありがとう。なんだか、惚れなおしそう」

「惚れ直してください! 誰が見てもかっこよかったです。立派な自衛官さんです」


 毎日、戦闘服姿で出勤する夫を見送っているというのに、実際にこうして働いている姿は見たことがない。家族だからと優先されることはなく、家族だから我慢を強いられることの方が多い。よその子が未来の自衛官候補といって優遇される基地見学は、我が子にはなかなか巡ってこない。外で職業を聞かれても、公務員ですと曖昧に返すだけ。理解が広がったとはいえ、どこによく思わない人がいるか分からない。国民を守る仕事をしているのに、家族はいつも肩身狭く、目立たぬように気を使っていたりする。


「ありがとう。大切にするわ、嬉しい」

「はい」


 彩花の撮った写真でひとつの家庭に笑顔と、一家のあるじの威厳が少しだけ増えたならこれ以上の望みはない。彩花自身、自分が撮った写真でこんなに喜んでもらえたこともない。この時は心の底から、カメラを持っていてよかったと思った。





「なあ、彩花。ちょっといいか」

「なあに? え、なんであらたまってるの」


 いよいよ明日から夏祭りがはじまる。この日のために学たちは、毎日遅くまで準備をしてきた。通信部隊として、祭りの盛り上がりをサポートするという重要な任務だ。無線、マイク、音響、光の演出まで一手に引き受けているのだ。


「祭り、見に来るんだよな?」

「うん。ご近所さんたちと行くよ」

「カメラも、持って来るよな」

「もちろん! って、どうかしたの?」

「いや、やっぱりいいや。楽しんでもらえたらそれでいい」


 駐屯地のお祭りを、彩花はとても楽しみにしていた。ここの祭りはすごいよと、どこに行っても言われる。それに、街中の至るところにはポスターが貼ってあって、地域の目玉のようにも思えたから。


「変なの。あ、もしかして写真が嫌だった、とか? この前、勝手に降下訓練撮っちゃったから……」

「いや、そうじゃないよ。ま、その、あれを見に来てたってのは驚いたし、しかもビデオだったとか、俺の範疇を超えてたのは確かさ。でもさ、いい記念になったよ」

「ほんとう?」

「うん。本当だ」


 だけど、そう頻繁にあの動画を流さないでくれよなと、念押しをした。自分が動いている姿を見るなんて、やっぱ恥ずかしい。 


「あとさ、夏祭りで俺がどんなに情けなくて、どんなにみっともない姿を晒していても……嫌いにならないでくれよな」

「え?」


 彩花は学に、そんなことを言われたのは初めてで、どういう事なのか暫く考えた。 


(情けなくて、みっともない姿って?)


 学の表情はいつになく硬く、不安を滲ませている。いったい夏祭りで、どんなことをするというのか。


「よく分かんないんだけど、学さんのこと嫌いになったりしないよ」

「ありがとう。でも、そんな姿見かけても、写真撮らなくていいからな」

「もう! 学さん!」

「ひっ」


 うだうだ悩んだり、自分を卑下するのはよくない! もっと誇りと自身を持って欲しい。だから彩花は、強い口調で言う。


「お祭りだよ? そのためにヤルことなんでしょう? 見に来てくれる人を楽しませるためにするんだよね? 私のことなんか、気にしちゃダメ! どんな学さんでも大好きは変わらない。しっかりあの子カメラに残します」


 彩花はキリッと表情を引き締めて、学を見つめた。学は心の中で、しまったと後悔をする。彩花はそんな事で自分を貶したり、情けないなんて思ったりしない。それよりも、なによりも、彩花の撮影熱に、油を注いでしまったことが恐ろしい。


「あ、ありがとう。彩花。でも、あの子カメラにだけは残さなくて大丈夫だよ。彩花の目に焼き付けてもらえれば……」

「うふふ。学さん、あの子カメラは私の目だよ?」

「うへっ」


 にっこり笑顔で彩花が言う。学は引きつりそうになる口元を指先を使って緩める。


(その、カメラがマズイんだってぇ……)


 学は自分の姿だけは撮らないでくれ、とは言えなかった。理由を言えば、彩花は躍起になって自分を探すはずだ。黙っていれば、ひょっとしたら見つけられないかもしれない! なんせ広い駐屯地、大混雑する会場だ。


 そのわずかな可能性と運に、学はかけることにした。


「とにかく、彩花は夏祭りを楽しんでよ。俺のことはその次。なんせ俺たちがもてなす側なんだからさ。それに俺は裏方で表にはいないし。な? 俺のことはその次。いいね」

「うん? うん」


 どうか、俺を探さないでくれ。そんなことを心の中で願いながら、その日は早くベッドに入った。





 翌朝。

 準備があるからと、学は夜が開ける前から出ていった。彩花を起こしたのは起床ラッパではなく、普通のアラーム音だった。これは、学のご近所さんへの気遣いなのだが、彩花は気づいていない。


「あれ? セットミスしちゃってる」


 すぐに起きない彩花を起こすには、かなりの時間と音量を要することになる。そんな状態で起床ラッパが鳴り響いたから、B棟どころかお向かいのA棟まで騒ぎが広がる。そんなことは露知らず、彩花はいつもの調子で朝の身支度をはじめた。


「わー! 良い天気。よかったぁ」


 カーテンを開けると、夏のギラギラした太陽が部屋に差し込んだ。今日は同じ棟のご婦人たちと会場へ行くことになっている。自衛官の妻として、抑えておくべき関係者を教えてくれるらしい。


「通信中隊の幸田学の妻です。いつも夫がお世話になっております……で、いいのかな。妻ですって、えへへ。なんか、照れちゃう」


 夫に恥をかかせてはいけないと、彩花なりに一生懸命なのだ。



 お昼を回った頃、同じ官舎に住む先輩自衛官妻たちと駐屯地にやって来た。入り口となる門には【習志野駐屯地夏まつり】の大きな横断幕が張ってあった。

 たくさんの屋台が並び、子供から大人まで楽しそうに歩いている。ここの模擬店は、なんと隊員たちがやっているのだ。


「浴衣を着ている人もいますね〜。普通のお祭りだ」


 彩花が感動して声を出すと、学の部下に当たる佐々木の妻も頷く。


「うちは昨年越してきたんですけど、本当に驚きました。とても賑やかなんですよ」


 官舎住まい歴の浅い妻たちは、みんな初めは驚くらしい。自衛官の妻よりも、ここに暮らす地域の人たちの方が慣れている。どこに陣取れば催し物がよく見えるのかなんて、勝手知ったる我が家のように詳しい。


「ここがメイン会場よ。ほら、降下訓練棟があるでしょう。あれが目印」


 夫が空挺団に所属する妻たちも慣れたもの。空挺に属する限りは引っ越すことはないからだ。


 会場ではいろいろなイベントがある。模擬店だけでなく、自衛官たちの相撲大会、自衛隊車輌体験試乗、歴史館見学、そして、お化け屋敷たるものまである。夜は花火もあがるのだ。


「隊員さんたちがやっているお店なんですが、売上って何に使うんでしょう? 打ち上げ?」


 何気ない疑問が湧いてきた。よく考えれば忙しい学からは何も聞かされていなかった。学はどこで何をしているのか。裏方だからと言っていたけれど、まったく姿を表さないのだろうか。


「そうね、打ち上げに使うかもしれないけれど、主人の話では備品購入の足しにするそうよ。国からの予算じゃ足りないみたいでね。グローブとか、弾薬入れとか、恥ずかしい話、トイレットペーパーなんかも買えないくらい貧乏なんですって」

「えぇ……知らなかったです」


 ベテラン自衛官妻たちは苦笑いだ。国防費ってどこに流れているのかしらねと皮肉ってみる。


「だから、トイレットペーパーをディスカウントショップで買って、夫に持たせたりしてる。みんなで仲良く使ってねって。笑っちゃうでしょ」


 なるほどと、彩花は頷いた。


(今度からトイレットペーパーたくさん買わないと!!)


 気合を入れる場所がなにか違うのはさておき、メイン会場で自衛官たちの催し物が始まった。


 空挺隊員による太鼓の演舞。ムキムキマッチョな隊員たちがステージに上がり太鼓を披露する。まんべんなく焼けた肌と筋肉は男らしさに拍車をかける。


(え……なんで、褌……。法被とか着ないんだ)


「幸田さん! カメラ用意して! これ終わったら、メインのやつ来るわよー」

「メインのやつって……??」


 彩花は言われるがままにカメラを取り出して、レンズカバーを外した。すると婦人の藤崎がこっそり彩花に耳打ちをする。


「幸田さん、ドン引かないであげてねっ」

「えっ」


 意味ありげに囁く藤崎に彩花は目をパチパチさせる。


「いい写真が撮れるわよー。家族会新聞に使えるかも」

「そんなにすごいんですか!?」

「お楽しみに〜」


 空挺隊員の妻たちは、今年の出来栄えはどうかしらなどと腕を組んで彼らの登場を待っている。何も知らない彩花は佐々木の妻に視線を向けた。


「本当に、すごいんですよ」


 とにかく凄いらしい。さあ、さあ、といつの間にか良い場所に押しやられ、なんと主賓者席の後ろを確保できた。お偉い様方は立ち上がって見ないので好都合というわけだ。

 

 さっそく彩花はレンズを伸ばし、正面にピントを合わせて彼らの登場を待った。


「おおー!!」


 来客が一斉に声を上げた。その方向に目を向けると、神輿を担いだ褌姿の隊員が現れた。


「あれ、大隊長ね。ふふっ。また、派手なご登場だわ」


 なんと、神輿の上に威風堂々と座るのは空挺団のトップである大隊長だそうだ。一人だけ制服姿なのでとても目立っている。


(神様、なの? す、すごい……)


 大隊長の周りを取り囲むようにしていた、褌姿の隊員たちが配置についた。それはもう圧倒されないわけがない。会場一面にムッキムキの褌軍団が散らばったからだ。


「なにこれ……すごいー!」


 彩花に何かのスイッチが入る。カメラのシャッターは止まらない。大隊長の厳かな登場と、神輿から降りてからの静寂が何かを期待させた。


 ザッ! パパッ!


 鮮やかな手の振りが合図になったのか。突然、ハードな音楽が鳴り始め、腰から抜いたのは【銃】でも【剣】はなく【ケミカルライト】だった。


「えー! なにそれ、うそー!!」


 目の前で、光る棒をもった大隊長はじめとする、屈強な男たちがキレッキレに踊り始めたのだ。


(これが、メインのヤツ!!)


 彩花は夢中になってシャッターを切る。しかし、これじゃ間に合わないとカメラをビデオモードに切り替えた。


「すごぃぃー! キレッキレ! あっ、声入っちゃった」


 毎年何かしらの芸を見せる第1空挺団の隊員は、一糸乱れぬその身のこなしで会場を魅了した。


「幸田さん! あそこ、うちの人っ」

「えっ、どこですか。あ、藤崎隊長だー。すごい、すごい。褌でもかっこいいですね。あはは……は!?」

「どうしたの?」

「あっ、あっ、あっ、あぁぁー!!」


 藤崎隊長の斜め後ろに、どこからどう見ても空挺隊員ではない男が踊っている。白の褌にその他は身に着けず、オレンジ色に光るケミカルライトを持った人。


「「幸田さん?」」


「まっ、まっ、まーなーぶーさぁぁぁん」


 幸田学はたしかに通信中隊の小隊長。


 なぜそこに居る!!

 

 

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