カメラとわたしと自衛官〜不憫なんて言わせない!カメラ女子と自衛官の馴れ初め話〜

佐伯瑠璃(ユーリ)

オートフォーカス

第1話 巻き込まれていたサイン会

 雲ひとつない空の下、彩花さいかはぽかんと口を開けたままスマートフォンをかざしていた。そうしているのは彩花だけではない。通りすがりのおじさんも、買い物途中のおばさんも、配達途中のお兄さんも、みんなが同じかっこうをしている。小さな子供は指を真上にさしてジャンプした。みんなが向けたスマートフォンのレンズは、青い空にキラキラと銀色に光る小さな鉄の塊をとらえる。「キターッ!」という誰かの声に慌てて指を構えた。ゴー! と言うジェット音がしたと思ったら、ボタンを押す暇もなくその姿はフレームから消えた。


「えーっ、速いよっ。連写ってどうするんだっけ」


 彩花は今更とは思いつつも、スマートフォンのカメラ設定を確認する。すると、一分も経たないうちにまた誰かが「キタキターッ」と叫んだ。


「どこ? どれ!」


 音をする方を見るけれどその姿はどこにもない。いや、高度が高すぎて、その青い空に溶け込みすぎて気づかなかっただけ。キラッと光った次の瞬間!


「うわぁ」


 最初は驚きからだった。それが歓喜の声に変わりそして、ため息に変わった。空に途切れることのない真っ白な飛行機雲が浮かび上がった。コンパスじゃないと描けないくらいに美しい輪が六つ、それは花びらのように現れた。


「あ! 写真!」


 彩花はハッと我に返り夢中でその画を撮った。あんな空高くにあるはずなのに、このワイドの画面からはみ出してしまう。膝をついて体を低くして、それでも全部は収まらない。


「きれいだなぁ。すごいよ! すごい!」


 その場にとどまった人たち全員がそう言って、気づくと空に向かって拍手をしていた。誰かが言った「サクラだよ」と。


(サクラ……確かに、見えるかも!)


 音速に近い速度で空を飛んだのは見慣れた旅客機ではない。彩花が偶然にもその場に居合わせたのは、ブルーインパルス記念祝賀飛行だった。航空自衛隊の広報のかなめである彼らは、こうした市民行事でも飛ぶことがある。そんな事とは知らない彩花は、スマートフォンのアルバムを熱心に確認していた。


「あっ、撮れてるよ! ちゃんと撮れてる。かわいいなぁサクラ。待受にしちゃおう」


 スマートフォンの待受に真っ青な空に浮かんだサクラを設定し、にこやかな顔のままもう一度空を見た。


「飛行機雲で絵が描けるなんてすごい。小さかったけどあの飛行機、かっこよかったな」


 フレームの中心から随分とずれているけれど、かろうじて収まった小型のお腹の青いミニジェット飛行機。彩花の心臓は久しぶりに高まった。ふぅと、視線をともに戻して初めて気がつく。


「なにこの行列……え、いつの間にか私、並んでる?」


 上ばかり見ていたせいで自分が流されて移動していたことに気づかなかった彩花は、行列の真ん中あたりにしっかりと並んでいた。


「パンフレットです。どうぞ。はい、どうぞ」


 前方から青色のツナギを着た青年が、何かのパンフレットを配り始めた。それに駆け寄って貰う人、私も僕もと手を出す人を見て彩花は驚いた。いったい何が始まるのだろうと。少し冷静になって周りを見ると、後ろになんとも立派なカメラを下げた男性がいた。この場になれた雰囲気に彩花は勇気を出して問いかける。


「あの、これはなんの列ですか?」


 男性は彩花にこう答えた。


「この列は隊長さんの列ですね」

「隊長さん」

「えっと、この方です。素晴らしい経歴をお持ちですよ。本当にかっこいいですから」

「ありがとうございます」


 男性が見せてくれたのはパンフレットだった。青いツナギに青いキャップ、斜めに構えた凛々しい男たちがズラリと並んだものだ。彩花は思わず「私にもください!」と手を上げた。何となく貰わなければいけないと思ったから。彩花のよく通る声も女性たちに囲まれてしまった青色のツナギ服の青年には届かない。でも、列を離れるわけにはいかないともどかしい気持ちでパンフレットを待つ。


「だめだ。全然こっちに来ない。なんなの、彼はアイドルなの?」

「アイドルではありませんよ。彼はドルフィンキーパーと言って、ブルーインパルスの整備士です。はい、どうぞ」


 後ろから声をかけてきたのは濃い緑色の制服を着た男性で、自衛隊広報という腕章をつけていた。


「ありがとうございます。すみません、何も知らなくて……」

「いえいえ。これから知っていただければ有り難いです。そのためのイベントですから」


 真面目を絵に書いたような人だと彩花は思った。制服を着ているせいか、それが自衛官だからか、姿勢がよくハキハキとしたものの言い方で彩花には好感よく映った。いつも接している男性にはない雰囲気だったからかもしれない。


「え……自衛隊のイベントだったの」


 自分が自衛隊のイベントで、しかもそれ関連の列に並んでいたなんて思ってもいなかった。まさかの出来事に彩花は唖然とした。


(ヤバイ、すごいところに混じってしまった。あぁぁ、どうしよう。あ、前に進んでる)


「隊長の列だって! やったね!」


 決して若いとは言えない女性たちが小さくガッツポーズをして喜ぶ。


「今度、航空祭行くんですよ。その前にお会いできるなんてラッキーよねー」


 友人と来ているのか大盛り上がりだった。彩花はそんな大変なことなのかと列から脱するのをやめた。


(その隊長とやらを見てみよう。パンフレットに一番機って書いてあるし。あ! パイロットってこと!? あのサクラを描いた人たちの!?)


 列の先頭がくるまで、彩花はもらったパンフレットを穴が開くほど角から角まで読んでいた。




 そして、彩花もすっかり魅せられることになる。


「隊長、かっこよかった……」


 彩花が手にしていたパンフレットには隊長さんのサインが書かれ、スマートフォンには隊長さんとのツーショットが収まっている。


「サイン会とか、初めて……」


 彩花にとって人生初の握手&サイン会が偶然並んでいた列で行われた。しかも、それが人気のある隊長さんの列。自分よりも遥かに年上の渋いおじ様だった。あの人があれに乗ってこれを描いてと、そう思いながら写真を見るとまた、ため息が出た。


「人間って、すごい」


 この場の空気を失いたくなくて、彩花は離れた場所から写真を撮った。そこに映る人々の自然な笑みと、広報で彼らを繋ぐ自衛官たちは生き生きとしていた。


「いい記念になったぁ。よし、帰ろう」


 スマートフォンをバッグに閉まって、彩花は地下鉄の駅へと足を動かした。






ガシャン……


「わっ。やっちゃった」


 彩花はホームへ続く改札でおもいっきり引っかかってしまう。何度タッチしても赤いランプのまま通してもらえない。まさかと思いパスケースを開くと、そこにあるはずの物がない。


「ICカードが入ってないじゃん。あれ? どこにいったの」


 バッグの中をどんなに探してもICカードは見つからない。通勤定期と一緒になっているから余計に焦ってしまう。


「ないっ! 落とした……どこで」


 ここに来たときも使ったのだから、家にないことは確かだった。彩花は深呼吸をして自分の足取りを頭の中で辿る。やっぱりあそこしかない。


「戻ろう!」


 空に見とれていたから気付かなかったんだ。ICカードは絶対にあそこにある! ないと困る。半年分の通勤手当が! 彩花はさっきまでいたイベント会場に走った。すれ違う人がにこやかに楽しかったねと和む帰り道を、彩花は縫うようにして逆走した。


「はぁ、はぁ、着いた……あれ?」


 テントも列も、ものの見事になくなっている。ゴミ一つ落ちていない。ここには何も無い! と、ひと目で分かるくらいきれいさっぱりでその景色を見た彩花は頭を抱えて屈み込んだ。


「最悪ぅー。定期が……うわぁ」


 せっかくラッキーな一日だったのに。スマートフォンの待受をきれいなサクラにしたのに。それに乗っていた隊長さんのサインも握手も貰ったのに。最後の最後でおかした大失態。彩花はそんな自分にガッカリしすぎて暫く立ち上がることができなかった。


「どうしよう、はぁぁ……」


 雲ひとつない、晴れた空が恨めしい。だから気づかない。彩花の正面から黒の革靴が規則正しい音を鳴らして近づいていることに。


コツ、コツ、コツ、コツ、コツッ……


 何度こぼしたか分からない情けないため息がアスファルトに溶けていく。そんな灰色の視界の端っこに映った黒い靴。


「気分が悪いのですか?」

「ひっ」


 彩花は突然かけられた言葉に失礼にも驚いて、その場に尻もちをついてしまった。


「大丈夫ですか。どこかで休みますか」


 低くて落ち着いた声の男性がそっと彩花に手を差し伸べる。恐る恐る見上げると、そこにいたのは制服姿の男性だった。そう、イベント会場にいたであろう広報の自衛官だ。思わず彩花は叫ぶように問いかけた。


「定期券! ICカード落ちていませんでしたか!」


 自衛官の男は驚いて目を見開いた。病人のわりには元気で大きな声だと驚いたのかもしれない。


「あのっ、私の通勤手当が」

「先ずは落ち着きましょう。探しものをしているのですね」

「はい!」


 彩花は藁にもすがる思いでその自衛官の差し伸べた手を勢いよく掴んだ。

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