第17話 その涙の理由
まさかの二回目救護テント搬送は、意識がしっかりした状態だった。そしてそのまさかは重なるもの。
迷彩服の袖をまでまくり上げた医官が彩花の顔を覗き込んだ。
「どうしました? おや? また、お会いしましたねお嬢さん」
泣いたあとの少し腫れぼったい目で、彩花は医官を気まずそうに見た。あの時の、医官だった。
「あの……すみません。どうもしていないんです」
「そう? 目が、腫れているけど。まさかうちのバカに」
「違いますっ。学さんは、そんな人ではありませんから」
「ほぅ。学さん、ね」
「あっ」
医官は彩花を運んできた隊員に小声で何か告げると、その隊員は静かにテントから出て行った。テントの中は医官と彩花の二人きりだ。
「さて、お嬢さん。一応これに記入いただけるかな。具合が悪くないなら、そう書いてもらって構いません」
「はい。ご迷惑を、おかけします……医官、さん?」
「私は秋月と申します。一応この基地では古株ですが、取って食ったりしませんからご安心ください」
「とって! えっ、あ、いや」
彩花が目を白黒して適当な言葉を探しているのがおかしくて、秋月はとうとう笑いだした。
「わははっ。こりゃ、幸田ニ尉が官舎を出ていくのもわかるな。お嬢さんといると飽きないんだろうね」
「学さんを、ご存知なんですか?」
「知っているもなにも、君の連絡先を教えたのは」
ーー ザザッ
黒いブーツがテントの入口で、砂利を強く踏みしめた。
「彩花っ!!」
勢いよく救護テントに入ってきたのは紛れもなく幸田だった。入ってくるやいなや、彩花の前で膝をついて大丈夫かと覗き込む。
「ま、学さん」
「幸田ニ尉。診察中だぞ」
「はっ、失礼しました! 秋月ニ佐!」
幸田は我に返ったのか素早く立ち、秋月に敬礼をした。
(医官さんは学さんより、偉い人……? 確かに、年上だよね)
自衛隊の階級など知りもしない彩花には不思議な光景だ。ビシッと立つ幸田をよそに、彩花は問診票の全てを埋めた。
「本当に何ともないんです。申し訳けありません。私の妙な行動が、勘違いさせてしまいました」
「どんな行動だろう。今後の参考にさせてもらいたい」
「えっと……その、あの……」
いつもはハキハキと発言する彩花が口どもる。思わず幸田は声をかけた。
「人に、知られたくないことなのか?」
「そうではなくて、むしろ知って欲しいくらいな事だよ。でも、なんて言ったらいいか……あっ!」
彩花は言葉より見せたほうが早い。そう思って、カメラの電源を入れた。そしてそれを秋月ニ佐の方に向けて撮った画像を再生させた。
「これは、通信部隊の訓練展示じゃないか」
「え?」
幸田もカメラの画像を覗き込む。秋月ニ佐が言うように、間違いなくそれは先程の訓練展示だった。
「わたし、学さんを見失わないようにファインダーをずっと覗いていました。かっこいい姿を撮りたくて。なのに、たくさんは撮れなかったんです」
「彩花。まさか、それを落ち込んでいるのか」
幸田の問いに、彩花は首を振った。それを見た秋月は「なるほどな」と分かったように顎に指を添える。
「秋月ニ佐、どういう事でしょうか。彼女はどこか悪いのですか!」
「いや、正常だよ。ただ、感受性が強すぎたってとこだろう。あとは帰ってゆっくり話を聞いてやるんだな。カメラ越しに見ていたお嬢さんには刺激的だったんだな」
「あの、秋月ニ佐」
「さあ出てってくれー。俺は医師免許を持っているが、精神的なケアまではできない。すまんな」
秋月のなにか言いたげな態度に幸田は内心で首を傾げながら、お礼を述べて救護テントから退出した。なぜか去り際に「俺に感謝しろ」と言われながら。
「彩花ごめん。まだ片付けがあって帰れないんだ。一人で帰れるか?」
「うん大丈夫。ごめんね、心配かけて」
「できるだけ早く帰るから、大人しく待っていてくれ、な?」
「はい。カメラのSDカードのを整理しながら待ってるね!」
「おう」
最後はいつもの彩花の笑顔が出た。それを見た幸田は安心して見送る。
「また後で」と、手を振りながら彩花は駐屯地をあとにした。
◇
「で? 今日はどうしたんだ。彩花にしてはらしくないように思えたけど。本当に体調が悪かったわけじゃないんだよな?」
「うん」
早めに帰るの宣言どおり、幸田は七時頃に帰ってきた。そして夕飯を食べ終わっての今の状況だ。
「遠慮しないで、何でも言ってほしい。誰かに何か言われたのか? あの写真、すごくよく撮れてたじゃないか。俺たち、まるで別人みたいだ。俳優なのかって……彩花?」
彩花は涙ぐみながら「そうじゃないの」と首を横に振り、パソコンに移した今日の写真を幸田に見せた。
「まさか、俺、なんかやらかしてるとか。ベルト! してるよな。配線、は問題なかったよな」
「学さんは完璧だったよ! とてもかっこよくて、誰が見ても立派な自衛官さん」
「じゃあ、なんで泣いてるの」
彩花の頬からポロンと大きな涙の粒がこぼれ落ちた。幸田は指の甲でそっとそれを拭ってやる。
すると、パチン! と、何かが弾けたように彩花が喋りだす。
「戦争! やだっ。災害、起きないで欲しい! 学さん、死なないで! って。学さんにはずっと、ずっと笑っていてほしいの」
「彩花?」
「最初は映画を見ているようだった。でも、学さんや小隊の皆さんを追いかけているうちに、本物の戦場に思えてきた。そう思い始めたら涙が止まらなくなっちゃったの。心配してくれた人が声掛けてくれて……で、近くの隊員さんが救護テントに運んでくれたの」
ポロンと落ちた涙はいつからかボロボロ落ち始めた。彩花が子供のように泣く。
「バカだよねっ。訓練なのに、そんなことも……わからなっ」
「彩花っ!」
幸田は頑張って笑顔を作ろうとする彩花がたまらなくいじらしく、そして可愛くて、愛おしかった。だから、できるだけ優しく、でも、安心できるくらいの力で彩花を抱きしめた。
トスッと、彩花は簡単に幸田の腕の中に収まった。
「学さんのシャツ、濡れちゃう」
「本当に彩花はバカだな。彼女の涙ぐらい、彼氏に拭かせろよ」
幸田がそう言うと、彩花は猫のように頬を幸田の胸にすり寄せた。
「彩花が彼女になってくれてよかった。俺、絶対に、他の連中より幸せだな」
「え?」
「俺のこと好き?」
「好き、大好き」
「よかった。彩花のそういう所が俺の力になってるから。もしも、が起きたら彩花のことを後回しにする仕事だろ。もう付き合えないって言われても、文句言えないから」
そんな弱気な幸田の言葉に彩花は思わず顔を上げる。
「言わないよ! 絶対に言わない。自衛官も辞めてなんて、言わないから! 泣いちゃったけど、すごく誇りに思えたの。私の彼氏は自衛官だよって。国を守る自衛官なのって!」
彩花がウサギのような真っ赤な目で、幸田の顔を睨みつけている。
厳しい格闘訓練や土砂降りの中の行軍も、真冬の野営訓練も歯を食いしばって乗り越えた幸田。なのにどうしたことだ。
「くそ……」
思わず彩花の頭を胸に強く押し付けた。
「んっ。学、さっ……くるしいっ」
「ごめん。ちょっと、黙って」
幸田ニ等陸尉、まさかの男泣きの最中だった。
「え、学さんっ。ちょ……、しんじゃうーーっ」
彩花がどんなに力を入れてぐーっと押しても、鍛えられた幸田の体はビクともしない。諦めてくたりと体の力を抜いたとき、幸田がやっと彩花を腕から解いた。
「もう、学さんたら。本当に息苦しかったんだからねっ。聞いてますか? 学さん」
「聞こえてるよ。悪かった」
幸田がぷいっと顔をそらしたと思ったら、そっけない返事が返ってきた。よそよそしい幸田を彩花は怪しんだ。
「学さーんっ。ねぇ、怒ってます?」
「おこっ、怒るわけないだろ。あ! 俺、風呂入れてくるわ。さすがに疲れたしな」
「お風呂、ボタン押すだけですよ?」
「お、おう。そのボタン、押してくるわ……」
そのまま立ち上がった幸田の腕を、彩花は素早く掴んだ。そして、グイッと引っ張る。
「おわっ! と……。危ないじゃないかー。自宅で怪我なんて笑えないって」
「学さんっ!」
「な、うわっ」
ドーンと、彩花は幸田に飛びついた。リビングに尻もちをつきながらも幸田は彩花を受け止める。
「おい、大丈夫かよ」
「大丈夫かよは学さんだよ!」
「オレ?」
「泣いたでしょ! ねえ、なにか辛いことでもあったの? ねえ、学さん!」
(なんで、気づかれたんだよ。そんなことだけは敏感なんだよな……)
「泣いてないぞ」
「嘘だ。目の周りが赤いもん!」
「日に焼けたんだよ」
「前から焼けてたのに?」
「何回でも焼けるんだって……」
「……」
もう誤魔化すのは無理かもしれない。本当は泣いたんだ。彩花の言葉に感動して泣かされたんだよと、開き直ろう。そんな事が頭をよぎる。
「さいっ……えっ」
なぜかカメラのレンズがにょいんと伸びた。そのレンズが幸田に向けられる。
「なんだよ」
「その、焼け具合を記録します!」
「やめろって! 勘弁してくれよっ」
「いったーい」
「大丈夫か! さいっ」
カシャカシャカシャカシャーッ……
してやったりの彩花の顔に、幸田は項垂れるしかなかった。
「学さん。背景はぼかしてありますからね」
「えぇぇ……」
絞り値のコントロールを覚えましたと、にっこりしてみせる彩花。
泣き顔はバレていなかった?
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