第16話 カメラ越しにあなたの口パク

 幸田の引っ越しが終わってからは、毎週末に彩花が訪れるようになった。もちろん泊りがけで。


「学さんのお部屋はいつ来ても整理整頓が行き届いていますね!」

「そうかな。だとしたら職業病だな」


 シワ一つ許されない制服のシャツはいつもピンと伸ばされていて美しい。


「戦闘靴もピッカピカよね。訓練で泥だらけになるのに、すっかり元通り」

「訓練後にみんなで磨くんだ。だけどさ、結局は訓練前にわざと汚して出るんだぜ。すげぇ、非効率だろ。それでも光るまで磨くのは貴重な税金で頂いた官品かんぴんだからかな」

「そっか。もう古くなったからって、簡単に捨てられないよね」


 国から支給、貸与されたものはボロボロになってもボロボロに見せてはいけない。他国に舐められてはならないという理由もあるかもしれない。一国の部隊が貧相な出で立ちをしていては足元を見られかねないのだ。


「ねえ、明日は頑張ってね! 私、学さんのかっこいい姿をしっかり撮るから」

「その前に、俺が何処にいるか分かったら褒めてあげるよ」


 翌日は幸田が所属する駐屯地の設立記念行事がある。この基地が管轄する師団の隷下が集結し観閲行進をする大きな行事だ。


「絶対に、見つけられるもん!」







「彩花はゆっくり来るんだぞ……」


 幸田は寝た子を起こさないようにと、そっと頭を撫でながら「行ってくる」と囁いた。

 この日、幸田は基地に近いにも関わらず、夜も明けぬ前から出勤していった。小隊を率いる隊長殿は何かと大変なのだ。




「快晴だぁ!」


 彩花は空を見上げ思わず叫ぶ。


「カメラよし! フィルターもよしっと。帽子に飲み物も持ってるし、前みたいに熱中症にはならないからね」


 そんなことを口にしながら、駐屯地の正門をくぐって手荷物検査場へ進んだ。バッグの中身を見せて危険物は入っていなかを確認するためだ。


「お疲れ様です!」


 確認を済ませた彩花はつい身内のように挨拶をしてしまう。彩花にとっていつもベランダから見ている風景は、すっかり日常になりつつあった。それでも、中に入ることができるのは年に一度か二度くらい。


「わー、久しぶりぃ。よーしっ、リベンジ、リベンジ!」


 幸田は夕べ彩花に、客席を確保するよと提案をした。来賓が着席するのとは別に一般客も座ることができる。そこは式典を正面から見られるという美味しい場所。


 なのに、彩花は断った。


 じっと座って、周りを気にしながらシャッターを切りたくない。同じ角度からじゃ面白くない。そんな理由からだった。


「いろんな角度から学さんを見たいじゃない。それに、望遠レンズつけてきたから多少離れていても大丈夫よ!」


 彩花は隊員たちが入場してくる門が正面になるように場所を確保した。ちょうど運動場を囲うように植えられた桜の木の下だ。

 時計は間もなく式典開始の九時をさす。気づけば彩花の周りは、身動きが取りづらいほどの人だかりになっていた。


(この前よりも多い気がするわね。前も思ったけれど、家族で来ている人が多いのね)


 祭りのように模擬店が並び、お馴染みの焼きぞばやたこ焼き、地元の特産品、そして、陸海空それぞれのグッズ販売店も軒を並べている。自衛隊ブースでは制服を着ての写真撮影コーナー、入隊希望者コーナーなどがあった。装備品展示も気になるけれど、今回の目的はひとつ。


「学さんを撮る!」


『ただいまより、観閲式を執り行います』


 アナウンスがあると、どこからともなく現れた隊員たちが中央に整列していた。暑い日差しが照りつける中、彼らは微動だにせず戦闘服姿で立っていた。



「長い……」


 そう、長いのだ。何が長いのかというと、お偉い方々や来賓様のご挨拶がとにかく長い。


「暑い……」


 とうとう、整列していた隊員一人が運び出されてしまった。それを見ていた誰かが囁く。


「新人隊員じゃろう。熱中症かねぇ」


 自衛官とはいえ人間。どんなに鍛えていても日々の訓練の疲れ、重い装備が負担となり倒れてしまう。それだけ近頃の太陽は容赦ないのだ。


「学さんは大丈夫かな……」


 さすがの彩花も心配になる。


『それでは入場門にご注目ください』


 音楽隊の演奏が始まり、いよいよ観閲式が始まった。知事や国会議員までも自衛隊の車で観閲行進に参加している。

 間もなくして、整備車が散水を始めた。カラッカラに乾いた会場は風が吹くと砂埃が舞い上がるからだ。


「お水撒いてる!」


 そして各部隊の隊員たちが行進を始めた。


『敬礼っ!』


 隊長の号令に、一斉に右を向いた隊員がこれまた一斉に敬礼をした。


ーー ザッ!


 風を斬る音がする。


「かっこいい!」


 もうカメラのシャッター音は止まらない。連写の必要はないのに、つい何枚も撮ってしまう。

 続々と通り過ぎていく装備車も、中にはフレームに収まりきれないものもあった。とくに大型トラックで武器等をけん引している装備車は横に長くてうまく撮れない。


「やだぁ……変なところで切れてる」


 飛行機を撮るのは上達したのに、どうして速度の遅い車が撮れないのかと彩花は凹む。あれよあれよと言う間に行進も終わり、誰もがざわつく戦車部隊のお出ましとなった。

「おおー」、どよめく観客達の声を聞きながら、彩花はシャッターを切り続けた。


ーー ドドドドドド


「え? なに? え? まさか!」


 今度は頭上から大きな音がする。彩花の言うまさかの航空部隊の登場だった。輸送ヘリコプター、多用途ヘリコプターが編隊を組んで飛んでくる。


「やだ! 近すぎて入らないじゃない!」


 大きく回るプロペラが入らない。木が邪魔をしてその姿はあっという間に見えなくなった。そして、音楽隊の行進でとうとう観閲行進は終了。


『以上をもちまして、観閲式を終了いたします』


「えっ、ええーー! 嘘だぁ。終わっちゃったよー! 学さん、行進したの? してないよね? えー! なんでぇ」


 見れば何百枚も写真を撮っている。なのに、幸田らしき隊員は見当たらなかった。肩を落とした彩花はしばらくその場で項垂れていた。







「彩花!」


 その声で目が覚めたように彩花は顔を上げた。少し息を切らした幸田が膝をついて彩花を見ていた。


「学さん! あれ? メッセージ、気づかなかった」

「大丈夫なのか。救護テントに」

「大丈夫! ただ落ち込んでいただけなの」

「え、どういうこと?」


 彩花が落ち込むなんて珍しい。特にこういったイベントではいつもニコニコしているのにと、幸田は思った。


「とにかく、昼飯だ。ごめん、俺あんまり時間がないんだ。食べながら聞かせてくれる?」

「うん」


 午後は訓練展示があるのだと幸田は言う。二人は焼きそばやおにぎりを買って、休憩室にと開放された隊員専用の食堂で食べることにした。


「それで? 何に落ち込んでいたんだ。まさか、カメラが壊れたとかじゃないよな」

「カメラは大丈夫だよ。その……撮れなかったの……。学さんがどこにいるか分からなかった。こんなにたくさん撮ったのに。ごめんね」


 彩花はメモリ内の写真をリプレイで幸田に見せた。そこには見事に観閲行進の全てが写っていた。


「すごいじゃないか! これ、ホームページに載せられるレベルだぞ」

「やだよ。学さんがいないもん」

「彩花……」


 どんなに素晴らしい写真でも、その中に幸田がいない。それに落ち込んだと聞かされて嬉しくないわけがない。

 むしろ。


「俺、めちゃくちゃ感動しているよ」

「どうしてよ」


 口にしたらなぜか泣きそうだった。彩花にとって魅力的なはずの装甲車やヘリコプターが、幸田自身の存在に敵わなかったからだ。


「通信部隊の設置訓練展示。ひな壇組んである場所から見て左側。青い旗が俺の率いる小隊だから」

「え?」

「今度は見つけてくれよ、な?」

「うん!」


 彩花の顔に笑顔が戻った。それだけで幸田は力が湧いてくる。


「もしかして、顔面偽装してるの? 草、生やしてる?」

「今回は偽装も草もなしだ」

「そうなの!? 今度こそ絶対に、かっこいい写真を撮るからね!」

「よろしく頼む」


 彩花に元気が戻ったのを見届けて、幸田は午後の訓練展示へと戻っていった。





 彩花はまだかまだかと、訓練展示が始まるのを心待ちにしていた。カメラに抜かりはないかとチェックを何度もした。


「レンズフード、よし。埃もよし。あとは……あっ、危ないっ」


 レンズカバーがついたままだった。いざ、というときに視界が真っ黒ではパニックになってしまう。彩花はレンズカバーを慌てて外し、バッグのポケットにしまった。


「どうしよう……」


 珍しく彩花は緊張していた。俺はここに居るからと、幸田が場所を教えてくれたからだ。


「大丈夫よ。押すだけだもの……ピントを合わせて、押すだけよ」


 ついさっきまでは、思いのままに、気の向くままに被写体にレンズを向けてきた。ズームも引きも独自の感覚で、フォーカスは自動だからと気楽だった。


「学さんを、撮らなきゃ」


 それがどうしたことか。彩花は感じたことのないプレッシャーと闘っていた。


『これより、通信部隊の展示訓練を行います。各部隊から選ばれた隊員の、機敏な動作にご注目ください』


「あっ、は、始まるーー!」


 通信部隊の装備車が続々と会場入りし、決められた場所に止まった。正面に立つ上官らしき人物が赤い旗を上げた。


『始めっ!!』


 ザッと勢いよくその旗は振り下ろされ、それと同時に車両から隊員が姿を現した。近くで見ているはずなのに、やはり肉眼では人物の特定はできなかった。


「学さんは、青の旗のところっ」


 彩花はカメラを構えた。幸田がいる小隊にレンズを向け、最大ズームで彼らを覗く。


「いた! 学さんっ」


 しかし、彩花はシャッターを押さなかった。幸田の精悍な姿に釘付けで、追いかけるのに夢中だったからだ。


「かっこいい」


 迷彩の戦闘服に身を包み、戦闘ヘルメットを被った幸田は部下に指示を出しながら機材設置をしていた。普段は温厚な姿しか見せない幸田の、自衛官としての勇姿は彩花の胸を高鳴らせた。


「あ、撮らなきゃ! ……っ、どうしよう。いつ押したらいいの」


 最高の場面を撮りたい。幸田を誰よりも何よりも良く撮りたい。それなのに、連写すらできない。


 そんな時、気のせいか幸田とレンズ越しに視線が合った。


ーー さいか


「えっ……えっ」


 幸田の口元が僅かに緩む。


ーー みていろよ


「学さん!」


 それからは指が勝手に動いた。

 幸田だけでなく、幸田が率いる小隊の動きを捉え連写した。簡易テントの設置と同時に、機材の搬入、配線とアンテナの設置。それを行う隊員全員の肩に、敵から身を守るための銃があった。

 設置作業をしている隊員の周りを、銃を構えて警戒する隊員もいる。


「戦場に、いるみたいだわ」


 映画でしか見たことのない風景を、彩花は自分のカメラ越しに見た。


「学さん……生きて、帰ってきてっ」


 気づけば彩花は泣いていた。まさか隣で女性が、カメラ越しに泣いているなんて周りの観覧客は思っていないはずだ。


『やめーーっ!!』


 号令とともに通信部隊の展示訓練は終わった。


「う、ううっ……学さんっ。学さん」


 カメラを下ろした彩花は空を見ながら涙を流した。


「あらっ。おねえさん大丈夫!?」


 隣で見ていた知らない人が声をかけてきた。彩花は「ううっ」と唸りながら首を振る。


「あ、ちょっとすみません! あの、この方の具合がっ」


 その一言で、なぜか近くにいた自衛官に彩花は背負われてしまう。


「あれ! えっ、下ろしてください!」

「落ち着いて。医官がいますから、心配しないで」

「え、ちょっと……えーー!!」


 彩花、まさかの救護テントに搬送される。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る