第10話 えっ、Kissコール!?
ある日、彩花が部屋で今まで撮った写真を整理していると幸田からメールが届いた。今度の週末は街に行こうと。彩花はいいですね! 行きたいですと返信した。頭の中ではカメラ屋さんに寄ろうかななんて考えながら。
◇
駅で待ち合わせをした。休日の繁華街は観光客や若者、家族連れで大賑わい。立っているだけなのに肩が触れたり、他人のカバンが当たったりする。待ち合わせの場所は大手デパートの入り口で、ライオンが口を開けているところ。少し早かったかなと思いながらそこに行くと、すでに幸田はついていた。
「お待たせしました!」
「待ってないから大丈夫。おはよう」
「おはよう」
爽やかな幸田の笑顔に迎えられて、彩花も笑顔で返した。彩花はちょっとだけ頬をピンクに染めている。血色がいいのか照れているのか判断がつきにくい彩花に幸田は悩む。
(喜んでくれているのか……?)
「どこに行きます? 人、多いですね」
「実は俺、行きたいところがあって。付き合ってもらえるかな」
「もちろんっ」
行きましょう! どっちですか? と彩花は幸田の前を人を掻き分けて進もうとする。幸田は慌てて彩花の腕を掴んだ。このままじゃまた、彼女のペースに流されてしまうと。
「彩花さん。ハグれるといけないから手、いい?」
「あ、はい」
幸田が彩花の手をギュッと握ると彩花は一瞬目を伏せた。おや? と幸田は思う。彩花に今までと少し違う反応をされたから。
「彩花さん、もしかしてだけど……照れてる?」
「え! 照れっ、照れてないですよ。本当です」
よく見れば耳まで真っ赤になっている。幸田もつられて赤面しそうになった。彩花の意外すぎる反応に正直戸惑ったのは言うまでもない。
(かわいいな……やべぇ)
反対の手を口に当てて幸田は思った。手を繫いだだけでこれだと、その先はどうなる。幸田が女性と付き合うのは初めてではない。学生の頃の同級生や、前にいた駐屯地の女性自衛官と普通に恋愛をしてきたはずだ。手をつなぐことも、キスをすることも、そしてその先の関係も経験済み。だけど、彩花のような天真爛漫な子供のような女性は初めてだった。
「どこに行くんですか?」
「もうつくよ」
彩花が幸田を見上げるようにして尋ねると、優しく笑顔を返された。その笑顔を見た彩花は胸がギュッと縮まるような痛みを覚えた。
(やだ……また、ギュッてなった)
「今日はカメラ、下げてないんだな」
「へへ。さすがに今日は目的が違うから」
「どんな、目的?」
幸田は少しだけ期待を込めて彩花に聞いた。無自覚に照れてみせた彩花のことだから、もしかしたら何とも思っていないかもしれない。それももう慣れっこだ。
「えっ、今日もデートですよね。今日のデートはカメラ抜きの普通のデートです」
「……」
まさかのデート、普通のデートだと彩花は言った。また、幸田の想像を裏切ったのだ。
「学さん?」
幸田は思わず立ち止まり、片手で顔を覆った。カメラ抜きのと言う言葉に猛烈に感激してしまっている。
(カメラに、勝ったぁぁー!)
「デパ地下で普段は置いていない各地の駅弁を売っているらしい。そこで弁当を買ってから公園に行かないか。街の中にある割にはとても雰囲気のいい公園らしいよ」
「こんなところに公園あったんですね。じゃあ、お弁当買ったらデザートも買って行こう?」
「いいね。花見は終わったけど、その公園は別名バラ公園って呼ばれていて、ちょうど見頃らしいんだ」
二人はデパ地下でお弁当を買い、その足でスイーツショップでデザートも買った。荷物は当然のごとく幸田が持ち、公園内に足を踏み入れる。公園から少し入ったところに芝生広場があり、その脇にコーヒーショップがあった。そこで好きな飲み物を持ち歩き用にセットしてもらう。
「学さん、ここに座ろう。そういえば敷くもの持ってきてないなぁ。あ、でもいっか、芝生だし」
「お尻が青くなるぞ。可愛い服が台無しだ。はい、実は持ってきてる」
幸田が小ぶりなシートを出した。公園に来ることは決めていたので、敷物も持ってきていたという。
「あれ? シートは迷彩じゃないんですね」
「彩花さん。さすがにデートだからね、仕事からは離れたいよ。彩花さんのことだけ、考えていたいからね」
幸田はちょっとセリフが臭すぎたかと思ってみたけれど、それくらい言わないときっと彼女には伝わらない。今日はいつもと違う攻め方をしようと決めていた。
「そうですよね。迷彩だと敷いてるのかわかんなくなるし。ふふふっ」
「なかなか手強いな」
「え?」
「いや、食べよう。その後、バラ園の方に行こうか」
「はい!」
美味しいね、と言いながら彩花は食べる。お互いに違うお弁当を選んだので、途中でおかずを交換したりして楽しんだ。口の中いっぱいにご飯を放り込む幸田を見て彩花は笑う。誰も取らないからゆっくり食べてと。幸田は恥ずかしそうについ癖でと頭を掻いた。昼夜問わず野外で訓練をする時は、食べている間も警戒は怠らないそうだ。ましてやこんな、お弁当を広げることなんてない。
「はい、お茶。喉、大丈夫?」
「んっ////」
男らしい食べっぷりに見とれていた彩花が急に下から幸田を覗き込んだ。間近で彩花の顔を見た幸田はたじろぎながらも、お茶を受け取った。くりっとした瞳、好奇心旺盛に黒目をクルクル動かして幸田の口元を見ている。詰まる予定のなかった物が、喉の奥で支えるのを感じて幸田は慌ててお茶を流し込んだ。
「大丈夫。ありがとう」
「職業病は仕方ないですよね。分かります。背中叩きます?」
「だっ、大丈夫だから。それより、彩花さんさ……」
幸田の背中に手をおいたまま彩花は「はい?」と首を傾げて幸田を見た。耳に掛けていた髪がはらりと落ちて揺れる。柔らかそうな頬のラインに可愛い小さな唇が幸田を甘く誘った。もう、無自覚になんてことをするんだと幸田は思った。背中に置かれた手がほかほかと温かい。
(もう、我慢の限界)
幸田は片手を突いてすっと背を屈めた。頭を少し傾かせて彩花のピンクの唇に自分の唇を寄せた。とても優しく、とても軽く、掠る程度の幸田のキスに彩花は目を閉じた。それを確認した幸田は、今度はちゃんと唇を押しあてた。柔らかくて少しだけひんやりしたそれは激しく男の劣情を煽る。
「学さん……」
「彩花さんが可愛くて、つい。いきなりごめん。嫌だった、よな」
やべぇ、調子に乗ったと幸田は焦った。でももう取り消しはきかないのだ。
「あの、大丈夫ですよ。びっくりしたけど、嫌じゃないですから」
「本当?」
「はい」
幸田は心底ホッとした。ちゃんと彼氏と認識されていたと、少しズレた脳が呟いた。
「でも、次からは教えてほしいんです」
「うん? 教える?」
「はい。キスするよって。そしたら私も驚かなくてすむので」
まさかのキスコールをくれと彩花は言った。今からキスするよと告げてからキスをするなんて、もしそれで断られたらどうするんだ。いや、そもそもキスは口に出さずとも雰囲気で……お互いの空気が……目で合図とか、声に出さないサインというものがあるはずなのに。
「学さん。キスしてもいいですか?」
「えっ、あ、はい……んんんっ!」
目を閉じる暇もなく、幸田は彩花からキスで封じられた。
(なんだとっ、こんな不意打ちがあるかよっ)
「学さんの唇、柔らかいです」
「!?」
それはこっちのセリフだよと幸田は心の中で叫んだ。キスすると宣言されてこれだけ驚き、これほどに胸がはち切れそうになるなんて!
「彩花さん。俺は中学生並だよ……」
「え?」
そんな訳のわからない言葉しか出てこなかった。
その後はバラ園に手を繋いで入った。温室で育てられたバラの花は鮮やかで、とてもいい香りが充満している。温室内ではバラと共に自撮りする人や珍しい種類のバラをカメラに収める人もいた。
「学さんっ、バラのトンネル!」
「彩花さん。そこにいて」
幸田はスマートフォンにバラのトンネルにはしゃぐ彩花を収めた。そして、二人並んで一緒に写った。恋人らしい素敵な写真だ。
「私もカメラ持ってくればよかったぁ。学さんをいっぱい撮ってあげたのに」
「なんで俺なの」
「バラと自衛官て、よくないですか? 敬礼する学さんと対象的な感じで美しいバラたち。ふふふっ……ふはっ」
「笑ってんじゃん」
彩花が笑うと幸田の気持ちも上がっていく。甘い雰囲気が長続きしなくても彼女の笑顔があればいいかなどと思い始める。
「あ! 忘れるところだった」
「なに?」
「帰りにカメラ屋さんよってもいいですか? フィルターを買いたいんです。偏光フィルターが一枚あるといいって聞いたので!」
「いいよ」
なんだかんだ最後はやっぱりカメラの話題で幸田は苦笑い。でも、自分よりカメラが先に彼女の心を射止めたんだから仕方がない。カメラには勝てそうにないなとちょっと諦める。
(別に男に取られるわけじゃないんだ。カメラぐらい、いいじゃないか)
「学さん」
「ん?」
彩花が急に背伸びをして幸田の肩に捕まった。二人の顔の位置が同じくらいになって、彩花の手に力が入った。幸田はまさかキス? バラの花に囲まれてなんてロマンチックなことを求められているんだ! と脳が沸騰しそうになった。それに応えようと幸田はそっと両手を彩花の腰に添えた。すると彩花の手が幸田の髪に伸びる。幸田はふとその指に目を向ける。
「見て、バラの花びらが学さんの髪に。ふふ、可愛い」
「そういうこと!」
「え、どうしました?」
その気になっていた幸田は甲高い声を上げた。いつもの背丈に戻った彩花をみて眉間にシワをよせた。この胸の鼓動をどうしてくれるんだと問い詰めたい気分だ。
「彩花さん」
「はいっ」
「キス、しますよ」
「え、あっ……ん」
幸田には陸上自衛隊通信科の意地があった。人知れず電波を構築する彼にもプライドというものがある。いつまでも配線ミスは許されない! そんな意気込みで。
「むむむ! 学さんたら、強引っ」
「それくらいしないと逃げられるから」
「逃げませんよ……もぅ」
小声で囁く彩花の顔は真っ赤だ。きょろきょろと落ち着きなく動く黒目があいらしい。幸田はニヤける顔を抑えることができない。幸田は赤く染まった彩花の顔を抱き寄せて胸に隠した。
(これは、俺のものだ。誰にもやらないよ)
「彩花さんフィルター、見に行く?」
「……行きます」
やっぱりカメラには勝てない。でも、カメラのおかげでまた無邪気な笑顔が見られる。
普通のようで普通じゃないデートはとても楽しかった。
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