第9話 艦艇見学です

 それから暫くして、幸田から海上自衛隊のイベントの誘いがあった。掃海艇や護衛艦を間近で見てみないかという。もちろん彩花は飛びついた。船の種類は分からないけれど、かっこいいことだけは知っている。さっそくカメラを取り出してボディを拭いたり、レンズに埃がついていないか確認をした。


「楽しみだね、カンちゃん」


 恋人同士になった二人だけれど平日は会うことができない。事前に幸田が外出手続きをしなければ駐屯地から出ることが出来ないからだ。独身である幸田は幹部とはいえ営内にある官舎に住んでいた。彩花がそこを訪ねるときも身分証明書が必要らしい。そんな面倒なことは慣れた自分がするからと、いつも幸田が出てきてくれる。結婚したら外に住むこともできるんだと、それとなく言った幸田に、彩花はよかったね! と他人事のように返した。幸田の苦笑いには全く気づかないで。





 そして待ちに待った海上自衛隊のイベントの日。安全のためヒールの高い靴は控えるように言われていた。風で煽られるかもしれないので、スカートも駄目だと幸田は言った。だから彩花はお尻までかかる縦にプリーツの入った長めのカットソーと、生地の柔らかいカーゴパンツを選んだ。全体的に色は少し明るめにした。


「学さん、スカートの人いるよ?」


 会場となる港につくと、家族連れやカップルなど思いの外賑わっていた。さすがにハイヒールの人はいないけれど、サンダルやショートブーツ、そしてワンピースの女性もいた。


「うん、いるな」

「もう見てよ。私なんて男の子みたいじゃない? もう少しかわいい服にすればよかった」


 彩花がむくれた顔でそう言うと幸田はまじめな顔で、彩花を上から下まで見直した。


「十分に女性らしいが、なにが不満なんだ? 彩花さんの格好は男の子じゃないよ」

「だって、これじゃあデートっぽくないですよ」


 彩花のその言葉に幸田はハッとした。彩花がちゃんとこれがデートと認識していると。


「彩花さん……」


 彩花のぷうと膨れた頬が幸田の指を誘っている。彩花の事だからアレはどうなっているのか、これはどこから繋がっているのかとマニア的目線で攻めてくると思っていた。


(くそ……なんだよ。かわいいな)


 その膨れた頬に幸田が指先を伸ばしたその時。彩花の顔がふっと消えた。


「えっ、えっ」

「学さん! あの国旗、なんでバラバラなんですかー!」


 声の方に振り向くと、もうカメラを構えた彩花がいてなにかを撮っていた。カシャ……カシャと連写ではない音がする。


「どれ?」

「あれ」


 彩花が指をさした指先にマストから何種類かの国旗が下がっていた。幸田はさっきまでデートらしい格好じゃないと拗ねていたじゃないかと、心の中で愚痴る。


「俺より詳しいやつに案内してもらうから、待ってくれないか」


 幸田のあとについていくと、乗船する場所に仮テントが設置されていて見学受付中と書いてあった。そこで荷物検査をして梯子を渡って船に乗る。そこにいた広報の人は全員が海の人ではなく、空の人も陸の人もいた。彩花は最近やっと制服の見分けがつくようになったのだ。もちろん、幸田のお蔭で。


「おう、幸田二尉。海にまで偵察か、ご苦労だな。おや、そちらが例の?」


 すっと小指を立てて見せる隊員に幸田は片方の眉をヒュっと上げた。


「おい、この時代に小指を立てるな。品が悪いぞ。それに彼女には伝わらないからな」

「え、マジ?」


 同期の隊員だろうか目が覚めるような白の制服に身を包み、立てた小指が潮風に吹かれていた。彩花はファインダーを覗いているのでその小指は目に入っていない。


「ご覧とおりだ。いろいろ質問が飛ぶと思うけどよしなに頼むよ」

「了解した」


 二人はふぅと息を吐いて気を取り戻すと「乗船しますよ」と彩花に声をかけた。船に渡した梯子の両端に海上自衛官が立っている。彼らの制服は白いセーラーだ。夏の制服だよと幸田が彩花に耳打ちをした。彩花は案内役の自衛官と幸田に挟まれるようにして艦艇に上がった。


「この船は掃海艇そうかいていと言って、海底にある機雷を排除する仕事をしています」

「機雷……そんな危ないものが日本の海にあるんですか? あ、写真撮っても大丈夫ですか?」

「写真、とうぞ」


 彩花は話を聞きながら興味を示すものをカメラに収めた。その海上自衛官は彩花の質問に丁寧に答えてくれる。第二次世界大戦のときに置かれた敵国の機雷が未だに見つかる事。そして、今も未来もその可能性がゼロはない事も。


「まだその時代のものがあるんですね」

「はい。それを我々は排除しています」

「あの黄色い太ったロケットみたいなものは何ですか?」


 彩花の質問は止まらい。まるで幸田がいることを忘れているように案内をする自衛官にくっついている。そんな彩花を幸田は黙って見守っていた。


(まるでジャーナリストだな、彩花さんは)


「学さん知ってました!? これ無人探査機なんですって。これで海底の機雷を発見して爆発処理するって。こういうのなら人に危険はないですよ。すごい」

「海自は歴史もあるしその分、知識も技術も世界トップレベルだよ」

「陸自だってそうだろ? 装備品の数はすごいもんだよ。武器だけでどれだけある」


 海と陸、それぞれに任務が異なる。領海を守る海上自衛隊は港を出ると月単位で姿を消すのだ。極秘任務になれば船体をレーダから消し電波も遮断してしまうという。いつ戻るのかさえ家族にも伝えられない。陸上自衛隊は護りの最後の砦。空や海からの侵入を防げなければ彼らが国民の盾となるのだ。陸上自衛隊が災害や事故以外で出動する時は、日本の危機であると考えられる。


「こんなに平和だけど、そうでなくなった時の為に自衛隊があるんですね」

「え、彩花さん?」


 意外にも彩花は真面目に深刻に考えていた。それに幸田は感心していた。ただカメラにかっこいい画像を収めたいだけではなかった。ちゃんと聞いたことを吸収しているでないかと。


「はい、上がりますよ。狭いし急ですから気をつけて。幸田、サポートしてあげてな」

「ああ」


 階段を上ると隊員たちの寝室や食堂があるらしい。彩花はその階段の手すりに掴まる。確かに幅は狭いし斜面も急で、足を乗せる場所もつま先しか乗せられない程度だった。


「え、狭っ! これ人ひとりがギリギリですね。降りられるかなぁ」

「彩花さん大丈夫。俺が後ろにいるから」


 そう幸田が言い終わる前に彩花は段を踏み外して大きく体を揺らした。


「うわぁっ」

「うおっ……大丈夫か!」


 なんとか幸田が彩花を後ろから支える。彩花も手すりを掴み直して姿勢を取り戻した。びっくりしたあ! と安堵の声を漏らす。でも、幸田は気づいてしまう。


(わー、俺、思いっきりお尻触ってんじゃん!)


 慌ててその手を腰まで移動させた。すると彩花はそれが擽ったかったのか過剰に反応する。


「やっ、きゃはっ……だめっ、そこダメなのっ! うはっ」

「え、待って! 動かないで彩花さんっ! うわぁぁ」


 ぐわんぐわんと揺れて段を踏み外した彩花は、幸田に被さるように抱きついた。幸田は突然のハプニングに頭は真っ白だ。でも、このまま落ちるわけにはいかない! 脚にぐっと力を入れて彩花を抱きとめる。最悪落ちても彼女だは守るんだと言う気持ちで。


「大丈夫? 彩花さん」

「ごめんなさい学さん。大丈夫です」

「よかった」


 大事ないと確認した幸田は胸をなでおろした。


「おいおい、イチャイチャは艦から降りてかにしてくれないか」


 まだ二、三段しか上っていなかったので、傍から見たら若いカップルのイチャつきにしか見えなかったらしい。それに気づいた幸田は顔を真っ赤にして「すまん」と返事をした。こうして、艦艇見学も無事に終え地上に降りた。彩花は案内をしてくれた自衛官に頭を下げてお礼を言う。


「今日はありがとうございました。あの、最後の質問です」

「どうぞ」

「あの、マストから下がってる旗なんですけど」

「ああ。あの旗は文字を表していてね、外国の船なんかに挨拶で使ったりするんですよ。ちなみに今日の並びはWelcomeです」


 彩花はもう一度そのマストを見上げて小声で「素敵……」とため息混じりに囁いた。艦の言葉を旗で表すことに感動していた。すると幸田が彩花の肩を叩いた。


「ん?」

「彩花さん、サヨウナラって言ってる」

「えっ」


 幸田が指さした方角に白いセーラー姿の隊員が甲板から旗を振っている。紅白の手旗を持った隊員は両手を真っ直ぐに伸ばし、横に斜めにとキビキビ振る。


「手旗信号でサヨウナラと言ってるんだ」

「すごい! すごいね学さん」


 彩花は彼らに向かって両手で手を振った。さようならーと声を出しながら。学さんすごいね、海上自衛隊すごいねとあまりにも連呼するものだからさすがの幸田も面白くない。


「彩花さん。君の彼氏は陸上自衛隊なんだが、お忘れかい?」


 少し意地悪な言い方をしてしまう。嫉妬だ。笑顔の消えた幸田を見た彩花は首を傾げる。そして、なぜかパッと笑顔を見せる。


「忘れていませんよ。幸田学二等陸尉、通信科の小隊長さん。有事や災害時にどこよりも早く通信の確保をする部隊。どんな天気でも、どんなに危険な場所でも学さんは行かなければならない。日本の為に。それはとても危険なお仕事です」


 彩花はそう言いながら幸田の手を取った。手のひらにはマメがある、手の甲はガサガサしていて時々切り傷がある。それを包み込むように確認するように優しく撫でた。


「っ、さ、彩花さん」

「いつも、ありがとうございます」


 そう言ったあと、にっこり笑う彩花は幸田には眩しすぎた。人がいようが、誰かが見ていようが今の幸田には関係なかった。


「ごめん! 嫉妬したんだ!」

「ふえ? んぐっ」


 力いっぱい彩花を抱きしめた。ぎゅうぎゅう力を込めて、もうどうしにかしてしまいたい。ちゃんと自分の仕事を理解してくれていた。それだけで幸田は満足だった。


「学さん、苦しい」

「ごめんごめん。嬉しくて、つい」


 照れた顔が可愛らしいと彩花は心の中で思う。大人びて落ち着いているけれど、嬉しそうに笑う顔は少し幼くなる。


「えっと、昼飯どこで食べる?」

「何でもいいですよ。それよりもう一枚だけいいですか? 離れてないと全部入らなくって。広角レンズが欲しいかも」


 下がれるところまで下がって、地面に膝をついた彩花は港に停泊している海上自衛隊の艦を収めた。


「本当に好きなんだな」

「あ! 学さん、あの船なんだろう。白に青のラインの。かっこいい!」

「あっ、おい」


 海上保安庁の巡視船に向かって走っていく彩花の背中を、幸田は父親のような目で見送った。


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