第8話 どうしてこうなった!

 それからと言うもの彩花のもとに定期的にだいたい同じ時間に幸田からメールが来るようになった。平日の夜ならば8時から9時の間にその日あったことや、イベントなど様々な自衛隊情報が送られてきた。


「え、幸田さんて草を頭につけたりするの? 顔にもペイントって……あ!」


 幸田は少しずつ自分はどんな仕事をしているのかを教えようとしていた。彩花は幸田から送られてくるメールで少しずつではあるけれど、陸上自衛隊の通信科と言うものがどんなことをしているのか知っていく。


「もしかしてこの写真、幸田さんだったりして!」


 彩花が熱中症でダウンする前に撮っていた画像の中に、らしき隊員を見つけた。迷彩戦闘服で顔が分からなくなるほどの土色や草色のけっしてキレイとは言えないペイント。迷彩ヘルメットの上には景色に溶け込むような少ししなだれた草がついていた。よく見ると背中にも背負っている。銃を肩に担いで、アンテナのようなものと、配線器具をもって走る数名の隊員。


「こんど見てもらおっと」


 彩花はパソコンに落としたいくつかの画像をスマートフォンに送った。このペイント、特殊なペンでかいているのかしら? 人、よりそっちが気になって仕方がない。そのままインターネットに繋いで調べてみた。


 自衛隊 顔 ペイント……すぐに出てきた。しかも、元自衛官だったという芸人さんのメイクアップ動画付きで。彩花はそれを見ながら感心していた。私のお化粧より凝ってるし、上手だわと。


「顔面偽装って言うんだ。えっ! 化粧品メーカーさんが作ってるの!? 知らなかった……わぁ、すご」


 その動画には濃い緑色のコンパクトを開けるとミラー付きで迷彩カラーが入っていた。黒、黄土色、ベージュ、茶の4色だ。これを指先だけで塗っていくらしい。しかも、季節や天気に合わせて配色を変えると言っている。


「昼用偽装……へぇ。幸田さんもやるんだよね。見たいな、塗ってるところ」


 思い立ったら動かずにはいられない。猪突猛進気味な彩花はもうスマートフォンを手に取り幸田にメールを打つ。


ー 幸田さん、お疲れさまです。近々、会えませんか! お願いがあるんです。


 そんなメールを送ってから数分後、彩花のスマートフォンに着信を知らせる音が鳴った。おや? 珍しいと確認すると、スクリーンには幸田学さんの文字が現れている。彩花は慌ててその電話をとった。


「もしもしっ」

『一色さん? ごめん、いきなり。なんだかメールでは時間がかかりそうだったから。何かあったの?』


 彩花の怪しげな誘いにわざわざ電話をしてきた幸田に、彩花はそのままの勢いで答える。


「ちょっと知りたいと言うか、見てみたいものがあって。週末でどこか空いている日があればうちに来てもらえませんか」

『一色さんの家に!?』

「はい!」


 幸田の慌てふためいた様子に気づかない彩花は、仕事道具を使わせるのは悪いから私がネットで買えばいい。頭の中は目の前で幸田が迷彩偽装する姿を想像してにやにやが止まらなかった。


「大丈夫です。ちゃんと準備しておきますからっ。あ、お片付けも気にしないでくださいね。とても、楽しみにしています」


 彩花は自分の中だけで完結してしまっているため、重要なことを幸田に伝えていない。電話の向こうの幸田がどんなふうになっているかなんて、彩花は全く知らない。


『えっ、ちょ……いきなり!?』

「あ、すみません。どうしても間近で見たかったので……幸田さんのあの姿」

『なっ……』


 幸田は絶句していた。



 その後、休みを確認してから連絡をすると幸田に言われた時には、すでにネットで迷彩偽装用のドーランを注文していた。在庫があったのでニ、三日もすれば手に入る。


「ふふっ、楽しみー。あ、一眼レフでも動画撮れたよねっ。撮らせてもらおうっと」







 そして、二週間後の土曜日。ついにその時がやってきた。彩花は部屋の掃除をいつも以上に念入りにして、陽の明かりがちゃんと入るようにカーテンを開けた。普段は一人暮らしなので閉めっぱなしにしていた。約束の時間は午前10時。


「もうすぐね」


 彩花はネットで買った迷彩ドーランと、メイク落としシート、そして置き鏡を指でさしながら確認をした。


ー ピンポーン


 はーいと元気にドアを開けた彩花。いきなり開いたドアに驚いた幸田は一歩下がってしまう。


「おはようございます!」

「一色さん。いきなり開けたら駄目だ。確認しないと、強盗や強姦だったらどうする」

「え? あー、またやっちゃった。普段は誰も来ないから、つい幸田さんだって決めつけちゃってて」

「女の子の一人暮らしだから、本当に気をつけて。あ、それから……おはよう」


 会っていきなりお説教のようになったことを幸田は申し訳なく思った。これじゃまるで自分の彼女扱いじゃないかと。彩花はまたやっちゃった程度であまり気にしていない。幸田にどうぞと、入室を促す。


「入ります!」

「えっ、幸田さん。ふふふっ、堅いです。もっと、普通にしてください」

「ああ、つい癖で」


 自衛隊生活の癖が出ちゃったんだと彩花は微笑ましく思った。きっと彼は自衛官の仕事をとても誠実にこなしているんだろうと想像した。そんな幸田は入りますと言ったわりには部屋に入ろうとしない。彩花は幸田にどうしたのか尋ねる。


「ひとつだけ、確認をいいですか」


 とても真面目な顔で幸田が言った。はいどうぞと、彩花は答える。


「一色さんに彼氏はいますか。もしいるなら自分はこのまま帰ります。彼氏のいない隙きに知らない男が部屋に入るなんて、良くないから」


 幸田は真っ直ぐ立ったまま彩花の目を見てそう言った。


「私、彼氏はいません。というか、恥ずかしいんですけど今まで一度もお付き合いしたことがないです。だから、安心して下さい」

「そうですか、いませんか……えっ、一度も」

「さあどうぞー。えっと、何か飲みますか? 麦茶でもいいですか?」

「なんでも大丈夫です」


 幸田はまさか彩花が一度も付き合ったことがないとは思ってもみなかった。もしかしてこれは、自分が最初の男になるのでは! そんなことが頭をよぎった。初めての、男に……よく分からない得体のしれないプレッシャーが幸田を襲った。


「失礼します」


 もう一度そう言って、ワンルームの部屋に足を踏み入れた。小さなキッチンの横に冷蔵庫があり、そこを通り過ぎるとすぐにリビングが現れた。壁側にシングルベッドが置かれ、その前に小さな白いテーブルがあった。テレビもパソコンも本棚もあるのに、狭さを感じさせない。白いテーブルの上にはいつか見た一眼レフカメラがドンと乗っている。


「整理整頓が行き届いていますね。自衛官なみだな」

「本当ですか? でも、女の一人暮らしっぽくないですよね。ぬいぐるみとか無いし」

「いや、じゅうぶん女性らしい部屋ですよ。それに、いい匂いがする」


 真面目な会話に彩花は思わずクスクスと笑ってしまう。姿勢よく立ったまま動こうとしない幸田に座るように言うと、麦茶とお菓子を出して彩花も座る。早く、アレが見たいから。


「幸田さん。早速なんですけど、いいですか? 私、ちゃんと用意していますから宜しくお願いします」

「えっ、も、もうですか」

「早く見たいので」


 彩花の急いだ様子にさすがの幸田もたじろぐ。付き合ったことがないというのに、その積極さはどこから来るのか。もしかして自分は試されているのか、いや、遊ばれている? 幸田の脳は忙しく情報を掻き集める。男としてここはしっかり、まて、自衛官たるもの……と。そして意を決した幸田は打って出た。


「一色さん。これには順序というものがあるのですよ」

「順序?」

「あなたは後悔しませんか。こんな会って間もない男と、そういう事をして」

「いえ、後悔もなにも私が望んだことですし。あ、無理なお願いであれば諦めます。ごめんなさい」


 しゅんとなる彩花を見て幸田は慌てた。女性に謝らせるなんてとんでもない! と。だからかなり前のめりに幸田は彩花のテーブルに置かれた手を両手で掴んだ。


「いいんですね。男たるもの、もう後戻りはできませんが」

「はい」

「それでもこれだけは言わせてください。一色彩花さん、俺の彼女になってください。でなければやはり、できません。もしあなたが彼女になってくれるなら……大切にします。あなたが望むことは何でもします」


 幸田の真剣な告白に彩花は目をこれ以上は開きませんというくらい開く。またいつかのように胸の奥がギュッとなる。幸田に包み込まれた手が熱くなる。


「あ、あのっ。私が彼女になったらいいんですか。それって幸田さんが私の彼氏に」

「そうです。それが無理なら……」

「無理じゃないですよ。幸田さんは真面目で誠実で、とても信頼できます」


 彩花がそう言うと、幸田はよかったと力なく呟きホッとしたように肩から力を抜いた。そしてとても優しげな顔で彩花を見つめ直す。彩花はそんな幸田の瞳にまたギュッと疼きを覚える。


(あれ……心臓が、おかしい)


 そんな痛みを誤魔化すように彩花は立ち上がった。チェストの引き出しから例のものを出して胸に隠した。


「これで、お願いします!」


 幸田は心臓が張り裂けそうだった。まさか女性にナニを準備させる展開になるとは。どんな大掛かりな訓練よりも、目の前に陸幕幹部が立ちはだかった時よりも緊張していた。


(俺のコイツは彼女の期待に答えられるのか……!?)


 コトンと音を立ててソレが置かれた。ソレを見た幸田は時を止める。幸田の目に入ったソレは自分の部屋にもある、我が隊員ならば誰しもが持っているソレ。


(なぜ、ここにいるんだオマエは……)


「……」


 目を剥いた表情で幸田はそれを見つめていた。ちらりと置いた本人に顔を向けると、何かの期待感でいっぱいのキラキラした視線が降り注いできた。


「見たいんです。顔面偽装。このカメラのこの人は幸田さんですよね! すごいです」

「……あ、ああ」



☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。



(なにをどうしたら、こうなった……)


「俺が今からするのは、春夏の昼仕様の偽装だ。緑色をベースに塗っていく。色と色の境目はこうやってぼかすんだ。顔だけでいいよな? 首までは流石に服が汚れる」

「はい! 外の風景に溶け込むように色を選ぶんですね! 私もやってみます」

「ええっ、ちょ……まったく君は」


 なぜか彩花まで偽装する始末。でも、初めてにしては上出来だと幸田は褒めた。まさかそれが目的だったのかと幸田が大いに凹んだのは言うまい。


「記念に撮りますよ。ハイ、せーのっ」


 スマートフォンを自撮りモードに変えた彩花は幸田の顔にくっつくように並んでカシャリ。嬉しそうに鏡を見る彩花を見ていると怒る気にはなれず、むしろずっとそのままの君でいてくれとさえ思った。


「一応、確認だけど。俺たち恋人同士になったんだよな。俺以外に仲のいい男はいるの?」

「いませんよ。幸田さんだけです。幸田さんは恋人になりましたよ?」

「そう、それはよかった」


 彩花が本当に恋人の意味をわかっているのか大いに疑問は残る。でも、こんな始まりも悪くないとも思った。お互いに顔を見合わせると、その顔が迷彩偽装で笑えてくる。この部屋では目立ちすぎた。


「くくっ、似合っているよ。特殊部隊にでも推薦するか」

「え? 無理ですよ。でも、記録係とかならやりたい。カメラも塗らなきゃだね」

「まったく……」


(これじゃあキスもできないじゃないか。甘い空気なんてどこにも無いぞ!)


 幸田の深いため息と、揚々とした彩花のかもしだす雰囲気は普通の恋人とは違っていた。


「まあいいさ。宜しくね彩花さん」

「宜しくお願いします! 学さん」

「っ……///」


 幸田の想像以上に、彩花が言う学さんの呼び方に体が反応してしまう。俺は中学生かよとボヤいたとかそうでないとか。


 小隊長! がんばって!

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