第7話 プライベートですよ

 幸田から女の子と言われたことに少し照れながら、彩花はメニューを捲った。二歳お兄さんのしかも自衛官という特殊な職業の幸田から見たら、私なんて子供かも。そんな少しだけズレたことを考えていた。一方、幸田は心の中で「参ったな」を繰り返す。好き、より女の子を拾われて苦笑いをするしかない。未だ照れながら何にしようか迷う彩花を、幸田はじっと見ていた。これはなかなか手強いけれど、手に入れたときの達成感はすごそうだ。そんなことを思い始める。


(よし、もう少し詰めてみるか)


「もう、こんな時間なので食事もしていきませんか」

「あ、それもそうですね。じゃあ、カレーライスにしようかな」

「カレーライスか……金曜日ですしね。自分もそれにします」

「ん?」


 彩花は思った。金曜日とカレーライスになんの関係があるのだろう。思わず首を傾げてしまう。そんな彩花に気づいた幸田はにっと笑った。


(おっと、なにか意味ありげな笑いね)


「あの?」

「金曜日にカレーライスを食べるんですよ。海上自衛隊の習慣ですけどね」

「へぇ……金曜日に。あ、でも明日から週末だー! って嬉しくなるかも」

「そんな感じですよ」

「そうなんですか!」


 海に出たまま何ヶ月も任務をすることのある海上自衛隊は、曜日感覚を取り戻すために金曜日にカレーライスを食べる習慣があるのだと幸田は言う。彩花は興味深いと言った表情で話を聞いていた。自衛隊と一言で言ってもいろんな部隊やそれぞれに職務がある。陸上自衛隊の幸田だって、通信科という部隊に所属している。全員が銃を担いで戦闘をするわけではないと、なんとなく感じていた。


「私、自衛隊って陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊と三つあるくらいしか知らなくて。その中でもきっといろんな仕事があるんですよね。お医者様もいたし」

「そうなんですよ。なんて偉そうに言いますけど、正直に言うと自分も海や空のことはわかりません。もっと言えば、自分の部隊から出ると分からないことだらけですよ」


 自衛隊も会社も似ているなと彩花は思った。もちろん自衛隊は国の機関で特殊だけれど、きっと上司に逆らえなかったり理不尽なことを押し付けられたりしているのだろうと。しかし、彩花が思う以上に厳しい世界だと言うことが分かるのはもう少し先のこと。


「それより、一色さんはミリタリーがお好きなんですか」


 幸田は危なくマニアですかと聞きそうになったのを軌道修正して問いかけた。


「ミリタリー……いえ、違います」

「でも若い女性が一人でカメラ抱えて駐屯地の行事参加なんて、あまりいないので。航空祭だとわりと増えてきたんですけどね、陸上自衛隊の行事ではまだ少ないから」

「かっこいい写真が撮りたいんです。教えてもらったブルーインパルス! あれを素敵に撮りたくて。でもいきなりは難しいでしょう?」

「ブルーインパルスか……」


 幸田はブルーインパルスという言葉に苦い思い出がある。やっぱり空自には勝てないのか、パイロットはかっこいいもんなと心の中で項垂れる。


「くるくる回るのを見てみたいし、その瞬間を撮ってみたくて。だって、プロでもない人たちがあんなかっこいい写真を撮るんですよ! ギア出したままとか、お尻から煙出すとかないもの」

「やっぱり女性の憧れはパイロットだよなぁ……」

「幸田さん?」


 幸田はなぜか落ち込んだように、そして彩花の話は上の空のような口ぶりだった。なにか悩みでもあるのかしらと勝手に想像した。


(本当はパイロットになりたかった、とか?)


「幸田さんは航空自衛隊のパイロットになりたかったんですか?」

「えっ、いえ。考えたこともないな」

「じゃあなんで落ち込んでいるんですか? まるでパイロットになりたかったような言い方でしたよ」


 そう彩花が聞くと、幸田は「パイロットは花形だよ。女性はみんな好きだよね?」と逆に質問をされてしまう。彩花は幸田の言いたいこと、求めている答えがよくわからなかった。だって彩花が興味を持っているのは乗っている人ではなく、乗っている物だから。


「えっと、確かにパイロットはすごいと思います。サインをくださった隊長さんはかっこよかったです」

「だよね……」

「あの?」


 もっと踏み込んで聞こうとしたときに、注文したカレーライスが運ばれてきた。彩花はサラダセットで幸田は大盛りのカレーライス。冷えないうちに食べましょうとなり、一旦お話は中断。


「いただきます! うん、美味しい。どうですか? ここのカレーは」

「うまいよ。うちの食堂のよりうまいな。一色さんはカレーライスが好きなの?」

「好きですよ。カレーライスを嫌いな人、いませんよね」


 幸田はそうだねと優しく微笑んで、また食べ始めた。食べている間はあまり会話はなく、でもガツガツ食べているというわけでも無かった。自衛官である幸田の食べっぷりはよかったけれど、けっして下品ではなくご飯粒を残さず全て食べる。食べ終わると姿勢を正し、手を合わせて小声で「ごちそうさま」と言って、ペーパーで口元を拭った。そんな幸田の姿を見た彩花は、心の中で思う。


(無駄な動きが、ない! きれいに食べるし、姿勢もいいし。自衛官て躾が厳しいのかしら!)


「あ、つい癖で早食いになってしまったな。ごめん。一色さんはゆっくり食べて」


 そして会計のとき、お世話になったからと支払いたい彩花と女性に支払いをさせるなんてできないと聞かない幸田の押し問答があった。最終的には自分の分だけを支払うという事でおさまった。結局、彩花は幸田が何に落ち込んでいるのかわからぬままお店を出た。


「今日はわざわざ様子を見に来てくださってありがとうございました。この通り私は元気なので安心してお仕事してください」


 彩花がそう言うと幸田は軽く頭を掻いて、何やら言葉を探している。彩花はそんな幸田を見て首を傾げる。


「幸田さん?」

「ああ、すみません。その、もしよかったらですけど、自衛隊のイベントに招待してもいいですか。ほら、カメラ! 撮るの好きだって言っていたから。同期に空も海もいるんで、航空祭や艦艇公開とか行けますよ」

「えっ、飛行機とか船も見れるってことですか?」

「はい。あの、エスコートしますから近くで見れますよ」


 彩花は素直に喜んだ。


「嬉しいです! わぁ! どうしよう。それまでにカメラ、練習しなくちゃ」


 彩花の頭の中は空を轟音をたててくるくる回る戦闘機や、堂々と海に浮かぶ護衛艦に塗り替えられた。バーナーを焚いて上昇する機体に、フォーンと汽笛を鳴らす灰色の艦艇が自分のカメラに収まるのを想像していた。それだけで体が熱くなる。


「ですから、正式に連絡先を交換したいのですが」

「そうですよね! 連絡先が必要ですよね。えっと、番号は知っていますよね」

「ではあなたの名前を登録しますね。一色彩花さん」

「はい。えっと、幸田……」

まなぶです」


 彩花が学さんですね? と、返すと幸田は満面の笑みで「はい。学です」と答えた。その笑顔は自衛官ではなく普通の男性のそれと同じだ。ふいにそんな笑顔を見せられて、彩花の心臓はいつかのようにキュッと縮んだ。


(笑うと、幼くなるよね……)


「後で、メールアドレスを送ります。日中はあまり連絡できませんけど、夜とか週末に連絡できるので」

「私も仕事なので夜で大丈夫です」

「随時、新しい情報をおくりますね」

「ふふふっ。さすが通信科ですねっ。よろしくお願いします」


 こんな感じで二人は連絡先を交換した。彩花はたくさんの素敵写真が撮れると夢を見る。幸田はなんとか次に繋がったと胸をなでおろす。


「自分としてはプライベートなんで、彩花さんのこと」

「プライベートまですみません。でも、嬉しいです」

「確認ですけど、嬉しいのは写真が撮れるから……ですか」

「はい!」

「即答……」


 今の彩花にそれ以上の気持ちはない。幸田さんはなんていい人なんだろうと、感動はしているけれど。


「ちゃんと、かっこよく撮れるように練習しておきますから!」

「うん。頑張って」


 幸田の苦笑いも気にせず、彩花は笑顔で手を振りながら別れる。「おやすみなさい!」駅の構内に響く声はとても朗らかだった。


「お嬢さんの頭の中はカメラの事でいっぱいだな……こりゃ、手強いぞ」


 幸田の独り言は改札の電子音に吸い込まれていった。

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