第6話 なかなか手強い

 あれから幸田は何かにつけてため息をついた。握らされた紙に書かれた彼女の個人情報は幸田にとって荷が重すぎた。自衛官たるもの、仕事上で得たこの情報を個人的に使うわけにはいかない。


(絶対にだめだろう! あの医官はいったい何を考えているんだ)


 眉間のシワは深くなるばかりだ。


「おい幸田。どうした? そんなに難しい顔をして。また女に振られたか」

「おいっ、またとはなんだ! またとは。ふざけるなよ。てか、見るなっ」

「へぇ、彩花ちゃん。かわいい名前だな」


 同部屋の同期である増田からしわしわになったその紙を後ろから見られてしまった。増田はにやにやしながら幸田の顔を見ている。なにか言いたげな顔だ。


「なんだよ。この情報は厳正に適切な処分をだな」

「俺は何も見ていないからな。ま、ひとこと言うならいかなるチャンスも取り逃がすなってところだな。情報科としては小さなことも拾う事で、国民の財産や生命を守ることとなる」

「意味がわからん」


 増田が言わんとすることを理解できない幸田はその紙を机に伏せた。それを見た増田は素早く幸田の脇からそれを抜き取る。


「おい! 返せよ」

「なるほどなぁ」

「何がなるほどだ。個人情報の乱用は法律的にも禁止されているぞ」

「その後、お加減はどうですか……だな」

「は?」


 増田は得意そうな顔をして言う。我が駐屯地内テリトリーで体調を崩したのだから、その後のケアまですべきじゃないのかと。今後も自衛隊活動に理解してもらうためにも、また行事に参加してもいいと思ってもらうためにも必要なことなのではないかと。


「いち自衛官がそこまでする必要があるのか」

「この子が生理的に受け付けないような残念子ちゃんなら放っておけばいいさ。あれか、ミリタリーマニアで面倒くさいタイプだったか」

「そうじゃない! 健康的な礼儀正しいお嬢さんだったさっ」


 幸田がムキになって言い返すのを見て増田は「ほう」と声を漏らす。もうひと押しかもしれないと増田は思った。


「だったら尚更だな。その手のお嬢さんは一度でも自衛隊サイテーなんて思ったら、二度といい方向には回復しないぞ」

「なんだって!」

「小隊長。お前に自衛隊のイメージがかかっている。よろしく頼むよ」

「勝手だな」


 幸田は至極不機嫌な顔をして増田から紙を奪い机の引き出しにしまった。でも、心の中では確かに一理あると思ってしまったのは内緒だ。






 週も半ばに差しかかったある日の昼休み、彩花のスマートフォンがブルブルと揺れた。揺れはすぐにおさまり、それがメッセージであることに気づいた。


「なんだろう……ん?」


 メールでもない、とあるアプリからでもない。それはもう滅多に使うことのなくなった機能、ショートメッセージサービスだった。画面の上にSMSというアイコンが顔を出す。


「これ、どうやって見るんだっけ?」


 見慣れない電話番号、怪しげなメッセージのお知らせに彩花はドキドキしながらそれを開いた。


ー 突然の連絡すみません。その後、体調に変わりはないでしょうか。○○駐屯地、通信科 幸田


 一瞬、なんのことか頭が混乱した。駐屯地、駐屯地ってどこ! 通信科? と彩花は脳をフル活用する。最後は送り主の名前だろうか、幸田と書かれてあった。


「あ!」


 彩花の声に何事かと同僚たちが注目をした。彩花はあわてて「なんでもないです」と席を立った。スマートフォンを片手にレストルームに駆け込んだ。


「もしかして、あの時の自衛隊さん? 私の熱中症のこと気にしてくれてたんだ……わー、どうしよう」


 まさか丁寧にメッセージが送られてくるとは思わなかった。電話でもなくメールでもなく、メッセージ機能を使うとこがなんとも今どきの若者とは違うなと彩花は思った。


「返信、しなくちゃ! えっと……」


ー 先日はご迷惑をおかけしました。すっかり元気になりました。ありがとうございます! 一色


「よし。これでいいかな」


 そう言ったそばからまた着信があった。


ー とても心配なので、お時間あるときにお会いできませんか。幸田


「え? ええっ? 会わなきゃいけないのぉ……なんか、大変なことになったよね。でもさ、これで嫌ですって返したら家の前で待ち伏せされてたりするのかなぁ。なんか忍者みたいじゃない、自衛隊って」


 なんとも失礼な言い方だ。でも、そこまでしなければならない彼らを気の毒にも思った。自衛隊主催の行事で倒れてしまったから責任を感じているのだわと。


ー 金曜日の終業後か土曜日であれば会えます。一色


 彩花がそう返事を打つとまた、すぐに返信がきた。


「早っ!」


ー では金曜日、19時頃に一色さんのご自宅最寄り駅で待っています。幸田


 なんだかあっという間に約束が整ってしまった。彩花はそのメッセージをぽかんとした表情で見つめた。


(真面目なのか、強引なのか……よく、分からないわね。取り敢えず元気な顔を見せればいいのよね)


 これは彼の仕事の一環だから付き合ってあげないと。倒れた自分がいけないんだと言い聞かせた。


「悪い人じゃ、なさそうだしね」


 彩花にとってはそれくらいの軽い気持ちだった。


 そしてやってきた金曜日。彩花は定時までになんとか仕事を終わらせて、予定通りの時間に会社を出た。よくよく考えれば金曜日に空いているなんて、彼氏はいませんと言っているようなもの。少しだけもったいぶって見せればよかったなと、変な牽制を今頃思いつく。


「まあいっか。五分もあれば終わるだろうから、そのあと本屋さんでも寄ろうかな」


 電車も遅れることなく19時ちょうどに改札を出た。真面目な自衛官だからもう来ているはずだとそれらしき人を探す。


(まだだったかな。制服の人、いないね)


 すると、彩花のスマートフォンが鳴った。見れば登録のない番号からだ。彩花は迷わず通話を開始した。


「はい。一色です」

「幸田です。今、どこですか」

「改札の前に」


 そこまで話したところで「こんばんは!」と、後ろから声をかけられた。振り向くと一人の青年が彩花を見ている。耳上で切りそろえられた短髪の、少し日に焼けたとても爽やかな人だった。彩花は思わず一歩下がる。


(誰! この人っ)


「あ、すみません。幸田です」

「えっ!?」


 彩花の声が駅構内に響いた。


「そんなに驚きますか」

「え、だって。てっきり迷彩服で来ると思っていたので」

「まさか!」

「あは、あはは……ですよね」


 彩花は予想外だった展開に、ちょっとだけドキドキしてしまう。迷彩服は勿論かっこよかったのだけど、今日の私服姿も意外とイケると。


「お元気そうでよかった」

「はい! この通りです。その節は、本当にお世話になりました」


 彩花は幸田に深々と頭を下げた。わざわざこんな所まで自分を見舞いに来てくれたことへの、感謝も込めて。


「ここではあれなんで、どこか入りませんか」

「あ、邪魔ですもんね。えっと、じゃあ表にあるお店に」


 彩花は幸田を駅前にあるカフェレストランに案内した。お礼になにか飲み物でもご馳走したらいいかなと考えながら。


「「何にしますか? あっ」」


 また、いつかのように言葉が重なる。


「ふふふっ、こないだから私たち息が合いますねっ」


 彩花がそう言うと幸田は一瞬目を見開いて、そのあと頬を緩めて「ですね」と答えた。少し照れたようなそんな表情だった。


(やっぱり、真面目な人だわ。この人が真面目なの? それとも自衛官だから?)


「実はその、一色さんにお会いするの初めてではないんですよね」

「えっ、うそ」

「やっぱり、覚えていませんよね。ICカード、失くされたでしょ。見つかりました?」

「ああっ! あの時の!」


 彩花は自分が出した大声にはっとして、思わず片手で口を押さえた。あの濃い緑色の制服で案内してくれた人だと、今の今まで気づかなかった。


「失礼しました。制服と迷彩服じゃ印象がちがって、その……すみません」

「いえいえ。ついでに言えば空港でもお会いしましたけどね」

「やだっ!」


 彩花の立て続けに驚く姿を見て幸田は肩を揺らして笑い始めた。そんな幸田に彩花は恥ずかしさに縮こまる。私って全然まわり見えてないと、反省もする。


「あなたは、楽しい人ですね」

「ただの、まぬけですよ」

「好きですよ。そう言うタイプの女の子は」

「ありが……えっ」

「あっ」


 幸田は焦った。自分は何を軽々しく好きだなんて言っているんだ。つい昨日まで女はお預けだと言っていたじゃないか! 自重しろよ! と大反省。そんな彩花は恥ずかしそうにこう答えた。


「もう、女の子って年じゃないですからっ」

「え……(そっち!?)」


 ぽかんと口を開けてしまった小隊長の幸田。敵はなかなか手強いぞ。

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