第11話 泊りですよ、いいんですね? はい!
幸田は幹部でありながら基地内の官舎に住んでいた。幸田くらいの階級であれば外にアパートを借りて住むことはできるのに。でも幸田はとくに不自由していなかった。いつ、なんときに災害や有事が起きるか分からないこの時代。指揮をとる身であればここに居るのが最も効率が良いと考えていたから。そう、少なくとも彩花に出会うまでは。
「順調そうだな。そろそろ此処を出たくなったんじゃないのか」
にやにやしながらそんなことを言ってくるのは同期の増田だ。増田は後方支援連隊に所属している。師団の
「ん? まあな」
「外に住めばいつでも会えるしな。週末なんて呼びたい放題。昼夜問わずにナニしたい放題だ。羨ましいな! 俺も彼女に会いたくなってきたぞ」
「夏期休暇が上手く取れることを祈っているよ」
「他人事だな」
増田は地元に彼女がおり、長期休暇でなければ会うことができない。増田が官舎に住むのは浮気を疑われたくないからだという理由からだった。
「あ、そうだ。カメラっ子のお前の彼女に朗報だ。ほら、これ譲ってやるよ。今から申請しておけば外泊できるだろ」
増田から手渡されたのはとある航空基地の事前公開の招待状だった。
「どうやって手に入れたんだ」
「ここの基地に同期で整備やってるやつかがいてさ。なんか招待枠あるから来るかって言われたんだけど、あいにく俺の彼女はこの手のものに興味なしでね」
「いいのか」
「いいって。ついでに一緒に温泉でも入ってこいよ小隊長」
バンと背中を叩かれて軽くむせる幸田に増田は腹を抱えて笑う。
(温泉……! ハードルが高いなぁ)
できるだけいつもの自分を装って、助かるよありがとうと返事をした。でも頭の中では初めてのお泊りの事でいっぱいだ。彩花は社会人だし、一人暮らしをしているので誰かの横槍を心配することはない。どちらかと言うと、彩花本人がどんな反応をするのか心配だった。
(いや、喜ぶに決まっている。だって初めてまともに近くで戦闘機が見れるんだ。カメラに収めたいに決まっている)
「知り合いの旅館、紹介してやろうか」
「よろしく頼む」
増田はまさか幸田が彼女と未だ清い関係だとは思っていない。幸田もそんな内々の事情を話すつもりもない。兎にも角にも、先ずは休暇の申請と彼女の了承を得ることだと招待状を机の
◇
「えーっ! 嬉しいっ。行く行く! 行きます!」
近所のカフェでティータイムをしている時に幸田は例の話を持ちかけた。想像していたとおりに彩花は大喜びだ。目をキラキラさせて、手を前で祈るように組んで、その脳内は航空基地に飛んでいる。
「何を持っていけばいいかな。フィルターでしょ、ズームレンズでしょ……この際だから新しいの買っちゃおうかな」
「彩花さん。ひとつ伝えておきたいんだけど、いいかな」
「はい! どうぞ」
眩しい笑顔を向けられて幸田は一瞬躊躇う。泊りがけだよだなんて、なんだか罠でも仕掛けている気分だと。でももういい歳した大人なんだからと、自分で自分の背中を押した。
「基地の所在地を見てもらったら分かると思うけど、日帰りは難しい。ちょっとした旅行になるけど大丈夫かな」
「大丈夫ですよ! 普段遊ばない分、少しはお金も融通ききますし。それに旅行! 久しぶりだから嬉しい」
「そう。一応確認だけど、俺と泊まりの旅行だよ、部屋も同じ。それでも?」
「はい!」
ここまで聞いたのだからさすがに大丈夫だろう。夜の可能性まで言うべきなのか。いや、未成年じゃないんだ、彼女は社会人だからと疑いつつも口にするのはやめた。
(キスも抵抗なかったんだからさ、大丈夫だろ。大丈夫だよな!)
「俺と二人きりで夜を過ごすんだけど。そのあたりも含めて問題ないと捉えても?」
「幸田さんとお泊りですよね。楽しそう!」
幸田はこれ以上は聞くのはやめた。なんとなく暖簾に腕押しな気がしてならないから。期待をするから落胆するんだと。
(期待するなよ? 俺のオレ)
二人にとっては初めてのお泊りでもあり、彩花にとっては念願の航空祭。そんなこんなで当日はあっという間にやって来た。
その日は会場が九時半だったので、始発で出発した。航空祭ともなれば遠方でもなんのそのと、全国各地からやってくる。ホテルは二日前からどこも満室で、幸田はこのときほど仲間のつてに感謝したことはなかった。予約をしたのは少しだけ贅沢な旅館だった。貸し切り湯や部屋風呂もある大人旅におすすめな宿だった。初めての泊りがけデート! 失敗してはならないと幸田は意気込んでいた。
「迎えがくるから」
「え! 基地からお迎えが!?」
ありがたい事に駅まで幸田の仲間が来てくれるという。荷物も警務隊の方で預かってくれるようで、至れり尽くせりだ。
「なんだかまるでお客様ですね。おみやげを持ってくればよかった」
「彩花からの土産は受け取れないんだ。その分、俺が何かお返しをするよ」
家族であれば別だけれど、一般の人からはそういった贈り物は受け取ることができないらしい。
(国家特別公務員だから、かな?)
しばらくすると白の自家用ワゴン車が来た。見ると制服を着た航空自衛隊の隊員さんが乗っている。幸田が手を上げて挨拶をした。
「お手数おけします。増田ニ尉と同期の幸田です。よろしくお願いします」
「整備をしています山下です。お話は聞いています。どうぞ」
彩花も頭を下げて挨拶をした。基地までは十五分程でつくようだ。明日が本番の航空祭で、今日はその予行と事前公開日。基地に入れるのは許可された人だけだ。その基地に所属する自衛官の家族や地域の団体、幼稚園や保育園、そして当日の参加が難しい身体障害者など。当日と違うのは展示スケジュールや内容やグッズ販売の店などはなく、お昼で終了するとのことだった。
「ご覧の通り、入場許可証を首から下げていただきます。あと、エスコートとして自分が付きますのでよろしくお願いします」
「あの、カメラは」
「大丈夫ですよ。一応、ダメな場所はその都度お教えします」
「はい」
彩花は前のめりになってエスコートをしてくれる山下の説明を聞いた。整備士である彼の話は彩花にとって、新たな興味をそそった。飛行前点検のデモンストレーションの話は特に。
「ぜひ見てみたいですねー。楽しみです」
そんな彩花を幸田は優しい目で見ていた。こんなに楽しそうにできるなんて、しかもマニアまでは至っていないのにと。
「彩花さん。ここは俺の専門外だから、思う存分聞くといいよ。俺も勉強になるし」
「りょーかいです」
彩花はそう言って幸田に片目を瞑って見せた。まったくの無意識だ。それを間近で見せられて、幸田の胸は奥でギュンと唸る。
(なんだよ……俺、本当に中学生に戻ったのかよ)
幸田は自分まで初めて恋愛をしているように思えた。彩花は男性と付き合ったことがないと言うのに、人との距離が近い。不思議な女性だなとあらためて幸田は思う。
「そうだ。今日はブルーインパルスも本番同様にウォークダウンからやるそうですよ。キーパーたちも飛行前点検で現れます。楽しんでいってください」
「ブルーインパルス!」
彩花の目がキラッと光ったのを幸田は見逃さなかった。初めて彩花を見かけたときもブルーインパルスが空を飛んでいた。ブルーインパルスがなければ彩花に出会うことはなかった。なのに、同時にブルーインパルスは幸田の苦い思い出を呼び起こす。
(またしてもブルーインパルス……か)
「近くで見られますか?」
「本番と違って人数も限られていますから、たぶん見られると思います」
「学さん! ブルーインパルスが撮れます」
彩花に満面の笑顔でそう言われると、幸田もよかったねと返すしかない。どうか、機体に夢中でありますように。人に興味を持ちませんようにと祈った。
(彩花さんのことだ。心配はいらない。きっと、ブルーインパルスを夢中で連写するさ)
「ではどこから見ましょうか……」
山下に連れられて二人は基地内を巡った。地上展示してあったのはこの基地所属の航空機たちだ。もちろん戦闘機もある。
「かっこいい。ギアって言うんですよね? 車輪のこと。うわぁ……戦闘機の脚ってセクシー」
銀色の細い脚の先に逞しいタイヤがついている。彩花にとってそれがなぜが大人の女性を思わせた。そのフォルムがとても美しいから。
「ん? あの赤いのなんですか? 紐みたいなの」
「あれは安全ピンです。REMOVE BEFORE FLIGHTと書いてあります。飛ぶ前に抜いてねという意味です」
「へぇー。でも、そもそもなぜあれを付けているんですか」
山下はあれでギアが引っ込まないようにロックしているのだと言った。地上を移動するときに勝手に引っ込んだら機体が傾いて倒れてしまう。でも、飛ぶときは抜かないと離陸後にギアを収納できない。安全ピンはギアだけではない。いろんな所にあるよと。
「全部解除し終わらないと離陸ができないんです」
「そうなんですね。学さん知ってました?」
すっかり自分のことなんて忘れているだろうと油断していた幸田は、彩花の突然の振りにはっとした。別にイジケていたわけではない。気を抜いていただけ。
「俺たち陸自でも安全ピン、あるよ」
「えっ!」
彩花の目がまた輝いた。
(そうだな。今度はちゃんと俺の仕事を見てもらうか)
「そのうち教えてあげるよ」
「お願いします!」
そして、とうとうやってきた!
ブルーインパルスの登場だ!
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