第22話 どこまでもついて行きます!カメラと共に

 二人はどれくらいそうしていただろうか。幸田の影が長く伸び、彩花の影を飲み込んでいた。間もなく帰宅ラッシュが始まって、ざわめく音に包まれる頃。



(バカか俺は! そうじゃないだろう! 泣かせてどうする。俺は彩花をーーっ)


 カツッ……!


 甲高いブーツの音がアスファルトに響いた。土にまみれてくすんだ黒は、紛れもない戦いから戻った男のものだ。


「彩花っ」

「ふあっ」


 幸田は目の前で小さく萎んた愛おしい彼女を、荒々しく掻き抱いた。そして、強く強く抱きしめる。


「彩花っ……さいっ、か」

「学さんっ、くるしっ……ん」


 怒りや悲しみではなく、少しの焦りと、心の底からこみ上げてくる喜びで幸田の胸はいっぱいだった。


「学さん……んんっ。学さん」

「ごめん彩花。ちょっと今の俺、制御きかない」

「えっ、あん。苦しい。オチチャウゥゥ」


 どれだけ強く抱きしめてもおさまらない。幸田の彩花への想いは一気に沸騰した。コツコツと帰宅を急ぐ足音が聞こえてきた。でも、幸田には関係なかった。もう、ここは二人きりの世界。


 道行く人がギョッとして足を止めて見たり、小さなお友達が近寄ってきて覗き込んだりしても気にしない。


「ママー! ボクもだっこしてー。ぎゅって、してー!」


 日が傾いて辺りが少しづつ暗くなると、幸田が着ている迷彩はまさにカモフラージュ状態だった。


「おわっ! びっくりした……なんだよ、カップルかよ……」


 そろそろ気にしたほうがいい……。


「ごめん。俺、汚れてたのに」

「学さん、怒ってないの?」

「ん? 実は怒ってたわけじゃ、ないんだ。その、どうしたらいいか分からなくなって。あ、彩花のほっぺ汚しちゃったな」


 幸田は不思議そうに見上げる彩花の頬を、指の腹で優しくこすった。彩花は擽ったそうに片目を瞑った。


「あーもう、俺……ぜんぜんダメだな。彩花のことになると、冷静でいられない」

「学さんはいつも、冷静よ」

「冷静じゃないよ。現に俺、身一つで駐屯地から飛び出してきてしまってる。汚れた制服、汚れた靴、それにめちゃくちゃ汗臭い。土とかオイルとかついたまま」


 幸田は情けない男だよと呟いて、深いため息をついた。

 道行く人が何事かとジロジロ見ながら通り過ぎていくのを横目で見ながら、幸田は彩花に詫びる。


「さらし者みたいになってしまった。すまない」

「謝らないで。汚くたって臭くったって、構わないよ。それが、学さんのお仕事で、それは命をかけた大変なこと。それに、汚れてるほうがかっこいいって言ったら、イヤ?」

「え、嫌じゃないさ! そんなこと、言われたの初めてだ……」


 先ずはシャワーを浴びてから。それが女性に会うときのマナーだと思っていた。街に出かけるときは香水まで振ったりしたものだ。

 危ない、汚い、臭いのが当たり前な自衛隊。だから余計に気を使っていた。


「ここに、カメラがないのが残念」


 彩花はそう言って柔らかく微笑んだ。


 こんなに自分を想ってくれる人はいない。あとにも先にも、彩花だけ。


 だから、幸田は決心をする。


「彩花。プロポーズ、ありがとう。謹んで、お受けしたい」


 幸田の曇りも澱みもない、真っ直ぐな瞳が彩花に向けられた。それを聞いた彩花は一瞬驚いて、両手に下げた買い物袋を足元に落した。


 ドサッ


「彩花、ごめん持たせっぱなしだっ……おあっ!」


 ドンッ!


 幸田は体に衝撃を受け、地面に尻もちをついた。彩花が飛びついたからだ。


「まなぶさん!! 大好き!!」


 仰向けに倒れた幸田に彩花が馬乗りになって、戦闘服の両脇を握りしめて喜び叫んでいた。


「えっ、うん。わぁぁ」


(ちょっ、ゆれっ、揺れるーーっ!)


 屈強な通信科部隊の男がカメラ娘に襲われている風景がそこにあった。






「ごめんな、彩花。ちょっとここで待っていてくれ、すぐに戻る」

「うん。行ってらしゃい」


 貴重品の全てを職場に置いてきてしまった幸田は、彩花に門の隣の警備室で待ってもらうことにした。だいたいの事をしっている警務隊は彩花に椅子を差し出す。


「どうぞこちらにお掛けください」

「ありがとうございます」


 駐屯地の門を守る隊員は24時間、交代しながらここに立つそうだ。顔のきいた隊員であろうが、どんなに偉い上官であろうが身分証明書の提示なしでは入場許可をださない。隊内でなにか事件が起きると、警察のようにサイレンを鳴らしながら駆けつける仕事。自衛隊内の秩序を守る部隊だ。

 時に不審者の確保、時に隊員の管理、そして警備車両などで警護もする基地の警察のような存在だ。


「あ、白バイ? みたいなのもある。あの車、サイレンも鳴らせるんだね。自衛隊って自分たちでなんでもしちゃうのね。お医者様もいるし......」

「自己完結型の部隊ですからね。誰の手も借りずに任務を遂行しなければなりませんから」

「あぁ、なるほど。助けに行った先で、助けを求めるわけにはいきませんものね」


 自衛隊は国を守るための最後の砦。ゆえに、彼らが誰かに助けを求めるということはない。そんなことが起きたなら、それこそ日本という国が終わる時なのかもしれない。


「あ、戻ってこられましたよ」

「え?」


 警備室から出た彩花は言われた方を見る。


「え!!」


 なにやら賑やかだ。十数人の人間の塊が、神輿を担いでいるように見えた。


「降ろせよ! おい、おまえらー!」

「学さん!?」


 がたいのイイ男たちに担がれたのは紛れもなく幸田だった。戦闘服ではない、制服に身を包んでこぎれいになっている。ワーワー騒ぐ集団は彩花の目の前で止まった。そして、爽やかな笑顔で幸田をさらに高く掲げた。


「おい! やめろーー!」

「小隊長! ご婚約、おめでとうございます! それ上げろぉ」


―― ワッショイ! ワッショイ!


「うわぁぁぁぁぁぁぁ」


 最初はあっけにとられていた彩花も今では一緒になって手を上げる始末。幸田が率いる小隊のみんなからの驚きの祝福だった。幸田の人柄が垣間見えた気がして彩花は嬉しかった。


「あーん、カメラがないの悔しーい!」


 後日、記録係の隊員から大きく伸ばされた写真が送られてきたのは基地のお偉いさんには内緒だ。





 日もすっかり暮れて、辺りは真っ暗になった。駐屯地の桜の木が風にそよいでいる。

 幸田はよれた襟元をいまいちど整えて、改めて彩花に向き直る。


「彩花。いつどこに異動になるか分からない仕事だけど、俺を信じてついて来てほしい。俺と結婚してください」


 彩花からプロポーズされいてもやはり緊張は隠せない。制帽の鍔は愛おしい彼女に向けて、背をピンと伸ばしその答えを待つ。


「はい! いろんな基地に連れて行ってください。私とカメラを」

「ありがとう!」


 幸田は彩花を抱きしめた。

 その幸田からはいつの間にか爽やかな石鹸の香りがした。


「ふふっ。いつの間にシャワー浴びたの? 自衛官さん早わざすぎるっ」

「さすがにあれは酷すぎただろ」


 汗と泥にまみれたあなたも好き。

 この香水じゃない純粋な石鹸の香りがするあなたも好き。

 あなたなら、どんな格好でも大好き。


 彩花は心の中でそう言って、今度は自分から幸田に抱き着いた。


「この制服の匂いも好きかも」

「そんなに着ないからな。まだ新しいだろ?」

「ねぇ、今度はどこの基地にいくの? そろそろお引越し、なんだよね?」

「うん。彩花、一緒に行ってくれるかい?」

「もちろん! 楽しみなの! ここでは見られない珍しいものが沢山あるでしょう!」

「そうだな......航空機のケツから落下傘で降りて来る部隊とか、本気で草まみれの部隊とか、あとは覆面部隊とか?」


 幸田は住み慣れた街から離れなければならない彩花を思ってそんなことを口にした。案の定、彩花の瞳はキラキラ輝き始める。


「楽しみ! 楽しみすぎるぅ。学さんも上から落ちて来るの?」

「お、俺は落ちないぞ」

「私、落ちてみたいなぁ......」

「おいおい」

「いろんな角度から通信部隊の学さんを撮るの!」


 たくさんの人と出会いたい。たくさんのものをこの目で見たい。そして、大好きなカメラでそれらをおさめたい。でもその中には必ずある人物も一緒でなければならない。


 それは、幸田学二等陸尉。


「だから、どこまでも着いていくの。置いていかないでね」

「うん」


 街灯の灯りの下を手を繋いで帰宅した。

 

 守る者が増えた男はもっと強くなる。

 愛されていると知った女はもっと可愛くなる。



 これからも、この二人をウォッチしていきたい、そう思う。

 

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