コンビニ
コンビニ 1/1
馬鹿にならない額の金と引き換えに大人にならないことを選んだ哀れで愛おしい同志たちがそうしているように、ぼくもまた机に突っ伏して半ば夢うつつ、講義が終わるまでひたすら時間が過ぎ去るのを待つ。
大学生になってから早一年。ぼくの人生の今は何章目くらいだろう。
そもそも学生の本分は勉学なのだけれど、勉学に勤しんでいる大学生など異端に外ならず、めいめい思い思いのキャンパスライフを描いている。ぼくは相も変わらずコンビニでのバイトに精を出し、飲みに行くでもなく、服を買うでもなく、自分が何がしたいのかもわからないまま、時間だけが過ぎていく。
近頃、急に不安になることが多い。
漠然と大学という場所に華々しい印象を持っていたのはいつのことやら、特に親しい友人ができたわけでもなく、やりがいのあることを見つけたわけでもない。文字通りモラトリアムの浪費だ。
今日もまたローソンでぼくの時間を切り売りする。
バックルームに入ると、いつものようにパソコンに向かって作業をしている店長の背中が、挨拶をしてくる。
「おはよう」
「おはようございます」
どうしてバイトでの挨拶は時間に関係なく「おはよう」なんだろう、とふと思う。
中身のすかすかなリュックを下ろし来週のシフトを確認していると、店長がこちらを見ずに言う。
「そういえば」
「なんですか?」
「時給、上がるよ。三十円だけど」
「ありがとうございます」
「あんまり嬉しそうじゃないな」
「そんなことはないですよ。嬉しいです」
そうは言いながらも、やっぱりぼくは嬉しいと思っていないのかもしれない。
バイトに精を出しているのはきっとある種の逃避なのだ。労働は、正しい。大学生活のこと、もっと先の未来のこと。働いている間は考えずに済むし、対価として賃金まで発生する。ぼくにとって、金を稼ぐことよりも、自分が世の中と関わって少しでも役立っているという実感が最も重要だったのだ、とふと気づいた。
椅子をくるりと回転させて、店長がこちらを向く。
「大学生活、上手くいってないのか?」
時々、核心を突くようなことを言う人なのだ。
「どうなんでしょうね。上手くいっている大学生活っていうのがどういうものなのかわからないから、何とも言えないですけど。少なくとも、楽しくはないかなあ」
口元に親指を当てながら、店長が少し遠い目をしたように見えた。
「俺も、そうだった。バイトばっかりしてたし、大学と言う場所にあんまり馴染めなかったし」
「え、店長も?」
「そうだ。たいしたことのない大学で、もちろん当然成績もよくなかったし、なんだかいつも漠然と不安だった」泰然自若とした店長がそうだったのは意外であるし、今まで聞いたことのない昔話を始めたことに驚いた。「それでも、意外と、なんとかなるもんだよ」
「そんな、ふわっとしたこと言われてもなあ」
「確かにふわっとした話だけど。でも、綺麗な奥さんももらって、なんだかんだで幸せな人生を送っていると思うんだ、俺は」
店長は最近結婚した。
「そういえば、店長の奥さんってどんな人なんですか? 全然イメージ湧きません」
「ああ……うーん……」
「写真とかないんですか? 見せてくださいよ」
「まあいいか……いつまでも隠しておくものじゃないしな……」急に歯切れの悪くなった店長が、ぶつぶつ言いながらポケットからスマホを取り出す。「じゃあ、これ結婚式の時の写真」
店長がディスプレイをこちらに向ける。
「え」
ぼくは驚いて、スマホと店長の間で視線を往復させる。
「びっくりするだろ? でも本当の話」
店長があまり冗談を言うようなタイプではないのは一年間の付き合いでわかっているし、それに急に振られた結婚の話のためにネタを仕込んでおくなんて考えにくい。
写真に写っていたのは、華やかな格好をした森明日香と店長。ふたりとも満面の笑みを浮かべているが、店長がこんな顔をしているのをぼくは見たことがない。森明日香は最近ニュースで結婚報道があった人気女優で、相手は一般人男性とのことだった。
「え? まじですか? 森明日香が?」
「まあ、本名は林明日香だったんだけど。今は倉木明日香になったわけだ」
「いやいやいやいや全然意味わかんないですって。なんで店長が森明日香と」
店長が照れたように頭を掻く。
「とにかく、人生何があるかわかんないから。俺もお前みたいに、うだつの上がらない大学生活を過ごしていたけれど。光が差す瞬間は、必ずあるから」
「やっぱりふわっとした話だなあ」
「まあ、俺もそう思う」
「なんすかそれ」
「そういえば、新しく入った田辺さん、お前のこと優しくてかっこいいって言ってたな」
「その話詳しく聞かせてください」
了
コンビニの倉木くん 吉沢春 @ggssssmm
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