チャイルド 3/3

 ぼくもレジを出て、山田くんの隣まで行く。男の子の家だという斜向かいの平屋を確認する。かなり年季の入った外観であることは、夜の暗がりでもわかった。


「結構古い家ですよね」

「だね」

「誘拐ではないだろう、と思ったのはサンダルを履いていたからです。いかにもその辺から来たという感じだったし、長距離を歩いてきたなら足が汚れていそうなものだけど、そんなこともなかった。髪も少し濡れていて、風呂上がりに見えました」

「え、倉木くん、急に饒舌」

「あ」


 駐車場にブルーの軽自動車マーチが停まる。ぼくたちはいそいそとレジへ引き返し、今やるべき雑務を慌てて探す。

 車から店長が降りて、店内に入ってきた。白いシャツに黒い細身のジーンズ、天然パーマだというゆるいウェーブのミディアムヘア、一見ライブハウスにでもいそうなルックスをしている。歳は三十代半ばだそうだ。


「こら。山田、あと、ええと」

「倉木です」

「倉木。お前らな、入口で雑談するために給料出してるんじゃねえからな」

「すいません」

 どちらかというと、名前を覚えてもらえないくらい存在感がないことに対しての自嘲で謝る。

「店長、うちの店に滝はありますか?」

 山田くんが面白そうに言う。

「滝?」

「さっき男の子が来て、言ってたんですよ。『滝はありますか?』って」

 店長は腕を組み、考えるような表情を浮かべた。しかし、すぐに気だるげで面倒くさそうないつもの顔に戻った。

「そんなことより、仕事しろ、山田。あと、ええと」

「倉木です」


 それ以降、会社帰りのサラリーマンがぞろぞろ来たり、新商品が入荷してポップを作ったりで、雑談をするタイミングはもう訪れなかった。ぼくは思い当たる節があったので、山田くんに話そうと思っていた――ぼくが積極的に話そうと思うのはかなり珍しいことだ――けれど、退勤した後店長と野球談議をしている彼を待つほどではなく、というよりもその時には話そうと思ったことすらもう忘れていて、思い出したのは家でラーメンを茹でている時だった。




「おはようございます」

「おはよう」

 翌々日のシフトでも、山田くんと一緒だった。リュックを下ろしてロッカーにしまい、ポロシャツに着替える。かつてぼくの描いた華のキャンパスライフは、山田くんとのコンビニバイトで塗り替えられていく。

 店長もいて、パソコンに向かってなにか作業をしていた。


「店長とも滝ってなんのことだろうってまた話してたんだけどさ。やっぱりわからない」

 縞模様のポロシャツから坊主頭を出した山田くんが言う。

「それなんですけど、ぼく、たぶんわかりましたよ」

「え、まじで」

「俺も聞こう」

 店長が椅子を百八十度回転させ、こちらを向く。

「と言っても、そんなに大したことじゃないですし、想像の範疇ですが」

「なんだなんだ」

「簡単に言うと、聞き間違いです」

「二文字を聞き間違えるかなあ」山田くんが不満げな顔になる。「滝じゃないなら、マキ、とか、カキ、とか?」

「いえ、そうじゃなくて。男の子が聞き間違いをしたんです」ぼくはポロシャツのボタンを留めながら話す。「滝の、おトイレ。と、多機能トイレ」


 一瞬無言の間が生まれたあと、店長がげらげら笑いだした。


「なんだそれ。滝のおトイレって。仙人かよ」

「あの子の家はかなり年季の入った平屋だったので、もしかするとまだ和式トイレなのかもしれません。それで、テレビか何かで多機能トイレという言葉を聞いて、『滝のおトイレってなに?』と家族に訊いたのではないでしょうか。家族は多機能トイレのことだと思っているから『うちのトイレとは違う。コンビニに行けばある』なんて返した」

「おお、おお、すごいな倉木くん。よくあれだけでそこまで想像できるな」

 まだ笑いが止まらない店長とは違い、山田くんは目をきらきらさせて感心している。

「実を言えば、ぼくも以前まったく同じ勘違いをしていたんです。実家がまだ和式トイレだった頃」

「倉木くんの家って、やっぱ貧乏なんだ?」山田くんは思ったことを遠慮なく言える人なのだった。「滝のおトイレか。だから滝を探してた。なるほどなあ」

 笑いの収まってきた店長が目尻をぬぐう。

「それが真実かどうかはさておき、面白かったからな。バイト中に雑談の花を咲かせていたことは許してやろう。山田。あと、ええと、倉木」

「倉木です」

「言ったじゃねえか」

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