第14話 ネクスト・ステップ

 灰色に屋根を並べる住宅街の中、一塊の緑と共に唐突にニョキニョキ生えた鉱物の結晶のような高さ10階の集合住宅の群れがある。

 5月の明るい日差しに照らされて、どこも窓が鏡のようにピカピカ光っている。


 集合住宅と緑化公園は必ずセットで作られるもので、周りには散歩やジョギングに良さそうな広い公園が見えた。この場所は駅にも近く便利そうだ。

 だが、いつの頃からか人口が減少し続けているこの国では、経済的な事情を別にすればわざわざ狭い集合住宅を選んで住む者は少ない。

 残しておくべき歴史的価値というものがあって、つばさとはづき一家の住むこの建物は100年近く前のデザインそのままに学校や公共施設の集中する街の中心部に立ち続けていた。

 昔はここのような、小さな家を縦に積み上げたような家がもっとたくさんあったそうだ。


 ひかりが建物の入り口を窺うと大きな総合入り口のひさしの下、日陰に立っていたスポーティな赤いTシャツにハーフパンツ姿の少年が気づいて手を振った。隣には同じくらいの年頃の女の子がいる。

 髪の毛を二つ分けにして短い三つ編みにした女の子は白いレースの膝丈ワンピースで、足元はカラフルで鮮やかなスポーツシューズといういでたちだった。

「わたしたち、朝練してたんだ」

 女の子……笙野はづきがにこにこと教えてくれた。

「ヒーローはしゅぎょーしなくちゃだから」

 隣の男の子…はもちろん、柴犬ヒイロだ。

 ひかりと目が合うと照れ臭そうにばりばりと頭をかいて黙って横を向いた。

 ヒイロはあれから一旦「ばっちゃん」の家に戻り、改めて全てを明かしてはづきと友達になった。

(どんなふうに言ったんだろう)

 ひかりはにやりと笑ってその様子を想像する。

「おい! 何考えてるんだよ!」

「あ、ごめんごめん」

 犬の鋭い感覚は簡単にひかりの内心まで見破ってしまうらしい。


「そうそう、これ渡さなきゃ」

 ひかりはバッグを探って、今日ここへ来た目的。あまねから託されていたものを引っ張り出した。

「なーに?」

 はづきの興味深げに覗き込む頭が影を作って、ひかりの手の上にあるものはきらりと輝きをあらわにする。

 なんのことはない。「ビット」やその他多くの電子機器に使える小型記憶媒体……。簡単に言えばデータを持ち運ぶためのもの。本体は物凄く小さいので、好きな形に外装を整えてアクセサリーやチャームとして持ち歩くことができる。

 ひかりが持ってきたこれは透明なガラスの滴型で親指の爪ほどの大きさしかない。(落としたり無くしたりしないように細い組紐のストラップがついている)

 それを摘んで起動させると、内部にふわりと起動を示す光がついた。

「ネクストライフ・チューナー持ってきたから」

「ああ、それがそうなんだ」

 寄ってきたヒイロもひかりの手元を覗き込む。

「服貸して」

 ひかりが手を出すと、ヒイロは小脇に抱えていた例の緑色の上着をぽんとひかりに渡してくれた。その袖口にはちょうど記憶媒体がはまる大きさの小さな接続口が付いている。

「それがあればヒイロはもう大丈夫?」

 はづきにはすでにおおまかではあるが、「ネクストライフ・チューナー」と呼ばれる音楽がヒイロの負担を減らすことを伝えてあった。

「うん、実際危なかったんだって」

 目を向けると少年は気まずそうに肩をすくめた。

『力』は身体の変化を伴うものや成果が世界にもたらす影響が大きいほど本人にとって負担が大きいらしく、あまねいわく

「力は1日一度まで! 用法容量を守って正しくお使いください!」

 なのだ。

 ひかりがあまねの言い方を真似して言ったので二人は思わず吹き出す。

「じつはばっちゃん家に帰ったらいつも疲れ切って寝ちゃうから、ばっちゃんにすごく心配されてた」

「だめじゃん!もう!」

 目を丸く見開いたはづきが非難の声を上げた。

「いや、もうあんな無理はしてない!」

「無理してたんだ!」

「いやその」

 ひとしきり言い合いが収まったところで、ひかりはヒイロに言った。

「力を使う前と使った後にこれをこう、押せば…再生されるから」

 上着の袖口に、キラリと光が灯る。服に触れると、その当人にだけ再生中の音楽が聴こえる仕組み。

 10年くらい前に売り出された仕組みで、スポーツをしながら音楽を楽しみたい人向けに爆発的に流行ったんだとか。

 あまねがあの夜投げつけた薄紫の服は、もちろんその機構がついたあまねの私物。

 笙野つばさが妹にあげた上着にもそれはついていた。

「人間は変わったもの作るなぁ」

 手早く上着を着込んだヒイロは、少し嬉しそうにも見える。

その隣でちいさな手を身体の前で揃えたはづきが丁寧なお辞儀をした。


「えっ、何?」

 ひかりが驚いていると、すっと上げた顔に真剣な表情を浮かべていた。

「ひかり、ありがとう。ヒイロをたすけてくれて」

 ひかりは首を振った。

「ほとんどあまねと、お兄さんのおかげ。お兄さん、凄いよ」

 あの夜あまねとひかりについて、つばさは一切根掘り葉掘り聞こうとしなかった。ヒイロには何か言っていたようだったけれど。一言だけ

『何か俺が知っておくべきことがあったら教えてくれ。いつでも行くから』

 と、言い残して何事もなかったように去っていった。だからこそ、ひかりたちは近いうちにちゃんと話さなければと決意していた。


「うん、お兄ちゃんは本当に凄いんだ! 褒めてくれて嬉しい。……えっと、今日はひかり予定あるんでしょ?」

「そうなんだ。また別の時に遊ぼう」

 ひかりが手を振ると、はづきも小さく振り返してくれた。

 ヒイロの服の肘あたりを掴んで、はづきがずいずいと歩き出す。

 去り際にヒイロが小さく頭を下げる。それに頷いて、ひかりはしばらく二人の背中を見送った。

 今日は日曜日で、爽やかな風が吹いている。


「僕の力は……なんなんだろう?」

 二人が見えなくなってからぽつりと呟いた。あまねと春原は今だにひかりを『ネクストライフチューナー』に触れさせようとしない。(今回ヒイロに渡したものはヒイロ専用にチューニングしたものだと言っていた)なんだか遠ざけているようにひかりには思えた。それがそこはかとなく不安をかき立てる。

 謎と不思議に満ちた中学校生活は始まったばかりだった。




『その高校生は確かに見たって言ったんだ?』

 たたた、と指先でメッセージが打ち込まれる。

〈そう。間違いなく〉

 瞬時に返事が返ってくる。

『へえ、まだ信じられない』

〈そうだろうけど、赤い魔術師さんも見てた〉

 春原トオルは真剣な顔で端末にメッセージを書き込む。

『一ノ宮ひかりの「ネクストライフ」は斧だったって?』

 やはり返事はすぐに。

〈そう。斧。曙光を放つ大きな斧だったそうだよ。知っての通り、これまでに『ネクストライフ』で武器を出現させた者はいなかった〉


 それは笙野つばさにヒイロが飛びかかり、一ノ宮ひかりが割り込んだ瞬間のことだ。

 ひかりの手には『斧』があってその平の部分でヒイロの攻撃を弾いた。

 ヒイロは人の姿をしていても身体能力は完全にひとを凌駕していて、その手であの勢いで、つばさの喉を掻くなり、胸を突くなりしていれば大怪我は免れなかっただろうと、ヒイロなりの言い方ではあったがそう反省していた。

 完全にそれまで傷つけてきた子供達に振るったレベルの力を超えていた。と。

『前代未聞、なるほどね。あまねも迷うわけだ。斧がなんなのかまだ見当もつかない。武器じゃないかもしれないし。でも近いうちに一ノ宮ひかりのチューニングもするみたいだからその時においでよ』

 しばし考えたのちに、春原トオルはそう記入した。

〈じゃあ、そのときに〉

返事は簡潔だった。

『またな』


 ネクストライフチューナー 一章 完

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ネクストライフ・チューナー みどりこ @midorindora

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