第3話 放送部のヒミツ

「響ー! 無事だったよー!」


「放送室」と表札のかかった引き戸を開けるか開けないかのうちに中から元気な声が聞こえて、ひかりは思わず一歩跳び下がった。


春原すのはら!」

 そんなひかりと入れ違う勢いであまねが中へ飛び込んだ。

「先生や他の生徒だったらどーすんの!」

「えー!? オレ耳良いからっ、痛え!」

 ぺん! と軽い音がした。紙か何かではたいたような音。

「はい、もう手遅れでしたけど!」

 恐る恐る室内を窺うと部屋の半分をはめ殺しのガラス窓がある壁で隔てた収録室と、いくつかの机の上にゴチャっと編集機材が載った編集ゾーンに分かれた室内が見えた。入学後に学校案内でちらっと見た時と変わりはない古めかしい放送室だ。

 今は正面にある校庭に面した窓が全開だった。編集ゾーンで言い合う二人が居る。


「えっ、その子……」

 あまねに詰め寄られてたじたじとしていた男子生徒がやっとひかりを見た。


「バレた?」


「うむ」


 腕組みをしてうなずくあまね。

 途端、うわぁああとうめいて男子生徒はその場にうずくまった。その背中にぴょんと猫が乗る。どこに隠れていたのかオレンジの縞のある猫は、金色の瞳でじっとひかりを見てから一声にゃあ、と鳴いた。

「猫!?」

「屋上から降りられなくなってたみたいでさ。春原に頼んで、その子を助けてもらってたんだよ、やー、だれかに見られてるとは思わなかった」

 あまねはテキパキと廊下のドアと、開けっぱなしの窓を閉めてひかりに椅子を勧めた。

「ほら座って。はたいちゃったけど、責任は半分はわたしだなぁ。春原ごめんね」


 春原と呼ばれた男子生徒はうずくまったまま頭を動かした。うなずいている。


「つまり、そのひとが…?」


 靴の持ち主で、窓から飛んだ?


「そう、突き落としたんじゃなくて反対」

 勧められた椅子に座ったひかりの横で机にひょいと腰掛けて、あまねは両手を顔の脇でひらひら羽ばたかせた。


「飛んだの」

「……本気?」

 からかっている様子も冗談めいた表情も無く、あまねは首を傾けた。愛嬌のある目元は今は全く笑っていない。


「もちろん」

「ま、あまねが変な奴にバラすわけないし、信じるか」

 春原が上体を起こし、床に胡座あぐらをかいた。

 片足の上履きは無い。

 組んだ脚の上に猫が当然のような顔をして流れ込むのをひとなでして、妙に先輩っぽさを感じさせない二年生はにこりと笑う。


「春原トオル。二年生で陸上部」

 首元に青いヘッドホンをかけていて、それが紺のブレザーの上で存在感を主張している。たしかにスポーツをしていそうな、やや日焼けした肌色だ。(陸上部? 放送部員じゃない?)疑問符を浮かべかけたひかりの前で、


 唐突にふわっと春原の後ろが光った。

 あまねが丁寧にカーテンも閉めていたので、窓際に置かれたパソコンが起動して光が反射したのかと思ったが違った。


 青白い光は春原の背中から出ていて、それはCG映像のようにみるみる大きくなって、半分透けた青い光でできた鳥の翼になった。

 高速度撮影した植物の成長映像のように、それはするすると広がっていく。


 ひかりは口がぽかんと開くのを自覚しながら、今自分はものすごい間抜けな顔をしてると思ったけれどどうにもできない。

 翼は実体が無いようで、机や機材を突き抜けて放送部の部室の半分をすっかり覆ってしまった。


「オレの『ネクストライフ』はご覧の通り『翼ある人』。短い時間なら空を飛べる。さっきはこいつで屋上まで飛んだってわけ」

「こいつ」と言った瞬間翼もふぁさりと動く。

 翼の光に照らされて、放送部の狭い室内は異世界のようだった。何もかもが海の下にいるみたいに青い。


「放送部には秘密の伝統があってね」

 あまねがそっとささやいた。


「私たちは転生することが決まっている人から、その力を引き出せるんだ」


「!!」

 ぱっと仰いだあまねの顔は一瞬、遠いものを見るような表情を浮かべていた。

「響さん……」

「あまね」

「あまね、目の前で見ておいてなんだけど、ほんとに、信じられない。こんなことが本当にあるなんて! でも何て言ったらいいか…」


 目の前に翼のある人がいるという嘘のような光景が広がっていなければ絶対に信じないどころか、笑っていたかもしれない。

 言葉が胸の内で渋滞を起こし、考えまでごちゃごちゃになって、その重みにひかりはうつむいた。

 一瞬記憶の底から浮かびかけるものがあって、反射的に押さえ込む。


(違う。あれはそうじゃないから)


「変わってるね、一ノ宮」

 はっとして顔を上げるとあまねは顔を曇らせていた。

「楽しいだけのことじゃないって、知ってるみたい」

「そう、かな」

 ひかりの頭の中はぼんやり熱を持ったように感じられた。

 世界が文字通りひっくり返って、頭の中に言葉にならない感情と思考が煮えたっているよう。こんなことがあるなんて、あるなら…。


 頭を抱えかけたとき部屋の明かりが変わった。


 周囲は見慣れた色に戻り、一瞬前までそこにあった光の翼はもうない。

「時間制限があるんだよ。他にもいろいろとややこしい約束事も。その辺も含めて、後は追々」

 春原トオルは猫を抱えてひょいと立ち上がった。


「忘れてもいいし、言いふらしてもいい。信じる人がいるかどうかは微妙だろうけど。……ってオレは最初そう言われた」

 あまねが机から降りて、放送部のドアを気取った風に開けて見せた。


「一ノ宮の好きにしていいよ。でも、どうするつもりかだけは教えてほしい。今日はもう充分情報過多だろうし、答えは明日聞かせて」


 それじゃまた明日、と春原トオルは片手を振り、流された形でひかりもぺこりと会釈をして、気がつくと放送部の外にいた。


(あれ……、え?)

 振り返っても何の変哲も無い放送部のドアがあるだけ。ひかりは拍子抜けした気持ちでしばらくドアを見つめた。


 間違いなく世界が変わってしまうようなことが起きたのに。

 あまりにも事の大きさに釣り合わなかった。

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