第11話 遭遇

「待て!」


 狭い路地裏に声は鋭く響いた。

 建物と建物が背中合わせになった、月光も届かない影絵のような細道を『赤い魔術師』は一切速度を緩めず、迷うことなく駆けて行く。

 暗闇は苦にならないようだった。


 アスファルトを蹴り、浮いた身体が民家の境を区切る植え込みで跳ね、身体に巻きつけていた黒いマントが追って空気に乗り翻る。


 とん、と軽々と着地を決めると流れるように再び走る。

 驚くような身軽さだ。

 それに大柄な男が大胆な走りで食い下がっている。

 段差につまづき、角でバランスを失い、それでも歩幅の大きさと前に進む意志とで全く遅れない。

 ちらっとそれを振り返った『赤い魔術師』は再び舌打ちした。


「もう、やめろ!」

 そんな言葉で止まるわけもない。


「グレーダーは! そんな卑怯なことすんのかよ!」

 上がる呼吸の合間に叫ばれた一声に小柄な姿が止まった。


「くそっ、もう走らせんじゃねー…」

 男は…笙野つばさは肩で息をしながら膝に手をつき、数メートル離れて足を止めた小柄な姿を睨みつけた。


 路地はそこで終わっていた。

 高さ1mほどの金属製フェンスが行く手を阻み、その先は深く落ち込んでいる。

 さらさらと水の流れる音がして下に川が流れていることを悟らせた。

 足を止めた『赤い魔術師』の背後には対岸のコンクリート岸壁、その上に同じようなフェンスがありそれ越しに暗い桜並木があり、二人の頭上には静かな夜空が広がっていた。


 対峙する二人の右側は高いコンクリート壁になっていてその上に道路があるようで、生い茂った竹林越しに車のライトが横切った。

 左側は緩い下り坂になっていてその先に古い空き家と駐車場が続いている。ぽつんと輝く街灯がなければかなり寂しい場所だ。


「なんで」

『赤い魔術師』の声は少女にしては少しハスキーだったが、小学1、2年生くらいの子供でそんなに目立つほど男女の声は違わない。

 つばの広いとんがり帽子にふくらはぎの後ろまで届く黒くて長いマントは服装の印象を覆い隠し、極め付けに髪型は顎の線で切りそろえられたいわゆるおかっぱ。


「にいちゃん、なんでわかったの?」

 双眸は丸く見開かれて、眉間がぴりっと跳ねて苦しそうなシワを刻んだ。

 体の前でマントをかき合わせる手元がわずかに震えている。


「それ、オレのだからだよ」

 笙野つばさは力なく持ち上げた指先で指した。

 怪訝そうに自らの身体を見下ろす『赤い魔術師』

「そのジャケット。緑色のやつ。それ、オレの妹にやったやつなんだ」


 この前砂場でグレーダーを見つけたその時にも着ていた、シャカシャカした手触りで今となっては流行遅れの年季の入ったジャケット。それがマントの下に見えていた。


「お前がそれをどうやって手に入れたかはどうでもいい。妹は優しいやつだし、お前にやったのかもしれないし。だからそこはいい」

 笙野は上体を起こして叩き付けるように叫んだ。


「グレーダー失くして泣いてたやつが、誰かを泣かすような真似すんな!」

「だって」


『赤い魔術師』は一歩下がった。

 幼さの影が見え隠れしていた顔から拭い去るように表情が消える。


「群れの輪を乱す奴等は噛まれて当然。痛い目を見なきゃわからない」

「? どういう…」

 困惑が笙野に隙をつくり、『赤い魔術師』が声もなく飛びかかったのと、一ノ宮ひかりが割って入ったのは同時だった。


『だめ‼︎』


『赤い魔術師』の小さな姿が掴みかかるように両手を突き出して、大柄な男の首元に飛びつく。

 弾かれたように唐突で声さえない奇襲に、ひかりがどうやって割り込めたのか、後で当のひかりが一番困惑した。


 ともかくもひかりが必死で伸ばした片手にガツンと思い切り殴られたような衝撃があって、

「いたっ!」

 小さく叫びながらひかりは男の首元に届く寸前だった小さな手を自分の腕で受け止め、身体ごと回転させるようにして力いっぱい振り払った。

 振り払われた形のマントと魔女帽子姿の小さな身体はアスファルトにぶつかる寸前、綺麗な受け身を取って着地すると、上方に跳躍した。

 人間ではありえないほど高く跳んで、街灯の上へ。


(赤い魔術師なのに、赤くない)

 妙なところに驚くひかりの前でそのまま右手の竹林の上へ向きを変えて飛び上がると、初めから居なかったかのように見えなくなってしまった。

 バタバタと乱れた足音がして、厳しい声が降ってきた。


「おい! あんた大丈夫か!? どうやって…」

「気にしないで。怪我はしてない。それより人が襲われてるって聞いて! 無事ですか? あなたの方の怪我は!?」


 二人がぶつかる勢いでお互いまくしたてた。

 ひかりがはたと見上げると、大柄なので大人かと思ったが顔を見るとそれほど大人でも無さそうだった。がっしりした体格で顔も「かっこいい」というより「無骨」と言った方が良さそうな。

 高校生くらいだろうか、とひかりは推測した。目元を隠すように長くした前髪がどことなく生活に困った浪人を思わせた。


(なんか『武士』って感じの人だな)

 その人は唸りながら額を手の甲で擦り、困った顔をした。


「あのな、さっきの奴なんだけど……」


 言いかけた瞬間、ひかりの視界が回転した。


(えっ)

 身体に強い衝撃を受けてうつ伏せに倒れていた。

 肺の空気が押し出されて空気を求めて喉が鳴った。

 背中に重い何かがのしかかっている。


「動かないで。にいちゃん」


 退いていなかった。

 するりと衣擦れの音がして、黒いマントの端が地面に伏したひかりの視界に入った。

 叫ぼうとしたがタイミングを合わせるようにぐいと肺の上を踏みつけられ、咳き込むしかできない。


「おまっ!」

「動くとこの人の首がなくなるよ」

「……!」

 ひかりの背中に全体重を乗せて踏みつける誰かは冷たく言い放った。

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