第13話 かくて都市伝説は生まれる

唐突なあまねの登場に声を失った様子の二人をそのままにして、あまねはふんと笑って胸をそらせた。


「私だって調べられるところは調べてある。主に病院や学校の方ね。私は、『噛み傷を負った子供たち』の情報を掴んでた」

ハッと表情を変える高校生。知っていたのかもしれない、とひかりは思う。


「最近学校やその周辺で、犬に噛まれて怪我をする子供が増えた。あなたは『ネクストライフ』の力で姿を変えた犬。そうでしょ? 姿を変えるために常に力を使ってる。 そんな無理な使い方は長く持たないよ」

「犬が人間に変身ってこと!? そんな」

人差し指を立てたあまねがそれをずいと突き出した。

「『まさか』は無いっしょ。形が変わる人間だっているんだから」

ひかりの脳裏に春原の青い翼がよぎった。確かに。


「うるさい!!」

少し離れて立っていた『赤い魔術師』の姿がぶれたかと思うと、一瞬後あまねに小さな姿が飛びかかっていた。

「あまね逃げて!」

翻ったマントはひかりが伸ばした手より遥か遠くに見えた。

ほんの数歩の距離なのに、10mも離れている気がした。

高校生もあまねの方へ手を伸ばしかけていたが、届く距離ではない。

突然あまねが片手を横へ薙いだ。

薄紫の布の塊が空中でばさっと広がって虚を突かれた形の『赤い魔術師』に正面から被さった。


(えっ!? 布? 何?)


布が被さった『赤い魔術師』はもがきながらその場に倒れた。なんとか振り払おうともがいているが、結構面積のある布なせいで顔を出せないでいるらしい。

反射的にひかりは『赤い魔術師』に駆け寄ろうとした。

「ひかりはその布に触らない!」

突然激しい口調であまねが静止する。

「何で!?」

「チューニング中だからね!」

足を止めたひかりに、あまねは真剣な顔で手招きした。

高校生も険しい顔でひかりに手招きしている。声を出さず、離れろとジェスチャーを加えた。

「…けど」

また『赤い魔術師』は襲いかかってくるかもしれない。今押さえ込んでしまった方がよくないか? 距離をとってしまったらまた誰かが危ない目に合わないとも限らない。迷うひかりにあまねはきっぱりと首を横に振った。


「大丈夫。もう危ないことはできないよ」

「……わかった」

ひかりはもがく布の塊を見つめながら慎重に足音を殺してあまねと高校生の方へ距離を取った。

気のせいか布の塊は縮んだように見える。いや今はもうひと抱えしてしまえるくらいに小さい。

そのサイズを見てから、あまねはさっさと近寄って行くと傍らへしゃがんで布の端同士をうまく結び合わせてしまった。

塊はまだもがいているが、やがて結び目の間からぴょんと茶色の毛の塊が飛び出した。

ピンク色の舌を出してぜえはあしている小さな…柴犬!?


「どうして!?」

「それが本当の姿なんでしょ」

「どうやったの!?」

「それは秘密」

高校生はひかりとあまねのやりとりを一顧だにせず、食い入るように柴犬を見ていたが、やがてポツンと言った。渋い声に呆然とした様子をにじませながら。

「はづきは俺に『犬を飼ってもいい?』って聞いた。一週間くらい前だ」


「そう。この子のことなんじゃない?」

あまねはけろっと答える。

平然としすぎていてひかりは逆に驚いてしまって声が出ない。驚くというか、感心して、というか。

あまねは豪胆だ。


柴犬は唸り声を上げて布に噛みつこうとしたり、袋状になった布の中で四肢をばたつかせたが、どれも上手くいかないようで、やがて観念したようにぺたりと頭を地面に落とした。


「…おれは、はづきに悲しまないで欲しかっただけだ」

変わらない少しハスキーな子供の声。

犬が話すことに目を丸くしかけたが、もういちいち驚くのはやめにしようとひかりは自分に言い聞かせた。

なんだって起こる。きっと、もっと突拍子もないことだって。


「やり方が間違ってる。仲間外れにされていじめられてたのはあんた」

あまねは容赦なく言い切った。

「毎日挨拶しても、はじめまして。いつまで経っても友達はできない。はづきちゃんはあんたが仲間外れにされていることに悲しんでいたんじゃない? …どうしていじめっこ狩りまではじめちゃったの?」

「お前には関係ない!」

柴犬は吠えた。真っ黒でつぶらな目に傷ついたような光が灯る。


ーーーまただ。また、みえてくる。


どこかの小学校の休み時間だろうか。

ワイワイと集まって騒ぐ子供達。その集まりの一つに『赤い魔術師』の少年もいる。楽しそうに学校の子供達とじゃれているが、重なるように淡々とした声が響いた。

「仲良くなれる子も、なれない子もいる」

目の前で柴犬が話している。それに被さるようにひかりはまた映像を見ていた。

映像は瞬時に切り替わり、入り乱れていて映画や動画のように順序立てて見えるものではなかった。それなのに『何が起きているのか』ひかりにはわかった。


(もしかしてやっぱりこれ、この子の考えてることか…過去?)


どこのクラスにも属さない奇妙な少年はまず不思議がられた。

それでも子供達の中には面白がって一緒に遊ぶ子もいた。

彼は教師のことは巧妙に避けていたので、大人の目に留まらない。

1日ほんの数時間学校へ行って遊ぶだけ、しかも『ネクストライフ』の性質が作用して皆彼のことを正確に覚えていることができなかった。

誰も正確なことを知らない子供。大人たちは知らない不思議な子。

やがて子供達は彼を不思議がり、きみ悪がり始めた。

だんだん子供達の輪から遠ざけられた少年は、一人で校内をぶらぶらして過ごすことが増えた。


「一度、喧嘩が起こって力の弱い方に味方して守ったことをはづきに話したら、はづきは褒めてくれた。

良いことをした、って褒めて微笑んでくれた。弱いものを守るのはカッコいい、グレーダーみたいだって」


(なるほど、こういうことをすれば良いんだな)

褒められた『赤い魔術師』…いや、普通の少年にしか見えない…の表情はキラキラしていた。


「人間の心を嗅ぎ取るのは得意だ。嬉しい、楽しい、悲しい、辛い、怒り。シンプルな感情ほどわかりやすくて霧のようになってその人を取り巻く。例え隠していても誰かを殴ったり傷つけていればすぐにわかる。悪いやつを見つけるのは簡単だった」


取り上げられるヒーロー人形のおもちゃの映像が見えた。取り戻そうと宙をかく手。

突き飛ばされる。響く笑い声。

「誰かが誰かを痛めつければ、悲しみと怒りの臭いがまとわりつく。複雑な感情になってしまうとわからないけど、充分だ。匂いで足りなければ音もきいた。群れを離れて一人になったところで、思い知らせてやった」


いつしか子供たちの間で都市伝説のようになっていった。

『いつの間にかクラスに一人増えている子は魔術師で、願いをかなえてくれる』

最初はそんな他愛もない噂だった。

やがて

『赤い魔術師は報復の願いを叶えてくれる』へ。


「おれは、いじめられてる子をたすけてるんだ!」

「手当たり次第にかみついただけでしょ?」

あまねが冷たく言い返す。



「お前もわかってたんだろ? 良くないことなのは」

それまで黙っていた高校生が静かに言った。

「もし本当に心から良いことだと思ってたら、はづきに隠さないだろ。……そもそも、何で学校なんか行こうと思ったんだ? はづきは行ってないし…」

柴犬はたちまち鼻をぴすぴすと鳴らしてうつむいた。

「だってばっちゃんが、学校へ通う子供見ながら子供はげんきに学校通っていれば良い、っていつも言うからはづきは学校にいきたくても行けないんだと思った。…それ以外の子供がいるなんてしらなかった」

「ばっちゃん?」

ひかりが訊ねると、柴犬はきまり悪そうに目を伏せた。

「おれのかいぬし」

「あんた、家があるんだ」あまねがそれでわかった、と言うように頷いた。


「この辺りに野犬の噂も無かったし、このお兄さんの話じゃ飼われても無かったみたいだからどこで暮らしてるのかと思ってたんだ」

あまねが布に包まれた柴犬に近寄って薄紫の布に手を触れた。そのまま布をほどき始める。ひかりはそれを複雑な思いで見つめた。


(僕には触っちゃダメって言ったのは……『ネクストライフ』がある人はダメってことなのかな?)

本当にまだ知らないことが多すぎる。


「家があるなら帰りなよ。あんたには力が与えられたんだ。……欲しいと思ったわけでもないだろうし、使い方が難しくて厄介で、全然便利じゃない力。でもそれは誰かを傷つけるためのじゃない」

布は服だった。どうやらあまねの上着だったらしく、あまねはそれを畳んで自転車のカゴに入っていた自分のバックパックに仕舞い込んだ。

柴犬は人間の子供用らしい緑色の上着を着ていた。大きすぎて袖は何回か折り返してある。

犬はブルブルと全身を震わせて前足と後ろ足、体全体をきみ悪そうに観察し、人間たちをじっと見上げた。

「使い方も問題点も全部教えるから、よく考えて使って。そしたら、ヒーローにもなれるよ」

「はづきに会いに来い」

はっと高校生を見つめる黒々とした瞳に輝きが戻る。

「謝って、もう一度友達になりに来い」

高校生は淡々と直線的に伝えた。厳しい顔はしているものの、ひかりはなんとなくこの人は顔が無愛想なだけのすごく良い人なのではと感じた。

(妹のためって言ったってこんな変なことに付き合ってるし、それってなかなかできることじゃない)

柴犬は口を開いて何か言いかけ、再び下を向いた。

「おれはまた間違えるかもしれない」

ひかりは柴犬の前にしゃがんだ。

柴犬はひかりの動きに気付いて顔を上げたので、黒々とした瞳に煌めく赤い光がくっきりと見えた。犬の表情はわかりにくいが、それでも耳が伏せられ尻尾をぺたんと垂らして、眉間に寄った悲しそうなシワは彼が相当気落ちしているのが誰にでもわかっただろう。

「間違ってたら何度でも。ここまでひどいことになる前に、止めるよ」

「そうそ、それが私たちだから」

あまねがつけたしたので、ひかりは振り返ってそれに笑いかける。あまねは右手の親指を立てて見せた。

「ねえ、なんて名前なの?」

柴の子犬は恥ずかしそうに一振りだけ尻尾を振って教えてくれた。


「ヒイロ」


それはかっこいい赤色か、勇敢な英雄か。彼にぴったりの名前だった。


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