第5話 一ノ宮ひかりと宿題
年間約1万人。
死亡ではなく失踪でそれだけの人数が日々この国から消えている。
ひかりが生まれてから知っている限りずっとそうで、今でもその数は増えも減りもしない。
改めてその数字に思いを馳せると胸がずんと重くなる。
昔は失踪者も今ほど多く無かったらしいが、それはもう本当に昔のことだ。
家について自分の部屋に入ってもまだ頭は混乱していて、ぽんぽん仮定と疑問符を吐き出す壊れた機械になってしまった気がした。
お決まりの流れで更新サークルに乗せた端末はいつも見ているチャンネルの最新版を流し始めた。
中学に入ってやっと買ってもらった端末。
機種名は『ビット』大きさは掌サイズで、色はひかりの好きなオレンジ色を選んだ。
最先端機種より二世代くらい古い分安くて性能は中学生には充分。
現代社会を生きるにはなくてはならないデータ通信機器だ。
学校では自動的に機能制限されてしまうが、外へ出れば好きなように使えるので暇な時は使い方を研究するためと誰に言うでもない大義名分を掲げて、いろんなフリープログラムを入れている。
更新サークルに載せれば自動的にデータの更新やバックアップをしてくれるし、設定次第で受信しておいたLIVE映像なんかを流してくれる。ひかりは今のところ天気予報と好きなアーティストの音楽番組を設定してあった。
最近は動画には必ずニュースが差し込まれるようになっていて、『ビット』が再生し出した冒頭から今月の失踪者数を述べはじめたのでそんなことを考えてしまった。
ひかりの部屋は築20年くらいの年季の入った一軒家の二階にある。ひかりが生まれる前に一度リフォームがあったので外見はまだ綺麗、とは母の言。
(生まれる前なんか恐竜時代と同じだよ)室内は窓際に木のデスクが一つ、写真がたくさん貼られた壁の下にベッドが一つ。
床はフローリングで、散乱したものはあまりない。
服類はちゃんとクローゼットに入っていて、自分でもわりと綺麗に使っている方だと思っている。「いざというとき後悔しないから、整理整頓だけはできるようにね」という母こそは片付けられない人間の代表みたいで、仕事が煮詰まっている時は部屋が物の洪水みたいになってしまう。
窓のオレンジ色のカーテンを引いて、ひかりはようやく一息ついた。
そっと胸に手を置くとコトコトといつもよりリズムが早いような気がした。
音楽室の忘れ物をちゃんと回収して家までたどり着けたのが奇跡なくらい、
(舞い上がってる……)
どの道を通ってきたのかさえ覚えていなくて足元がふわふわしている。
だって、翼の生えた人だ。
人が羽根で空を飛ぶんだ。
世界にもう不思議なんて無いと思っていたのに。
世界はもっと、ひかりが思っていたより奥が深くて未知のワクワクが埋まっていて、見たことない色がどこかに待っているような鮮やかなものだったのかもしれない。
(ネクストライフって何だろう)
万が一の確率でもいいから、ひかりにもそれがあるってことはないだろうか?
思わずにやけようとする頬を押さえた。
(そうだったら、どうしよう……! あ、でも待って春原先輩は『他にもいろいろある』っていってたな)
ひかりは単純に舞い上がっていたことを少し恥じた。
楽しいだけに見えるものの裏には想像もできない苦労や努力が隠れていることはよくあることだ。改めて真剣に今日起きたことを思い返そうとしていると、
「ひかりー! もうすぐご飯だから」
階下で父が叫ぶ。
「うん、すぐ行く!」
ドアを開けたとたんにチャーハンの香りが胸を通り抜けて胃をノックした。
これを無視して先に考え事なんて無理。父の料理が上手いのがいけない。
あんなことがあったのだから、食べ終わっても今日はきっと寝られないだろう。それなら夜通し起きてあれこれ考えるのも楽しそうだ。
起きたことを整理するのは夕ご飯の後にしようと決めて、ひかりは空腹に白旗を上げることにした。
端末は放っておいても持ち主の注視が無い状態で1分放置されれば待機状態になる。
ふと昼間語られた単語がもうひとつあぶくのように脳裏に弾けた。
(転生? って、あれかな)
子供向けのコンテンツでよくある、別の世界や時代に生まれ直した現代人が、そっちで大活躍するジャンルのこと。
人気もあって昔から一大ジャンルを築いているし、ひかりもいくつか好きな作品があった。
しかしそんなことが現実に降りかかるなんて。
部屋を出ようとした時端末が電子音を鳴らしてメッセージを表示した。
『明日放課後、放送部で待ってる』
「あまねだ!」
反射的に端末に飛びついた。
放送部から出るときに春原とあまねの連絡先を貰っていたから何かメッセージはあると思っていたけれど。
「……なんだこれ?」
内容を見て首を捻った。それがこんな形だとは思っていなかった。
『宿題:「赤い魔術師」の噂』
癖のあるウサギのイラストがニヤリと笑う画像つきで文字がくるくるアニメーションする。
「ええ……聞いたことないんだけど……??」
情報過多と言ったくせにあまねは手加減してくれないようだ。
突然わけの分からない新たな謎を投げ込んできて、どういうつもりか。
ひかりは唸って額にシワを寄せた。
宿題? もしかして入部試験?
でも
(わくわくする!)
気がつけばひかりの口元にもイラストのウサギと同じような笑みが浮かんでいた。
(オッケー、受けて立つよ!)
ひかりは端末を更新サークルに戻し、足音高く階下に降りていった。
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