第9話 再開
「音に反応し、目視した者を襲うのは間違いないだろう」
弾倉に弾を込めながら本田が口を開いた。パチッパチッと軽快なリズムが狭い部屋に響く。
「光にも反応はしていました」
「え……」
「暗闇で強力な光を向けられれば、その後ろの者は見えなくなります。奴らは目も耳もあまりよくないですから、その後ろの僕らを認識はできていませんでした。力も強くなっている様子はありませんでしたが……」
中村は言いよどんだ。
「これは推測に過ぎないのですが」
「なんだ?」
「僕ら人間には感知できない、テレパシーのようなもので意思の疎通をしている可能性があります」
「え?」と二人が同時に声をあげ、軽快なリズムが止まった。重い沈黙の中、中村が話し出す。
「一偵の隊舎の横で、車両の裏のゾンビに本田二曹が後ろから近づいたとき、もう一体に見つかったと思ったら、そいつも振り返りました。その時は、近づかれて気配を感じたのかと思いましたが、警衛所の裏のとき、同じくらい近づいても反応を示さなかった。その後、そいつにしか聞こえない声量で呼んだら、そいつが振り向いて、歩き出したのと同時に、奥のゾンビも振り返ってきました」
二人は何も返せず、黙り込んだ。奴らは一言も言葉を発していなかった。襲い掛かるとき、唸り声一つ、吐息一つなかった。テレパシーで意思の疎通を図られたら対応は不可能だ。その範囲は、内容は……悪い想像が止まらなかった。
「ただ、まだどうしても情報が足りないので、定かではありません」
「検証は後だ。夜のほうが移動がしやすいのは間違いないんだ」
弾倉は小銃に装填せず、弾帯に装着された弾倉入れに入れ、小銃を背負った。万が一にも暴発をさせないためだ。本田が二丁、中村と横野が一丁ずつだ。一丁、たったの4キロ弱だが、背負ってあのカーテンを登れるのか、横野は不安になった。
ドアを開け、外に出る。辺りにゾンビは見当たらない。
チカッと、視界にライトの光が走った。非常に強力な、シュアファイア製のライトだ。
本田は後ろの二人に「待て」の手信号を送る。ライトの光が本田を捉え、点滅した。短・長・短の繰り返し。それは正門を背に正面に位置する、ひと際綺麗な建物。庁舎からのSOS信号だ。本田はライトを向け、短・短・短・長・短、〖了解〗と返事をした。
庁舎にはほとんど一般の隊員は出入りしない。連隊本部当直や、高官など、わずかな人間しか使わず、広くて非常に綺麗な建物だ。中隊事務室のようにごちゃごちゃしておらず見通しがきく。
助けに行くという本田を、中村は止めたかった。
人数が増えることによるメリットはほとんどない。食料問題や派閥争いなど、映画では大きな組織になるほどそれが頻発し、必ず崩壊する。しかし、この先も本田の協力は絶対に欲しい。彼は【ドゥーン・オブ・ザデッド】で言うところの黒人の警官だ。ひ弱な主人公が生き残るために必要不可欠な屈強な相棒なのだ。
「危険だと思ったら撤退」を条件に、三人は庁舎へ向かった。
正面の大きなガラスの二枚扉から中を照らす。何もいない。
本田は入り口付近で銃を下ろし、脚を立てて置いた。室内で発砲すれば一撃で鼓膜がやられてしまう。射撃訓練の際、耳栓が少し緩んでいただけで難聴になる隊員は少なくない。かといって暗い室内で耳栓を付けるのも危険だ。
本田はハンマーも置いた。室内で2体以上を相手にするならないほうが動きやすいと判断した。
ガラス戸をコツコツと石でたたく。動きはない。
ドアを開け、
「生きている人間は動くなよー」
と、小声で呼び掛けた。歩いてくる音が聞こえる。足音のリズムがおかしい。ゾンビだ。
本田は耳を澄まし、三本指を立てた。三体だ。二人の喉が、ゴクリと鳴った。
本田が通路の十字の中心に向かう。二人には「待て」の指示だ。
通路を素早く見渡し「右2、左1」と指示を出す。
本田が左の通路に消え、少し遅れて十字の中心に2体が差し掛かる、このままでは本田は3体に挟まれてしまう。横野と中村は足音を立てないように、それでも素早く2体の後ろに回り込んだ。
左の一体に狙いを定め、本田は走った。戦闘の基本は、相手の頭数を減らすことだ。それは喧嘩でもゾンビ退治でも同じはずだと判断した。
本田に手を伸ばすゾンビの膝に、つま先でローキックを当て、砕く。片膝をついたゾンビの後ろに回り込み素早く首を折った。
向かってくる2体は本田に気を取られ、後ろから近づく二人に気づいていない。本田はゾンビの腰を踏みつけ、うつ伏せに倒すと、両足首を思いきり持ち上げた。ゾンビの体が大きくエビぞりになり、腰が砕けた。それと同時に二人がゾンビの後頭部にそれぞれの得物を振り下ろした。倒れた二体にすかさずとどめの一撃を入れ、沈黙させた。本田の足元のゾンビにも念のためとどめを刺した。
何も問題なく、うまくことが運んでいた。素手でゾンビを制圧する本田の存在が、二人の恐怖心を薄れさせていた。
二階へ向かう階段を上る。戦闘において、高所に立つほうが有利だ。見下ろされる形になり、さらに狭い階段は分が悪い。二人を踊り場で待機させ、本田は這うような姿勢でゆっくりと階段を上る。音が全くしない。ライトを照らし、念入りに確認しながら登っていく。某国の特殊部隊は、見張りの1m横を気づかれずに通り抜けるという。本田の動きはまさにそれだった。
「撤退」の合図が来た。数が多いのかもしれない。二人は外に出て小銃を背負った。
撤退の判断に中村は安堵した。無理をしてまで助ける必要はない。まずは自分たちの命が優先だ。しかし、本田は帰ってこなかった。
本田は緊張していた。右に6体。発行信号を飛ばしてきた左の部屋に向かう通路には3体見える。気づかれずに部屋の前まではいける自信はあった。しかし、恐らくドアはカギがかかっているはずだ。ノックするわけにもいかない。声も出せない。ドアに曇りガラスでいいから付いていることを願って少しずつ動き出した。
ヘルメットのライトも手持ちのライトも消した。少しでも注意をそらしたい。呼吸は止めない。止めて動くのは二分が限界だ。その後大きく乱れてしまう。吸うのも吐くのも意識したくなかった。四つん這いになり爬虫類のように動く。4つの手足以外はどこにも触れていない。
某国の特殊部隊は、1m進むのに30分以上かけ、歩哨に全く気付かれずに敵地に侵入する。訓練のとき何度も言われた話だが、今はそこまで時間をかけられない。
目は暗闇に慣れてきた。左の一体が近づいてくる。気づかれてはいない。気づかれてはいないはずだが、自分の心臓の音で気づかれるのではないかと思った。
ゾンビはかなり目が悪い。夜間視力は特に悪い。だがこの距離だ。もう、1m程の距離にいる。人間は自分の膝より下は視界に入りにくい。ぼーっと前を見て歩くゾンビならなおさら気づかれるはずがない。
3体のゾンビの横を通り抜けるのにかかった時間は3~4分だったはずだが、永遠にも感じる緊張感だった。全身汗まみれだ。
立ち上がり、扉の前に立つ。曇りガラスの窓が付いていた。一番近いゾンビとの距離は4m程だ。
ガラスにライトを押し当て、点滅させた。夜間に地図などを確認する用の、赤いテープの巻かれたライトで、光は漏れにくく、点灯する際にカチッと音が鳴らない処置もしてあった。
ドアノブをゆっくり回してみるが、開かない。
中でかすかだが物音が聞こえた。何かを動かしている音だ。バリケードを作っていたのかもしれない。
その時、ギィ~ッと床を引きずる大きな音が響いた。ゾンビが振り返る。
「やばい、急げ!」
中で慌てる声が聞こえ、ゾンビが本田に襲い掛かった。中村の言う通りなら、付近の10体近くが向かってきているはずだが、確かめる余裕はない。
ゾンビを前蹴りで吹き飛ばし、素早くライトを当てる。1、2、3、4、少なくとも5mの距離に4体はいる。後ろに逃げ場はない。
ガチャッと音がしてドアが開いた。ゾンビが向かってくる、走れてはいないが速い。
本田はドアに体を滑り込ませ、すぐにドアを閉じた。
ドンッドンッとドアにぶつかる音が響く。間一髪だ。安堵のため息と同時に、その場にへたりこんだ。
暗闇に4つの影があった。どうやら事務室のようだ。机が多い。
本田は荒い息を整え、立ち上がった。
「第五中隊の……」
「シン!?」
聞き覚えのある声に、自己紹介を遮られた。今朝も聞いたはずなのに懐かしささえ感じる、なじみ深い声だった。
「エイか!?」
同期で、同室の佐藤鋭一がそこにいた。
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