第4話 救出作戦

 五階には4人の男女がいた。唯一の女性で、先ほど率先して助けてくれたのは、重迫撃砲中隊の牛島一士だった。もう一人重迫中の河田一士、本部管理中隊の田中三曹、本田と同じ五中隊の横野士長がいた。それぞれ名乗り、本田もそれに続いた。


 「本田二曹どこにいたんですか。連絡付かないから、てっきり、よかった。本当に良かった」


 横野は顔をくしゃくしゃにして喜んでいる。同じ小隊ではないが、本田の体力錬成に倒れるまでついて来ようとする根性のあるやつだ。


 「警衛明けで、部屋で寝ていたんだ。何があったんだ?あいつらは、一体……」


 「それよりもまず傷がないかの確認です。話は、それからだ」


 田中が鋭い眼光を飛ばして立ち上がった。細身に見えるが、おそらく見た目より引き締まった筋肉質の、自衛官に一番多い体形だ。声に聞き覚えがある。先ほど揉めていた一人だ。血の付いた金属バットを持っている。本田は黙って点検を受けた。


 「下のやつらを刺激します。上に行きましょう」


 河田と牛島を見張りとして残し、三人は屋上へ上がった。屋上には黄色いラッカースプレーで[SОS]と書かれていた。国民を守るべき自衛官が、と言いたくなったがやめた。

 5階建ての隊舎の屋上から見渡すと、至る所から煙が上がり、パッと見ただけでも4件の自動車事故が起きていた。これがほんの6~7時間前と同じ街なのかと目を疑った。 

 「何が、あったんだ」


 「正直わからない。私は営内で中隊の物品を整理していて、気づいた時には大騒ぎだった。一階に降りると、暴れる男を三人で抑えているところだった。一人が首を噛みちぎられて、私は救急車を呼ぼうとしたが電話に誰も出ない。私は持っていたタオルで止血をしようとしたが無理だった。二人は暴れている奴を抑えるのに必死で、私は内線で医務室にかけたがそれも繋がらず、戻ったら、戻ろうとしたら、さっきまで首から血を流して倒れていた者が、さっきまで一緒に抑えていた仲間に噛みついた。私は逃げだして、目に留まった彼らとバリケードを作った。まぁ、あと三人いましたがね。その時は」


 田中は淡々と語った。理解が追い付いていないのだろう。本田も同じだった。


 「その三人は」


 田中は屋上の手すりをチラリと見やると、またすぐ視線を本田に戻した。


 「一人が噛まれていてね。あっという間でしたよ。姿が見えないと思ったら、化け物になって帰ってきた。大暴れして二人を噛んだから、殺しました。噛まれた二人は、そこから飛び降りてもらいました」


 その話をこれ以上聞こうとは思わなかった。二人が飛び降りた屋上の角を指すバットの先端は血でどす黒く変色していた。もう乾いている。一時間以上は前の出来事だろう。


 「奴らは、なんなんだ。死人なのか?」


 「知りませんよ。でも、死んでてくれなきゃ困る。死んでてくれなきゃ、私は……」


 どうすればいい。何をすればいい。考えろ。思考を止めたら死ぬ。そう自分に言い聞かせるが、何もわからない。こんな状況を想定した訓練なんかしていないからだ。


 (……想定、した。したじゃないか。昨夜)


 「横野!中村を知らないか?」


 「中村ですか?いや、見てないです。生きてるといいんですが」


 半ば諦めが含まれた言い方だった。中村はただのオタクで体力もない。生きているとは到底思えなかった。横野自身、学生時代のラグビーの経験がなかったら逃げ切れなかったと思っていた。


 「あいつは生きている。姿を見ていないなら部屋にいるはずだ。あいつの部屋は?」


 「1小隊の3寝室です。でも、カギがかかっていました」


 横野には、なぜ本田が中村のことを気にしているのかわからなかった。中村は前期、後期の教育隊を同じ班で乗り越えた親友だった。同じ5中隊に決まった時は抱き合って喜んだ。生きていて欲しい。だが、5階に避難する前に確認したが、部屋にはカギがかかっていた。課業中であっても部屋に誰もいないときはカギをかける。警衛を下番した日は平日でも休みだ。カギがかかっていたということは中村は出かけているはずだ。 


 「ひと眠りしたら飯前に筋トレをする約束をしていた。カギがかかっていたならいち早く閉じこもったんだ」


 本田は断言した。柵から身を乗り出し、窓の位置を確認している。


 「なんですか、さっきから。その中村というのがなんだっていうんです。四階はあなたのおかげであいつらがまたウヨウヨいるんですよ」


 「カーテンを繋いでロープ代わりにして窓から入る」


 「だから、そいつがなんだっていうんだ!」


 田中は露骨に苛立ちをぶつけた。死を目の当たりにし、命からがら逃げ伸びたのだ。もう、少しの危険もおかしたくない。人命救助などしているべきではないと考えていた。


 「平時なら、ただのオタクだ」


 「ふざけるんじゃない!そんな奴を助けて何になる。食料にだって限りがあるんだ」


 「ああ。だが、今の状況なら、作戦参謀になるかもしれない」


 喚く田中を無視して本田は階段を降りて行った。

 横野もそれに続いた。あの本田二曹が言うのだからと、期待があふれてきた。


 カーテンの端を玉結びにし、2つのカーテンを二重繋ぎにする。端を玉にしておけば引っ張られてほどけることはない。柵に結び付けることも考え、3本のカーテンを繋げた。

 屋上に上がると、まぶしい夕日が目に染みた。こんな状況でも、いや、こんな状況だからか、ひときわ美しかった。

 カーテンで作った簡易ロープを屋上の柵に結び付ける。もやい結びだ。ロープ一本でできる結びの中で最も丈夫な結び方で、命綱などにも使われる。太いカーテンを体に結ぶのは難しいのできつく締めた弾帯にくぐらせて結んだ。「ヨシ」とつい声が出た。


 「気を付けてください」


 横野、牛島、河田の三人が固唾をのんで見守っている。本田は目だけで返事をした。自信に満ちた目だったが、後輩のためのポーズだった。

 不安だった。何が起こるかわからない。想像もできなければ対策もたてられない。どんな厳しい訓練も、プロのリングにいたときも、何通りもの可能性をシミュレーションしてから望んだ。わずかな可能性を無限に広げるシミュレーションを繰り返してきた。もちろん、それでも想定外のことは起こる。だがその時は、その状況に一番近い想定に寄せる。そのためのシミュレーションであり、それこそが常に心の柱だった。だが、今はどうだ。想定もくそもない。かつてどんな時も自分を支え続けてきた肉体も、数多くの実践経験も、何も自信にならなかった。噛まれたら、終わり。相手は不死身。どうしたらいいかわからない。

 一つ大きく息をして、降下を開始した。両足をべったりと壁につけ軽く膝を折る。両手は伸ばし切らず、へその位置のカーテンを握りしめ、腹筋で上体を支えながら、一歩一歩降りていく。四階までわずか5m弱だ。何も難しくない。カーテンでの降下はさすがに初めてだったが、少し滑りやすいが本田の握力なら問題ない。何十mもの高さのヘリコプターから、もっと高速で降りたこともある。屋上くらいの高さなら、一息に何度も降りたことがある。怖いと感じたことは一度もなかった。降りる場所が想定された場所だったからだ。何が起こるかわからない部屋への降下は、何も見えない暗闇への落下と変わらない。

 四階の窓についた。カーテンがかかっていて中は見えない。ここまで来たら腹をくくるしかない。三回ノックした。はっきりとしないが、中で人が動く気配がした。もう一度三回ノックした。間違いなく中に何かいる。頭の中は真っ白になった。クリアになったと言っていいかもしれない。何も想定していないからこその、何にでも対応できる無我の境地だ。本田は瞬き一つせず、誰何(すいか)した。


 「誰か!」


 カーテンが開いた。開けたのは、鉄帽にゴーグル、ネックウォーマーで顔のほとんどが隠れていたが、もやしのように細い目は間違いなく中村のそれだった。何か言っているようだが、窓は締まっているし口は見えないからわからない。本田は左手で体を支え、挙手の敬礼をした。いつも本田が答礼をする際に行う、眉尻につけた指先を、前方に投げる特徴的なものだ。それを見た中村は、もやしのような目をさらに細くして泣きながら敬礼をした。それは見事な敬礼だった。


 

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