第5話 参謀 中村士長

 

 0900


 警衛を下番し、中隊事務室に一度顔を出して報告をしてから、当直室で外出申請を取り消した。昨日後輩が、下番してすぐ外出できるように代わりに申請してくれていたからだ。16時から本田二曹と筋トレをする約束をしたから秋葉原めぐりは中止だ。余った差し入れは後輩にいくつかあげたがまだ大量にあった。

 部屋に帰る途中、厚生センターの前で、頭から血を流す教育隊の学生が班長に連れられて走っていた。赤い腕章をつけているから一区隊だ。よく見たら頭ではなく、耳だった。


「班長がキレて、耳を食いちぎったらしい」


 そんな声が聞こえた。

 すぐに東京都のニュースを調べた。《東武練馬駅で暴れた男が逮捕。警官含む4名が重軽傷》と、あった。男が無差別に掴みかかり、噛みつくなどの暴行をしたらしい。男は錯乱状態だったとある。立川市でも似たよう記事があった。

 すぐに厚生センター内のコンビニで現金をおろした。全額で4万9千円。7万円定期預金をしているから、毎月全額使い果たしているので多くはないが十分だ。コンビニにあるだけの水と食料を買い込んだ。日持ちする栄養補助食品【エネルギーメイト】などが中心だ。水は三回に分けて買い占め、そのたび、厚生センターの裏手に停めてあるリアカーに積み込んだ。コンビニの隣の自衛隊用品店でも各種テープ、サポーター、包帯、携帯トイレ、ロープ、様々なものを手あたり次第かごに放り込んだ。大型のナイフを手に取って、やめた。ナイフで脳に損傷を与えるのはほぼ不可能だと、昨夜、本田二曹が言っていた。大人気海外ドラマの【ランニング・デッド】のようにはいかないらしい。

 4階の自室まで三回に分けて運んだ。外の倉庫を開けると、ハンマーやナタ、ツルハシやオノなどがあった。ツルハシを2本とハンマーを取った。どこの中隊の物かは見なかった。自分に使いこなせるとは思えなかったが、脳に一撃で損傷を与えるならツルハシがいい、と、これまた本田二曹が言っていた。頭蓋骨はとても硬く、オノだと弾かれてしまうのではないかとのことだった。ハンマーはテントを設営するとき用の一番大きな1mくらいのものがあった。

 部屋にカギをかけ、念のためベッドで塞いだ。3人部屋なので帰って来る可能性はあるが、絶対に誰も入れない。皮手袋をして、袖と手袋をガムテープで巻いてひとつなぎにした。これで服をつかまれても肌は露出しない。右手だけはスマホをいじれるように手袋を外しておいた。毎週買っている【週刊少年ジャップ】をちぎり、5ページ程度を束にして手足にガムテープで巻いていく。関節部は動きに支障がでるので、先ほど買ったサポーターを装着した。


  1030


 不安になってきた。自分の思い過ごしだったらと考えて、すぐにかぶりを振った。それなら一生笑い話にすればいいと思った。

 運動のできない中村は、入隊してから常に笑いものにされてきた。普通の会社なら、イジメ、パワハラになるようなことは日常茶飯事だ。

 東武練馬駅から近い大きな病院に電話をかけてみた。通話中だ。小さな個人病院に電話をかけると、10コールくらいで出たが、「急患は無理です!」と名乗りもせず切られた。後ろのかなりあわただしい様子が、その一瞬でも伝わってきた。

 【JHK】のニュースを見ようとしたところで、外から悲鳴が聞こえてきた。窓の外で数人が揉み合いになっている。一人が首を噛まれた。大量に出血している。駆け付けた者が止血を試みるが止まらない。

 20,21、22、秒数を数えたがやめた。出血死か、出血による呼吸困難になるだろうと思ったからだ。

 外の様子を見たかったが、この部屋からはほとんど何も見えなかった。


  1100


 営内でも騒ぎが起こった。

 ドアノブを回すものがいたが、開けなかった。

 電波のあるうちに情報を集め続けた。全国各地、暴動、未知のウイルス、どのニュースも同じことしか言わない。電波が繋がらなくなってきた。電波の強い【ハードバンク】に乗り換えておくべきだったと後悔した。【bアニメ】というアニメ見放題チャンネルのために【bocomo】を契約していたが、アニメはもう見れないのかもしれない。

 役に立たなくなったスマホをポケットにしまい、手袋をはめた。緊張し続ければ体力が持たない。この部屋にはおそらく侵入できない。鳴りやまない喧噪は意識から出ていかないが、それでも目を閉じた。



 中村の大量の物資は屋上の入り口に集められた。五階に移さなかったのは万が一のためだ。

 横野と中村は抱き合って泣きじゃくりながら再開を喜んだ。その後始まった中村の話は、誰もが黙って聞いた。


 「中村、俺たちはどうしたらいい。あいつらは一体なんなんだ」


 本田が迫る。本田以外の誰もが、なぜ中村がここまで完璧な対処をすることができたのか、あの本田二曹がここまで彼を頼るのかわからない。


 「あれはゾンビです。ゾンビと言って差し支えない。ただ、どんなタイプなのか……」


 「タイプ?」


 「一般的な、のろのろ歩いて噛みつき、噛まれた者が感染していくというゾンビの概念は1968年公開のゾンビ映画の始祖【モーニングオブザリビングデッド】一作品で確立され、すべての作品がそれを基に作られているといっても過言ではありません。その後様々なゾンビが描かれますが、そうですね、近年のでいうなら、【28秒後】では全速力で走るゾンビですし、韓国の名作【旧感染】では運動能力自体が飛躍的に向上していました。また……」


 「ちょ、ちょっと待ってくれ!誰がゾンビ映画の歴史を語れって言ったんだ!?」


 田中が耐え兼ねて口を挟んだ。


 「まさか、ゾンビ映画に影響されてここまで大掛かりな準備をしたんですか?」


  おとなしい後輩の牛島まで呆れている。


 「現にそれで生き残って物資があるんだ。黙って聞こう」


 「信じられませんね。特戦がゾンビ映画マニアに頼り切りですか。どうかしてる」


 「ゾンビのことなんて誰もわからないんだ。中村の知識だけが頼りなんだ」


 「映画の話だ!空想の話じゃないか!」


 「空想の話が、今こうして現実に起きているからパニックになっているんだろうが!」


 言い合いは終わった。田中は「あり得ない。あり得ない」とブツブツ言っている。他の者も納得した様子はなかった。だが、だれもこの場を離れようとはしなかった。


 「中村、続けてくれ。知っていることを全部話してくれ。役に立つ情報かどうかは俺が判断する」


 「はい。えっと、まず、奴らの特性というか、習性がわからないとどうにもなりません。何に反応を示すのかが一番重要です」


 「人間に反応しているんじゃないんですか?」


 牛島が聞いた。


 「人間の何か、なんだ。例えば【旧感染】では音に反応して、目は見えてなかったから、暗闇でじっとしていればスルーされたし、【ランニング・デッド】では目も見えていたけど、音に反応して匂いで判別して人を襲っていた。音に関してはほぼすべての作品のゾンビが共通して反応を示します」


 「つまり、反応がわかれば裏もかける。音で一か所に集めたりもできるわけだ」


 「そうです。どの程度の大きさの音だと反応するのかさえ分かれば、やりようはいくらでもあります」


 「夜は動きが鈍くなるのなかったっけ?ほら、漫画の」


 漫画好きの河田が言った。


 「【アイアムアヒロイン】ですね。あれは生前の行動をトレースする習性があった。だから夜は鈍く、昼間が活動的。あとは、奴らの倒し方なんですが、これも全作共通で、脳への損傷なんですが……」


 「それで間違いないはずだ」


 田中が立ち上がった。横野の隣に腰を下ろし、6人が円になった。


 「バットでぶっ叩いたら、3発目で死んだ」


 「その話もっと詳しくください!」


 「あ、ああ。一発目はフルスイングしたが、横なぎに倒れて、首は曲がっていたがすぐに起き上がろうとした。二発目、三発目はマキ割りみたいに振り下ろした」


 ジェスチャーを交えて再現しているが、横野と牛島は目を伏せていた。目の前で人が、人だったものだとしても、死ぬという、それもバットで殴り殺される場面は、一度見たら忘れられない。あれはもう人ではなかった。そう思わなければ耐えられない。


 「やっぱり銃があれば。本田二曹、奴らならどうでしょう。銃は有効でしょうか?」


 「俺も襲われたが、動きは早くなかった。だが、しっかり落ち着いて狙える状況でなければ難しい。高所からの狙撃なら有効かもしれない」


 「でも、中隊事務室まで行って、銃座のカギを取って、武器庫で銃を取って、弾薬庫に行って……って、無理じゃないですか?」


 牛島の発言は最もだった。距離や人口の密度もそうだが、そもそも弾薬庫の構造すら、陸士にはわからない。

 課業時間中だったこともあり、居住区には奴らの姿があまり見られない。練馬駐屯地には約2000人の自衛官がいる。そのほとんどが、事務室などの駐屯地の中心区画にひしめいている可能性が高かった。


 「一偵は?」


 田中が言った一偵とは、第一偵察大隊のことだ。その隊舎は、一普連の居住区の2ブロック正門側にある、居住区から一番近い隊舎で、もちろん武器庫もある。


 「いや、それでも武器庫や弾薬庫の問題は同じだ」


 全員が黙り込んだ。銃の管理は厳重だ。カラ薬莢一つなくなっただけで三日は大捜索をするほど神経質に管理されている。


 「あ!」


 沈黙を破ったのは中村だった。


 「銃も弾薬も一か所にあります」


 「どこに?」「どこですか?」


 本田以外の全員の声が重なった。


 「そうか!」


 と、本田が手を叩いた。


 「警衛所!」


 二人の声が重なった。


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