第6話 戦闘
警衛所には人数分の89式小銃と弾薬がある。しかし、歩哨の際でも、装填もしなければ弾倉も持たず、木箱に入れてカギをかけており、そのカギは分哨長が管理している。つまり、門の前で立っている自衛官の持つ小銃はお守りのような物であり、すぐに発砲もできなければ、恐らく絶対にすることもない。
夜の行動は危険だと中村は言ったが、分哨長が警衛所を離れてしまえばそれまでである。すでにいない可能性も考えられるが、時間が経つにつれて望みが薄くなることは明白だ。賭けに出るべきだと判断した。
ほぼすべての部屋のカーテンを繋ぎ合わせ、地面まで届く長さのカーテンロープを3本作った。だが、これを使って屋上まで登れる者はそうそういない。障害走の5mのロープ、もちろんしっかりしたロープであるが、それでさえ自衛官の半数近くが登りきれない。隊員の人数と、隊員の質を天秤にかけ、人数を優先した結果、自衛官の半数近くは一般人と変わらない体力、運動能力であるのが実情だ。
中村は四階の踊り場に行き、耳を澄ました。少なくとも2体のゾンビがいると思われたが、こちらには気づいていない。もちろん顔を出すわけにはいかない。4階のロビーに向けてライトを照らす。反応はない。上下左右にゆっくりとライトを動かすが、ライトに寄ってくる様子はない。
「思った通りでした」
中村は自分の予想通りだったことを報告した。もしライトの光に反応するのであれば、子虫のように街灯などに集まっていくはずだと、事前に説明していた。これで夜の移動はだいぶ楽になる。
警衛所には本田、中村、横野の三人で行くことになった。小銃の重さは一丁約4キロである。二人で運ぶのは難しい。様々な検証をし、その場のイレギュラーに対応するためにも、中村を連れていくべきだと判断した。そのサポートとして運動能力の高い横野が立候補した。
横野はともかく、中村は間違いなくロープを登れない。牛島も河田も細身で小柄だ。田中の協力は必要不可欠だった。
「銃を一丁私に渡すこと。それが条件です」
と、一応の交渉は成立した。
本田はハンマー、横野はツルハシを持っていくことにした。背負うことはできないため、帰りは捨てることになる。使いやすいように短く持っても、一撃で脳を貫ける可能性の高いツルハシは残しておきたかった。中村は両手にライトを持ち、全員鉄帽にもライトをつけているため、かなり明るくなった。
晴れているがあまり星は見えない。風のない夜だった。
一普連の居住区は、居住区の一番端で、正門は一番遠い位置にある。裏手は洗濯工場があり、その間にある細い通路には砂利が敷き詰められている。人影はないが、挟まれたとき逃げ場がない。考えた結果、外柵沿いの駐輪場側の側面に降りることにした。普段から人通りは極めて少ないうえに、外柵沿いをそのまま進めば警衛所にたどり着く。
先にハンマーとツルハシを落とした。アスファルトに叩きつけられ、鈍い金属音が響いたが、奴らが集まってくる様子はない。念のためライトで周囲を照らしたが、姿は見えなかった。
本田が先行して降下した。万が一中村や横野が降下に失敗しても補助ができる。
中村が続いて降りる。ずるずると不格好に滑り落ちるだけだったが、問題はなかった。
横野が降下の際、一階の窓を蹴破った。カーテンが窓にかかっていて、気を付けはしたが、バランスを崩した際に、鉄板入りの半長靴のつま先がガラスを割った。下半身が揺れて部屋の中に入ってしまい、出るときに膝をガラスで切った。訓練ですり減って、生地が薄くなっていた。
「大丈夫か」
「少し切れただけです。大丈夫です」
ガラスの割れる音は辺りに響いてしまったが、奴らが寄ってくる様子はない。耳はあまりよくないのかもしれない。
走り抜けたい気を抑え、外柵沿いの林道を歩く。本田、中村、横野の順だ。本田が前方90度、中村が本田の脇から照らしつつ左右を警戒し、横野が左右と後方を警戒しながらゆっくりと進む。
本田に教わった通り、踵からゆっくりと足を着くと、足音をかなり抑えられた。
一偵の隊舎の横を通る際、ジープの後ろに一体発見した。まだ相手はこちらに気づいていない。ゆっくりと近づく。10mほどの距離まで来て、本田が後ろに
「待て」
の合図を送る。
手信号は、声を出せない状況での唯一のコミュニケーションだ。出発前に確認しておいた。
本田が一人でゆっくりと近づいていく。まだ相手はこちらに気づかない。本田の足音は意識していても全く聞こえない。
横野のライトが、本田が目標にしているゾンビのさらに10m右後方にいるゾンビを捉えた。相手もこちらを見た。その瞬間、本田の狙うゾンビが振り返った。
横野は右後方のゾンビを仕留めに向かう。中村もそれに続いた。
本田は少々驚きこそしたが、冷静にハンマーを振りかぶり、襲い掛かろうと手を伸ばすゾンビの頭頂部を一撃で砕いた。確かな手ごたえを感じたが、しかし、うつぶせに倒れたゾンビは起き上がろうともがいている。もう一度大きく振りかぶって叩きつけた。ヘルメットの光が飛び散る脳みそを照らしたが、まだ手足がビクビクと動きを止めない。もう一度大きく振りかぶったところで、それは沈黙した。
テントを固定する大型の杭を打った時よりは、手に痺れも、痛みも残っていなかった。代わりに脳が痺れてマヒし、心の痛みに麻酔をかけていた。
振り返ると5mほど離れたところで横野と中村が背を向けている。その光がさらに3m先のゾンビを照らしている。カクカクとぎこちない動きで、両手はだらりと下げたまま近づいてくる。
横野は長く持ったツルハシをバッティングのようなフォームで振った。ツルハシの先端が、ゾンビの側頭部に突き刺さった。深々と15cmは突き刺さり、倒れこむゾンビの重さと、遠心力でバランスを崩しかけた横野は、そのままツルハシを放り投げた。ツルハシが刺さったままのゾンビはびくびくともがき、2秒で沈黙した。
横野の鼻息が荒い。
「横野。今は何も考えるな。行くぞ」
本田はツルハシを引き抜くと、横野に手渡した。
血なのか脳なのか、先端に付着したドロドロとした液体は、異様な存在感を放ち、暗くてもよく分かった。
立ち止まることのできない3人は、再び歩き出した。歩き出すしかなかった。
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