第7話 鋼鉄の棺桶
鋼鉄の棺桶
金田晴友は暗い車両の中で膝を抱えていた。
もう6月になる。気温はそれほど低くはないはずだが、震えが止まらなかった。
手元にあるのは500㎖のペットボトルのお茶だけだ。それも残り半分もない。こんなことになるのなら、まずい食堂の飯をちゃんと食べておけばよかったと後悔した。
さみしい人生だと思った。いつか報われると思っていた。まさか最後の最後まで、一人さみしくこんな暗いところで終わるとは思いもしなかった。
目を閉じて、33年間の人生を振り返ってみても、楽しかった思い出は浮かんでこない。
小学生の時、顔がナメクジみたいだと言われた。何度鏡を見ても、どこが似ているのかはわからなかったが、ナメ田ナメ晴と呼ばれるようになった。
母と買い物をしているところを同級生に見られた次の日
「顔がそっくりだ」「ナメクジの親子だ」
と、笑われた。家庭科の調理実習や、理科の実験で塩を使うたびにそれをかけられた。
ひたすら笑い続けた。
何を言われても、されても
「やめろよぉ~」
と、冗談に聞こえるように笑った。
「辛くても笑っていれば楽しくなる」
そんな使い古した綺麗ごとは信じていなかった。笑ってさえいれば、いじめではない。自分はいじられているのだと、そう思いたかった。
中学に入って、それは一変した。
金田の通う中学は、長野県内では大きい中学で、4つの小学校から生徒が集まっていた。40人7クラス。小学校が同じだった男子生徒は、クラスに5人しかいなかった。もちろん金田をナメクジだとからかっていた5人だったが、誰も金田をいじらなかった。
早々に気の合うものでグループを作り、相手にされなかった。金田はその輪の中に入っていくことが出来なかった。
部活に入れば仲間ができると思って、卓球部の見学に行った。未経験の入部が多いと聞き、入ろうと思ったが、同じく見学に来ていたクラスの男子生徒に
「お前みたいなやつが来るから、卓球部が根暗だと思われる」
と悪態をつかれ、入部を諦めた。先生や両親には「勉強に集中したいから」とごまかした。
それでも成績は良くても中の下だった。要領が悪いと言われたが、その要領とは何なのか。どうすればよくなるものなのかがわからなかった。地元の高校に何とか進学したが、交友関係は広がらなかった。バイトも怖くてできなかった。
大学の入試はすべて落ちた。滑り止めまで落ちた。
親戚の叔父の頼みで自衛隊を受けていた。叔父は自衛隊の広報官という、入隊者を集める仕事をしていた。毎年人数にノルマがあるので、試験だけでも受けて欲しいと頼まれていた。筆記試験は一番難しい問題でも高校2年生程度で、ほとんどが中学レベルだったので金田にも楽に解けた。体力試験はなく、健康診断のような身体検査を受けて、合格していた。もともと入隊する気はなかったが、浪人するくらいならと、入隊した。
教育隊は辛かった。自分一人のせいで全員が罰を受けてしまう。それが何よりもつらかったが、一つ救いだったのは、自分のような者が何人もいたことだった。初めて、仲間というものができた気がした。
戦車に乗ってみたくて機甲科を選んだ。機甲科とは、戦車をはじめ、様々な車両を乗りこなす部隊だ。大きく二つ、戦車部隊と、偵察部隊に分かれる。金田は希望通り機甲科には進めたが、戦車には乗れない偵察隊だった。
第一偵察大隊に配属されて間もなく「初級偵察課程」という二カ月間の教育が始まった。一人前の斥候手になるための教育で、これを修了しなければ斥候手としてのマークをもらえず、勤務評価が付かないため、三曹への昇任もできない。
徒歩斥候、車両斥候、車載機関銃射撃、爆破、高所からの垂直降下などを習得する。二カ月間の3分の一は富士山に籠って訓練を行う厳しすぎるその教育は「プチレンジャー」と呼ばれていた。
辛くて毎日泣きながら走った。何度もやめたいと思ったが、やめる勇気はなかった。ここでも自分のような、何もできない奴が、他にも2人いて、それが救いだった。
入隊から7年。ようやく陸曹教育隊に行けた。
三曹昇任予定者が行う半年間の教育で、レンジャー教育などに行くものを除き、自衛官生活で最後の厳しい教育になる。あまりにも理不尽であまりにも厳しい教育だが、これさえクリアしてしまえば、やっと「人間」になれる。もう二度とこんな思いはしない。そう思えるため、脱落者は少ない。
金田のベッドバディになったのは本田という、すごい体をした男だった。同い年だったが、本田は入隊3年目の2選抜だった。
自衛隊の入隊には4つの区分がある。一つは一般幹部候補生。これは大卒以上でなければ受けることが出来ない。一般の入隊は、自衛官候補生(自候生)と、一般陸曹候補生(補生)の二つに分けられる。もう一つは、技術曹と言って、特別な資格を持っている者が、その専門職の曹として採用される特殊なもので、ほとんどの隊員は、自候生か、補生である。
自候生は任期制で、2年ごとに満期金をもらい、退職か継続かを選択することができ、また、昇任試験に合格すれば三曹になり、定年まで勤めることもできる。だが自衛官候補生の昇任試験は、入隊期別も年数も関係なく全員で枠を争うため、優秀な者しか昇任はできない。昇任できない者は2任期~5任期も務めれば肩を叩かれてしまう。
一方、一般曹候補生は、三曹になることが前提の入隊で、満期金は出ないが、昇任資格を得るのが任期制よりも半年早く、昇任試験は入隊期別ごとに枠を争う。つまり、毎年ライバルが減っていくのである。3年目で昇任する者もいれば、8年目で昇任する者もいる。入隊は18歳~26歳(現在は30歳まで)なので、陸教の時点で10歳以上年の離れた同期ができることも珍しくはない。そんな中で相棒となる本田が同い年なのを金田は喜んだのだ。しかし、ありとあらゆる能力の差は、歴然としていた。
本田はいわゆる国防に燃えるタイプで、能力も抜き出ていた。プロの格闘家だったと聞いて納得した。何度も迷惑をかけ、何度も泣いた。本田は同期に厳しく、休日も筋トレをさせられた。だが、自衛官を辞めたいと話すと、本気で止めてくれた。
「泣いて逃げた奴はその先でもいつか泣く。どっかで踏ん張らねーと逃げ続けるぞ!今が一番の踏ん張りどこじゃねえのか!」
そう、何度も言われた。
踏ん張った。3曹になって8年になる。うだつの上がらないへっぽこ三曹だと、陸士にまでからかわれているのも知っている。二曹昇任もまだまだ来ないだろう。3曹から二曹への昇任は陸教の成績で決まる。最短4年。最長15年だ。自分が二曹になるころ、本田は曹長になっていてもおかしくないと思うとやり切れない。
「まあ、特戦群と、金田モータースじゃあな」
車両整備ばかりやらされている金田はそう呼ばれていた。腹が立たないわけじゃないが、人生のほとんどをいじめられてきた。慣れっこだった。そして、今そのおかげでこうして生きている。かといって動くこともできない。
細い横長の窓から外を見れば、人を襲う化け物になった奴らがウロウロしている。
「本田ぁ、生きてるよなぁ。助けてくれよ。本田ぁ」
鋼鉄に覆われた車内に、すすり泣く声が響き続けた。
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