第3話 運命の6時間

  

  0930


 佐藤を見送り、ヘッドフォンを装着した。4万円もする高級品だ。段階の細かい音量調整とノイズキャンセラーが決め手だった。外部の音をシャットアウトし、最低音量で音楽を流すと外からの音を完全に遮断できる。

 一年を通して様々な教育を行い、平日は常に学生の元気な声が響き渡り、何度も何度もスピーカーからラッパが流れる駐屯地で、昼間寝るときの必需品だ。

 寝る体制を完全に整えたところでラインが来た。小隊のグループラインだ。


〈一中の吉田が学生にキレて耳を食いちぎったらしい〉


「おいおい、マイクタイソンかよ」


 返事はせずに目を閉じた。



   1530


 目が覚めてスマホで時間を確認し、疲労の回復を実感した。6時間。十分な睡眠だ。

 ラインのアイコンの右上に148と赤い数字がある。メッセージの未読件数だ。寝ている間にどこかのグループラインが盛り上がったのだろう。小隊、新教の前期、後期、陸教といくつもグループラインがある。よくあることだ。

 冷蔵庫から牛乳を取り、1リットルパックをラッパ飲みした。乾いた口を潤すと、冷蔵庫の上に大量にストックされたソーセージパンにかぶりつく。土日の朝食のあまりだ。

 営内者の土日の朝食はパンが二種類、中央ホールにまとめて届くのだが、昼過ぎまで寝ている隊員や、食べずに外出する者がほとんどのため大量に余る。それを本田は勝手に持ち帰りストックしている。消費期限は当たり前に過ぎるが、慣れればどうということはない。もちろん、佐藤は絶対に食べない。

 二個目のパンをかじりながらラインを開いて目を丸くした。

 パッと見ただけでも10人以上から連絡が来ている。


『どこにいますか!?』 『中隊事務室に来てください』『危険だ。外に出るな』『本田どこにいる?怪我人には近づくな』


 胸騒ぎがした。

 小隊へ電話をかけようとして気づいた。圏外だ。

 急いで迷彩服を着て半長靴を履く。ラインの最後のメッセージは1343(

13時43分)。そこで電波が途切れたのだろう。大震災……それなら揺れで起きるし、部屋も乱れている。非常呼集訓練……電波まで遮断するような訓練は聞いたことがない。テロ……それならたたき起こされたはずだし、最後に読んだメッセージ……怪我人に近づくな。の意味が分からない。

 考えを巡らせ、様々な仮説を立てては否定を繰り返しながら装備を整えていく。弾帯、ダンプポーチを装着し鉄帽をかぶる。ベストを着ようか迷ったが着ることにした。少し動きにくくはなるが、耳栓、ゴーグル、コンパス、ナイフなど、様々な道具が収納されている。

 一つ一つ装備を手で触り、点検しながらカーテンを開けた。ここからじゃ正面の洗濯工場が見えるだけだが、第二グラウンドのほうの道路に数人の人影が見えた。迷彩服を着た隊員であることはわかるが、安堵よりも違和感を覚えた。

 自衛官は駐屯地内を二人以上で移動する際、朝の食事や課業外でなければ、大まかにだが隊列を組んで歩く。高官を乗せた車両などに出くわしたとき、バラバラに歩いていれば大目玉を食らうだろうし、教育で始動されたことが身に染みているからだ。一人のときも歩道や、道路の端を歩く。入隊してから一度も、道の真ん中をダラダラと歩く隊員は見たことがなかった。

 あり得ない、非現実的な想像が頭から離れない。昨夜、あんな話をしていたせいだ。そう言い聞かせてはみるが、入り口のドアを開ける気にならず、ある種の生存本能が、本田に入念な、物心両面の準備をさせていた。

 パンを口に詰め込む。【ザキヤマ製パン 丸ごとウインナー】子供のころから大好きなパンは、まるで味がせず、牛乳で流し込んだ。


 「大丈夫だ。飯が食えるなら落ち着いている」


 緊張する部下や動機を励ますときに使っていたセリフを自分に言い聞かせながら、パンをズボンのポケットとダンプポーチに詰めた。

 ドアに耳を近づける。物音は聞こえない。自衛隊の隊舎は作りが古いのもあるだろうが、構造上、音がよく響く。ドアノブの温度は分厚い皮手袋越しには伝わらない。ゆっくりと回し、スローモーションのように少しずつドアを開く。肩をぴったりとドアにつけ、隙間から外を窺う。誰もいない廊下に血痕がある。外階段のほうへ引きずったような大量の跡だ。口の中が乾いていくのが分かった。唾を飲もうとしたが、喉が鳴っただけだった。

 ドアだけを先に開き、一呼吸おいて飛び出した。乾いた靴音が響いたが、人の姿は見えない。ところどころ血の跡が散見され、部屋の前に規則正しく並べられているはずの靴が散らばっている。

 階下へ行こうと中央ロビーに来ると、ベッドやロッカーで上階への階段が封鎖されていた。侵入者を拒む完璧なバリケードだ。学生運動のロックアウトの写真で、こんな光景を見た気がする。

 今いる4階と、重迫撃砲中隊の居住区である5階をつなぐ踊場はロッカーがびっしりと敷き詰められ、完全に封鎖されていた。市街地想定訓練でもここまではやらない。第一、市街地訓練なら居住区は非対称になるはずだ。


 「誰かいるか!」


 5階に呼び掛ける。

 外の状況を知りたい。中隊事務室に行かなくてはならない。各部屋を見て回りたい。頭の中は様々な思考で埋め尽くされていたが、本田を動かしていたのは人に会いたいという衝動だった。


 「誰ですか?噛まれていませんか?」


 女の声が帰ってきた。若そうだ。


 「五中隊本田二曹だ!今起きたところで状況がわからない」


 「声を抑えてください。噛まれていませんか?無傷ですか?」


  上で何人かの話声が聞こえるが、内容はわからない。


 「どこも怪我はしていない。何があった」


 「今、空けます」


 ロッカーがスライドパズルのようにずらされていく。ちょうど下からも足音が聞こえてきた。不規則だが半長靴の音だった。

 階段を降りて、手すりから身を乗り出して三階の様子を窺った。三階は本部管理中隊だ。

 三階のロビーから近づいてくる足音の主が見えた。右頬が血で真っ赤だ。怪我をしている。歩き方もぎこちない。


 「おい、大丈夫か?何があった!」


 階段を降りようとすると「だめ!そいつらに近づかないでください!」と、悲鳴のような大声が上から響いた。切迫した声色にただならぬ気配を感じ、同時にラインの一文を思い出した。『怪我人に近づくな』

 右頬を赤く染めた男は本田を視界に捉えると速度を増し、階段を上り始めた。ブリキの人形のように不自然な動きだ。上では「もう無理だ。諦めなさい」「まだ助かる!」と言い争う声。


 「な、なんだこいつ」


 認めたくなかったが、何かがおかしいことはもうわかっている。しかしそれを認めることは本田の33年間の人生を否定しなければいけないほど、価値観、常識がひっくり返るということだった。


 「そいつに近づかないでください!絶対に噛まれないで」


 「あり得ない。あり得ない」と勝手につぶやく口とは裏腹に、体は危険を察知して動いていた。

 両手を伸ばし掴みかかろうとする “それ”に対し、前蹴りを繰り出す。本来、胴体への技だが、高低差もあって胸の上部にヒットし、派手に後方に吹き飛んだ。階段を10段は飛んでいる。打ちどころによってはもう起き上がれないはずだが、平然と起き上がる。もう一体出てきた。同じようにぎこちない動きで近づいてくる。かぶっている鉄帽を外し、投げつけた。頭に命中し、少し仰け反りはしたが、まるで効いている様子はない。普通の人間なら悶絶ものだ。

 二体が並んで距離を詰めてくる。普通の人間相手なら3人までなら何とかなる自信があるが、噛まれただけでアウトなら話は違う。突き出した足を取られたら終わりだ。そのとき


 「本田二曹!」


 上階から声がかかった。

 「速く速く!」とはやし立てられるが、無造作に積み上げられたベットやロッカーの隙間をくぐるのは容易ではない。しかし、下からの追手はもう手の届く距離だ。

 隙間に体を勢いよく潜り込ませると、二人の隊員に引っ張りあげられた。重なったベッドの隙間からそいつらが手を伸ばしている。不規則に積まれたバリケードはいつ崩れるかわからない。急いでロッカーをもとの隙間のない3×4列に戻した。


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