第15話 絶望

本田、佐藤、中村が降下していく。

 一番先に着地した本田は二人を待たず、洗濯工場へ走る。佐藤が少し遅れて後を追う。

四周を素早く見回す。隊舎の間に三体。まだ距離はある。こちらに気づいている様子もない。第一偵察大隊の隊舎のほうには今のところ見えない。

中村が着地した。羽田と牛島が降下を始めている。中村は本田と佐藤の後は追わず、洗濯工場と一偵方面、食堂方面を結ぶT字路で待機、警戒態勢へと移った。

銃声が響いた。

普段聞く、屋内の射撃訓練場での銃声とは違って乾いた音が、静かな駐屯地に、いや、静かな町に響き渡った。

本田も佐藤も単射で撃った。

弾倉には20発しかない。連射どころか、三点連射でも弾がもたない。

洗濯工場には5体いた。攻撃を開始してから2体出てきた。

佐藤の撃った弾が頭に命中した。3発目だった。本田は3発で2体倒している。田中の弾は体にすら当たらない。


「動く標的が、こんなに難しいとは……」


 射撃の世界大会にも出場する名手が弱音を吐いた。

本田も佐藤も初めて人を撃った。佐藤は、初めて人を殺した。不思議と何も感じなかった。浅く詰めた耳栓を突き破る轟音で耳が痺れ、反動で腕が痺れ、非現実に心が痺れていた。

 屋上から3点連射のタタターンッという音が響いた。洗濯工場ルート中止の合図だ。奥の倉庫から続々と奴らが出てくる。本田と佐藤はすぐさま引き返した。

 ちょうど牛島と羽田が中村に合流した。

 カーテンを富田と宮城が降り始め、河田は3階の窓を通過した。

 佐藤と本田は少しでも時間を稼ぐために、倉庫から近づくゾンビに射撃を続ける。命中し、倒れたゾンビに躓いて何体も将棋倒しになっている。

 河田が二階の窓を通過した時だった。

 隊舎の裏口のドアが、開いた。河田の真下に位置する、一枚扉だ。


「う、うわあああああああああああ」


 河田の悲鳴が響く。足に数体のゾンビが群がり、引きずり降ろされている。

 ゾンビは奥からまだまだ出てくる。10体以上は見える。


「本田二曹!行きます!」


 本田と佐藤は中村の声で事態に気づいた。河田に群がるゾンビに照準を合わせようとして、やめた。どう見ても手遅れだった。


「河田が!河田が!」


 同期の牛島が叫ぶが、中村はもう河田を見ていない。

 隊舎の正面玄関からも十数体の群れが出てきている。第2ルートも使えない。

 降下途中だった富田と宮城はなんとか登ろうとするが、降下用に着けていた厚手の皮手袋では上れない。ずるずると、徐々に降りて行ってしまう。

 自分たちの真下で、河田にゾンビが群がり、首や顔面をかじられ、赤く染まっていく。その叫び声はなぜか耳に入らない。宮城は三階の窓枠に足をかけ、なんとか降下せずに耐えている。その横で、足をかける場所もなく、文字通り地獄へ降下していく富田を見ていた。

 宮城は窓枠にかろうじてつま先が乗っているだけだった。カーテンを握る握力がなくなってきている。時間の問題だった。蜘蛛の糸より、何倍も太く、丈夫な糸を与えられているのに、上ることのできない自分の非力さを悔やんだ時、天から神の声が聞こえた。見上げると、細く角ばった顔の神が見下ろしていた。



 河田の悲鳴が聞こえた。耳栓の詰まった耳にかすかだが聞こえた。何かがあったのは間違いない。

 富田と宮城は降下した直後だ。まだ助かるかもしれない。だが、ここには私の食料しかない。一か月分と少し。二人では3週間もたない。

 やめろ。やめるんだ。私だけ生き残ればいい。危険を承知で降りたのは彼らだ。やめろ。止まれ。走るな。


「宮城!離すんじゃない!死んでも握っているんだ!」


 意思に反して、口が勝手に叫んだ。富田が間に合わなかったことを心から悔やんだ。

 T字路に彼らの姿はない。

 本田二曹。生きてください。中村。頼みましたよ。



 第二ルートも阻まれ、河田も富田も死んだ。

 すべての隊舎から示し合わせたように続々と奴らが出てくる。そのたびルートの変更をし、逃げ続ける。

 先導しているのは本田だった。

 振り返らなくても、後ろを走る4人の不安な顔が見えるようだった。

 第三ルートもいけない。残る道は一偵隊舎側から大回りで庁舎の横を通る一番危険且つ、移動距離の長いルートしかない。

柵の外もゾンビまみれだ。何体もこっちに気づいて向かってきている。じきに柵は囲まれる。

 振り返っていないが、大群が迫ってきているのは間違いない。身体能力に昨日と大きな変化はないと思いたかった。移動速度だけ見れば、変化はない。楽に引き離せる。この連携だけが不可解だった。奴らの掌の上で転がされている。そんな気さえした。

 一偵の駐車場が見えてきた。その先のカーブを曲がった先に奴らがいたら、もう退路はない。押し進むしかなかったが、その覚悟を持って走っている者は一人もいなかった。

 先を行く本田の足が止まった。カーブの先から、絶望という名の蠢く壁が迫ってきていた。


「本田二曹……」


 力のない中村の呼びかけに、その先はなかった。答えるものもいなかった。



 本田の後を追い続けた。荷物が重いなどと感じる余裕すらなかった。そんなわけがない。こんなはずじゃない。そんな意味のない言葉が頭を埋め尽くし、他の考えが浮かばない。

 なぜ急にここまでの連携が取れるのかどうしたらいい?何も浮かばないが、自分が何かを言わなければいけないのだけはわかっていた。


 憧れの本田二曹が言った。お前が指揮官だ、と。参謀だ、と。だが今の自分は、目の前の大きな背中についていくのがやっとだ。本物の主人公の大きな背中に。こんなところで終わるのか?やっと、自分の人生が始まったんじゃないのか?やっと人生の主役になったんじゃないのか?その為に、親友の亡骸を切り刻んだんじゃないのか?


 目の前の背中が止まった。


 そうか。やっぱり、勘違いだったんだ。結局、モブはモブのままなんだ。モブのオタクが主役になれるなんて漫画とラノベだけなんだ。もうやめよう。あきらめましょう。「本田二曹……」


「中村ぁ!どうしたらいい!?中村ぁ!」


 本田が叫んだ。


「諦めるな!頼む!どうしたらいい!?止めるな!思考を止めるな!中村ぁ!」


(思考が止まったら、その時が死だろ。俺、まだお前のこと考えてる。まだ、生きてるよ。中村)「横野……」


 思考を止めるな。考えろ。考える時間がないなら、少しでも作れ……!


「車両の上に上がります!急いで!」


 目の前は一偵の駐車場だ。車両の上で囲まれれば逃げ場はないが、それは今も同じだ。どうせなら一秒でも長く生きてやる。

 ホロの掛かってない車両を探す。見つけた。ひと際目立つ大きな車。87式偵察警戒車。RCVだ。

 RCVを指さして叫んだ。


「あれに上ってください!」


 LAVやジープでは高さが足りないが、全高2.8m、砲塔部分を除いても2mはあるRCVなら手は届かないし、5人は乗れる。普通科では所有しない車両だから触れたことはないが、時間は稼げる。

 5人はとにかく掴まれる場所に手をかけ、よじ登った。すぐ後ろには奴らが迫ってきている。

 牛島と羽田はうまく上がれない。焦れば焦るほど、どこにつかまり、どこに足をかければいいのかわからない。

 振り返る。もうすぐ後ろだ。

 羽田を本田が、牛島を佐藤と中村が引き上げた。膝や腰を打ったが、痛みを感じる余裕はない。

 間一髪だった。車両は瞬く間に奴らに囲まれた。上の5人へ手を伸ばす亡者の群れを見下ろし、大きく息を吐いた。汗が冷たい。手は届いていない。高さは十分にある。

 その安堵を、悲鳴がかき消した。


「きゃあぁああ」


 牛島が落ちた。奴らに服を掴まれ、引きずり降ろされた。


「牛島ぁ!」


 叫んだ時には遅かった。


「いやあぁああぁあああ」


 牛島の悲鳴は長くは長くは続かなかった。群がるゾンビに喉を食いちぎられ、ゴボゴボと音を立てるだけだった。


「登ってきた……今、確かに登ってきた……」


 見ていたのは羽田だけだった。一瞬の出来事だった。

 ソイツは段差と手足を使い、駆け上がり、牛島に手を伸ばした。


「どいつだ!?」


 本田が叫ぶ。


「あ、あいつ。あの、赤腕章……」


 羽田が指さしたゾンビをすぐさま撃ちぬいた。

 耳栓をしていない羽田と中村が悲痛な声をあげたが、気にする余裕はなかった。


 次はどいつが登って来るかわからない。にもかかわらず、動きだすこともできない。

 誰もがその波に呑まれていた。恐怖という名の押し寄せる波をただ黙って見下ろしていた。


 コン、コンッコンッ。


 RCVの中から、ハッチがノックされたのは、そんな絶望のさなかだった。

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