第17話 守るべきもの
銃声が響いた。何発も連続している。屋上からなのは間違いない。
悪い予感が当たってしまった。
奴らが段差を駆け上がり、牛島を掴んだ時、それは偶然ではなく
成長だと思った。同時に、段差を駆け上がり車上の人間を掴めるなら、あの乱雑な階段のバリケードも、敷き詰められた踊り場のロッカーも超えられるのではないかと考えていた。もちろん、そうなったとき、屋上で大声を出し、奴らを引き付けている者がどうなるかも、中村だけがわかっていた。
奴らは視覚を持ち、さらにフェロモンで集団行動がとれる生き物だ。人間の劣化版ではない。別の生命体だ。そう仮説を立てれば自然と浮かび上がる可能性がある。視覚情報とフェロモンによるコミュニケーションを使っての学習能力だ。
一人がロッカーを登れば、少し時間をおいて、周りの奴も登る。
その最悪の可能性を、今の連続した銃声が裏付けてしまった。この場の全員が動揺しているはずだが、大声は出せない。屋上からの声もなくなった今、近くの奴らを引き寄せてしまう。
金田と羽田は銃をRCVに積み終え、弾倉をリュックに詰めている。
佐藤の運ぶ弾薬が一番重く、量が多い。大トラックの食料をかき集め、RCVに投げ入れた中村が加勢した。脱出に使う予定の中トラックには分配しなくても食料もあり・弾倉も銃もある。
「お~い!助けてくれー!」
目の前の隊舎の三階の一室から声が上がった。3~4人の隊員が口々に助けを求めている。
「中村!三階に人がいる!」
RCVの上で監視を続ける本田が声をあげた。
「作戦通りです」
「今ならまだ……」
「作戦通りです!みんな急いで!」
悪い予感の二つ目だ。作戦の進行に影響がある分、最悪の予感が当たってしまった。
生きている隊員がいれば本田は助けようとする。しかし、それは一番死ぬパターンだ。人を助けようとしてしまう、人を助けられる力のあるものは一番危険にさらされる。まだ助かる目の前の命を諦められない。
(本田二曹だけは、本田二曹にだけは死なれてはいけない。彼がいるから、自分は主人公でいられるんだ)
「マズい、奴らが戻ってきている」
本田の顔にも焦りが見える。屋上の声が止み、こっちで声が上がれば当然そうなる。そのことがわからない三階の奴らはまだ叫んでいる。このままでは本田が飛び出しかねない。
「飛び降りてください!」
中村は三階の者たちに叫んだ。三階という高さは普段なら飛び降りれない高さではない。日頃から訓練をしている自衛官なら無傷で飛び降りることも不可能じゃない。もちろん、普段ならだ。
「わ、わかった!」
一人の若い隊員が窓枠にぶら下がり、手を離した。
騒ぎが起きてから丸一日以上経つ。おそらく、狭い部屋でじっと息を殺していたに違いない。準備運動もせず、極度の緊張感の中、普段通りの着地などできるわけがない。この場でただ一人、中村だけが冷静にそのことをわかっていた。
着地と同時に鈍い音が響いた。悲痛な叫び声が上がる。
遠目からでも彼の膝関節がおかしな方向に向いているのがわかった。足が折れ、一人で歩けない者を連れていくメリット、大群が迫る中彼を助けるリスク。本田に迷いが生じた隙を中村は逃さない。
「本田二曹!ここで僕らが死んだら、誰が国民を救うんですか!」
奥歯を噛みしめながら、本田は射撃を開始した。
この射撃は、目の前でもがく隊員を助けるための物ではない。撤収の合図だ。
足の折れた隊員は今も悲痛な叫びをあげ助けを求めているが、その声に応じるのはゾンビの大群だけだった。群がろうとするゾンビを本田は撃った。撃った。撃った。しかし、射撃音よりも、目の前の生きた肉の発する声に奴らは引き寄せられていく。
「弾薬はOKだ!」
佐藤が自分のリュックに弾倉を乱暴に詰めながら言った。弾薬は中トラックに2箱。RCVに2箱積まれた。
金田と羽田はもうすでにRCVに乗り込んでいる。
「行きましょう」
弾倉と水でパンパンになった、15キロはありそうなリュックを担ぎながら佐藤が走り、中トラックに乗り込んだ。中村はすでに助手席だ。
本田はRCVの車上から、ハッチを三回叩いた。発進の合図だ。
ゆっくりと進むRCVの車上で、本田は腰を下ろした。助けを求める隊員の叫び声が、いつまでも耳に響いていた。
中型トラックもあとを追う。
隊舎の三階の連中は今なお叫び続けている。声はよく聞こえないが、罵詈雑言をぶつけられている気がした。だが、その声のおかげで、中村たちの車を追うやつらはいない。
北門を目指してグラウンド沿いの道を走る。北門側に隊舎はないためか、奴らの姿は見えない。
「中村、頼みがある」
最後のカーブの手前で、佐藤が重そうに口を開いた。
「門を開けたら……」
「え……」
「頼む」
佐藤は目を合わせようとはせず、ハンドルを握りしめていた。
RCVが目の前で停車し、中トラックもその後ろに続いた。
門の前に二体のゾンビがいる。ヘルメットをかぶっていなくて安堵した。
本田と佐藤が銃を構え、ほぼ同時に発砲した。二体は崩れ落ち、沈黙した。
すかさず中村が門を開ける。
門の外のゾンビがこちらに気づき向かってくるが、まだ距離がある。
本田はすぐさまRCVの車上に飛び乗った。中村もそれに続いてRCVの車上に乗る。
中トラックに戻る時間は十分にあるはずなのに、なぜ、中村がRCVに……
ハッとして中トラックを見やると、運転席の佐藤と目が合った。まっすぐな、決意のこもった目だった。
何も知らない金田がアクセルを踏む。
佐藤が、右手の五指を綺麗にそろえ、指先を目じりに持っていく。美しい、見事な挙手の敬礼だった。
「なあ、中村、ゾンビ映画でもさ、戦争映画みたいに、この戦争が終わったら結婚する。とかそういうこと言うと死ぬ。みたいなのあるのか」
屋上からの降下まで残り20分。監視を続ける中村に聞いた。
「死亡フラグってやつですね。まぁーやっぱり家族を持つ男の死亡率は高いですよ。ドラマがありますからね」
中村は、俺が近々結婚する予定だったことを知らない。同じ部隊の中でも知っているのは一部の上司と本田くらいだ。
「一人で家族を探しに行くようなやつはいないのか?」
「いますよ。【ランニング・デッド】の主人公がまさにそれでした。あーでも、目覚めたら一人きりだったって感じですけど」
「そいつは、そいつはちゃんと家族に会えるのか?」
「会えますよ。その後いろいろありますけど……」
「そうか。ありがとう。俺もその映画、見ておくんだったな」
「【ランニング・デッド】はドラマですけどおすすめですよ!ゾンビに支配された世界での人間関係に重点置いて描かれる新しい切り口のゾンビ物でシーズンが長すぎるのは難点ですがー」
中村は急に早口になったので、適当に相槌を打って切り上げた。
こんなことを聞いて何になるかなんてわからない。家族を探しに行くやつは必ず死ぬと言われても、俺はかわらない。
気休めだ。気休めにしかならない。でも、その気休めだって今は欲しい。
俺は、どんなことをしてでも、家族を守る。
門を通過するRCVがゆっくりと右折する。
佐藤は本田を見つめながら門を通過する。
「エイ!」
本田の呼びかけに返事はせず、大きくうなずき、佐藤はハンドルを左に切った。
佐藤の乗る中型トラックが、夕日に染まる街に溶けていく。
「なぁ、中村。一人で家族を探しに行くやつは生き残れるのか?」
RCVの車上で、本田の前髪が揺れている。
「同じことを佐藤三曹にも聞かれました。生き残れる人もいます」
「そうか……」
それ以上、二人とも口を開かなかった。
本田は、佐藤の吸い込まれていった茜色の街に、答礼をした。
右手をチョイッっと前に出す、いつもの答礼だった。
THE・ARMYS・DEAD
第一部 守るべきもの 完
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