第2話 同期という関係

  

  0555


 佐藤鋭一は目を覚ました。

ベッドに備え付けられた棚の上にあるスマホに手を伸ばす。

妻と息子になる予定の二人を背景にしたロック画面に並ぶ数字は、いつも通り5の羅列だ。また、今日も目覚ましが鳴る前に目が覚めた。疲れが取れている気はしないが、二人の笑顔が、憂鬱さを少し和らげてくれる。

 毎朝6時ちょうどに鳴り響く起床ラッパで目覚めるのは、この上なく不快なので目覚ましはいつもその二分前にセットしている。しかし、いつからか、その3分前に目が覚めるようになってしまっていた。

 以前まで、それは体内時計が正確な証拠で、気にしていなかった。むしろ人より優れているのだと思っていた。

 久しぶりに熱を出し、病院を訪れたある日のことだ。

自衛隊病院を信用しない佐藤は、区内にある外部の病院を受診していた。平日の昼間ということもあってか、待合室は閑散としており、二人のサラリーマン風の男たちの会話はよく聞こえた。


「そういえば俺さ、毎日目覚ましの何分か前に勝手に目が覚めるんだけどさ」


 ほう。俺と同じニュータイプがこんな近くにもいたのか。だが俺は正確に3分前だ。と、心の中で得意気になっていた。


「でもあれって、神経質過ぎて脳が休まっていないだけで、何もいいことないからって睡眠外来行きなさいって言われちゃってさ。ショックだよ」


 今まさにショックを受けた男がこんなに近くにいるなど、この男は思いもしなかっただろう。ニュータイプどころか、欠陥パイロットだったのだ。

 その事実が佐藤をより神経質にさせ、意識し始めてからストレスは加速していった。ちょうど同時期に任命された、教育隊の班長という仕事は、さらにそれを悪化させた。

 本来、教育隊の班長は、若手の三曹が務めることが多い。教えることができて一人前。初心に帰る。きっと様々な意図があってのことだろう。得るものは多いと聞く。

しかし佐藤はもう6年目の中堅三曹だ。陸曹教育隊の成績も悪くなかったはずなので、そろそろ二曹昇任の話が来てもおかしくない。「昇任前に一度経験してこい」と送り出されたが、いまさら感はぬぐい切れず、わずらわしさしか感じなかった。

 スピーカーから流れる無機質で正確なラッパの音が、朝の起床時間を告げる。今日は録音だ。

 頭が重い。

こめかみを抑えながら起きると、目の前の、相変わらず散らかり放題のベッドは空っぽだった。


「そうか、シンは警衛か」


 昨夜はいなかったはずなのにどうしてここまでベッドが乱れているのか。半分だらしなく垂れさがっている毛布は、まるで今その持ち主が飛び起きたかのようだ。

 軽くたたみ直してから部屋を出た。

 同室の本田真一は新教(新隊員教育隊)の同期だ。横須賀教育隊での前期でも同じ区隊で、一普連に配属された後期教育では同じ班だった。

 階級も号俸(給料)も差をつけられたが、悔しいとも思えないほど、当時から飛びぬけた存在だった。小銃の射撃で負けたことがないということだけが、狙撃小隊のエースとしてのプライドだった。

 中央ロビーにわらわらと営内居住者が集まりだしていた。整列する陸士たちの前を通ると朝から大きな声であいさつされる。寝起きのすっきりしない頭にはいささか乱暴な目覚ましだが、6~‘7年前までは自分もそうだったと思うと何も言えない。小さく返して、列の後ろに並んだ。

 この後、当直士官に小隊の最先任者が人員を報告して、朝の点呼は終了となる。

30歳以上の二曹からは独身でも営外居住が許可されるので、半年前に帰ってきた本田が最先任だ。好き好んで営内に居住する者はいない。本田も1月~4月は物件を選びにくいので営内にいるが、そろそろ出ていく予定だった。


「佐藤三曹」


 声をかけられて気が付いた。


「悪い。俺か」


 教育隊の班長は教育隊舎に部屋を用意されるので、そちらで寝ることも多いから忘れていたが、本田がいなければ先任は自分だった。

 煩わしいが、この生活もあと少しだ。前期教育の班長が終わったら、彼女の志保と入籍する。

 志保は小学校2年生の息子、大河と暮らす29歳、シングルマザーの看護師だ。

訓練中の怪我が原因で入院した際、佐藤の担当だった。互いにひかれあい、交際に発展するまで時間はかからなかったが、その先に対してはお互いに慎重だった。


 半年前、本田が5中隊帰ってきた日、二人で飲みに行った。

外出の申請は面倒なので駐屯地内の厚生施設にある居酒屋「花びらの舞」にした。

 数年ぶりに再会した同期と話が尽きることはない。同期の話、中隊の話、プライベート、気づけば二人ともかなり飲んでいた。何の話の流れだったか、流れで結婚の話になった。30を過ぎた三曹と二曹だ。適齢期と言っていい。


「お前は彼女いるだろうが。はよ結婚しろ!はよ出ていけ!」


「ちょうどもうすぐ2年になるから、まぁ、考えてはいるんだけどさ」


「何か問題でもあんのかよ。惚れてんだろ?お?」


「まぁ、そりゃ、な。でも、実は……コブ付きなんだ。しかも、小学生」


「てめぇ!」


 不意に立ち上がった本田に胸倉をつかまれた。


「惚れた女の子供をコブとか言ってんじゃねぇぞ。宝物だろうが!」


 志保へのプロポーズの際「コブ付きでいいの?」と聞かれたとき、待ってましたとばかりに親友のセリフを拝借した。あの時の自分と同じように、涙を流す彼女を見て、少なくとも10年は、本田のセリフであることは内緒にしようと思った。



  0745


 朝の教育隊事務室はいつもより慌ただしかった。今日は教育隊の学生の射撃検定を行う。

 教育隊の成績は、体力、学科、射撃の3つでほぼ決まると言っていい。どの試験も毎回、自分の班の平均点を各班長で競っており、中隊の狙撃小隊から来ている佐藤としては負けられない戦いなのだ。


「負けたほうが勝った班員全員にジュースでどうだ?」


 同い年の四班長、吉田三曹に声をかけた。


「お、いいっすよ。一班には負けませんよ」


 同い年ではあるが、入隊も三曹昇任も佐藤のほうが何年も先なので、吉田は敬語を使う。同い年どころか、年上の部下がいたり、先輩だった人が部下になったり、階級社会は単純だが、人間関係は複雑だ。


 吉田が苦虫を噛みつぶしたようなに顔をしかめた。


「どうした?」


「いや、大したことないんすけど、来る途中に駅で喧嘩してるおっさんに巻き込まれて。くそ酔っ払いですよ」


 吉田はアキレス腱のあたりをさすっているが、半長靴を履いているため触ることはできない。


「大丈夫か?物騒だな」


「私服で出勤しててよかったですよ。迷彩服なら、止めてくれとか助けてくれなんて言われかねないですもん。こっちは遅刻しそうだってのに」


「お前はいつもギリギリ過ぎんだよ」


 新婚ホヤホヤの吉田はいつも最後に来る。今日にいたっては5分遅れだった。気持ちはわかるが、そうならないために入籍を見送っている自分が馬鹿みたいだと思った。



  0900


 一列の長い隊列を組み、大声で安全点検をして、学生が銃を運び出していく。一班が出てきた。


「精鋭一班!」

「ヨシ!」

「精鋭一班」

「ヨシ!」


 佐藤の前を通る学生達が合言葉を叫ぶ。班長、佐藤鋭一の名にちなんで、学生が考えた合言葉だ。

 二区隊、98名の学生が小銃と弾倉をトラックに積み込む。大型トラック一台、中型トラック一台に分けて積まれた。弾薬は射撃指揮官の乗る高機動車に積まれ、射撃場で班長や、射撃係の陸曹が弾倉に詰める。

 単眼鏡を忘れたことに気が付いた。

めったに使うものではないが、射撃手の後ろから的を見る際に使用する。

銃の搬出、積み込みは終わってしまったが、出発の0930まではまだ時間がある。

 吉田に、単眼鏡を取りに行く。とジェスチャーで伝えると、握った拳を顔の横で上下に動かす「急げ」という手信号を返してきた。顔は笑っていたが、どうも調子が悪そうだ。顔色も悪かった。

 練馬駐屯地はそれほど大きな駐屯地ではないがそれでも一周3キロ程度はある。教育隊舎と中隊の居住区は逆方向の端と端だ。急ぎつつも、ピカピカの半長靴のつま先が削れてしまわないように気を付けながら走った。

 部屋につくと、ちょうど警衛を下番した本田が帰ってきたところだった。


「おー、シン。お疲れさん」


「おう。サンキュー。どうしたんだ?忘れ物か?」


「あぁ、今日射撃検定なんだよ。単眼鏡忘れてさ」


 相槌を打ちながら本田は次々と服を脱ぎ散らかし、気づけばもうベットの中だ。

自衛隊では、飯を食うのとクソをするのが早いのは才能だ。と言われるが、服や装備の着脱の速さも才能だと感心する速さだ。


「シン、お土産は?」


警衛に上番すると同じ中隊の者が差し入れを持ってくるのだが、その量があまりにも多く、大量に余るので、結局持って帰ってきて中隊のいる者に分配される。


「あー、中村ってやつにあげた。面白いやつでさ。何小隊だったかな?」


 初対面で気に入られるとはよほどウマが合ったのだと思った。本田は自衛隊では珍しい一匹狼タイプで、能力が高いおかげで打たれても折れなかった出過ぎた杭だった。隣で見ていてハラハラしたものだ。


「やばい、もう行かねーと」


0920を過ぎていた。


「エイ」


 呼ばれて振り返ると、本田はお気に入りのヘッドフォンを片方外し、「がんばれよ」と言った。


「あぁ、頑張るのは学生だけどな」


 部屋を出るとカギをかけた。

中に本田はいるが、警衛明けだと知らない者が、用事があってくるかもしれない。警衛の後は佐藤もカギをかけて寝ていた。


 いつだって心を軽くするのは信頼する同期の言葉だ。5分前より軽い足取りで廊下を歩く。何年たっても同期というのは変わらない。言葉では言い表せない特別な存在だ。だがこんな生活もあと一か月かと思うと、寂しくもあった。


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