THE ARMYS・DEAD

杜野 剛凛

第1話 あまりにも有意義な実任務

  0230(深夜2時30分)

 東京都。陸上自衛隊練馬駐屯地の警衛所で、本田真一は椅子に深々と腰かけた。椅子の足についたキャスターが、ほんの少し机を遠ざける。

両手を頭の後ろで組み、天を仰いだ。背もたれが良くしなる。気を付けなければ倒れてしまいそうだ。

おそらくこの椅子も防衛庁時代からの骨董品に違いない。予算の少ない自衛隊では、椅子一つにしても壊れるまで使う。調子が悪くなるとか、カバーが破けるとかそういうのではなく、文字通り、完全に壊れて本来の用途で使えなくなるその日まで、新しいものは来ない。錆びたパイプ椅子が自分より年上なんてことも珍しくない。


 小さなため息が漏れた。

 国防予算の少なさにではない。あまりにも退屈な実任務にだった。

 古巣である第一普通科連隊第5中隊に戻ってきて半年が過ぎた。階級は2等陸曹。今年で34歳になる。自衛隊歴12年で2曹昇任から3年目だから、それなりに優秀なほうだろう。

 6年ぶりの警衛、現在の我が国日本における、災害派遣以外の唯一の実任務が、コーヒー片手に背もたれに寄りかかっているだけというのが耐え難かった。


 「暇ですね。平和でいいですけど」


 同中隊の中村士長は、本田のため息を会話の取っ掛かりにしようと試みたが、緊張のあまり気の利いた言葉は出てこない。

 警衛は24時間交代。警衛所の規模によって異なるが、ここ、練馬駐屯地では分哨長を含め、4人が上番し、深夜は片方のペアが仮眠をしている4時間は二人きりになる。二回の巡察以外、特にやることもない。

スマホで動画を見たりゲームをしたりする者もいるが、士長になりたての中村にそんな度胸はない。なぜなら相手はあの、本田2曹だからだ。


 「5中の鬼軍曹」といえば他中隊にも伝わる有名人で、分厚い胸に光る3つの徽章、186㎝の長身と鋭い眼光の本田は、尊敬されていると同時に陸士からだけでなく、陸曹からも恐れられていた。

 平常日課の体力錬成の時でさえ、倒れるまで走らされたという同期の話は他小隊の中村の耳にも届いている。だが、中村の緊張の理由はそれだけではない。


 「や、やっぱり、特戦群と比べたら、1普連は退屈ですよね」


 特殊作戦群。通称、特戦群。基本降下課程(第一空挺団でのパラシュート降下)と特殊作戦課程を履修した者のみが所属できる特殊部隊である。

 1年間の選考教育は苛烈を極め、各部隊から特に体力、精神力に優れた隊員が選抜され、教育を受けるにもかかわらず、次々と脱落していくことで有名だ。選考教育を経て隊員の一員となれる者は全体の2割程度と言われている。

 特殊作戦群の訓練内容、装備等は一切明かされておらず、同じ自衛官とはいえ謎に包まれた存在だ。  

 軍事オタクが高じて入隊した中村にとって、元特戦群の本田は、偉人ともいうべき憧れの存在だった。


 「部隊は関係ないさ。訓練内容と装備が違うだけだ。ただ、これが俺たち陸上自衛官の実任務だと思うとな」


 「あー、少しわかります。こんなんでいいのかなって感じますよね」


 「そりゃ、俺らが暇なのはいいことなんだろうけど、空自は年間数百回のスクランブル発進で領空を守っているし、海自は北のミサイルにロシアの原子力潜水艦、尖閣諸島沖の中国船と大忙しだ。手当こそ違うが、同じ基本給の俺らはここでコーヒーをお供にしてスマホ片手にモニターを眺めるだけ。海自に入ればよかった」


 不満が募っていた。深夜の警衛という、沈黙が大敵であるという状況もあったかもしれない。

 本田は真面目な男だ。部下に不満を漏らすようなことはあまりない。中村の人畜無害を絵にかいたようなパッとしない見た目と、物腰の柔らかさが饒舌にさせていた。

 幼い頃から厳しい祖父に育てられ、空手を叩き込まれた。その後、総合格闘技に転向し、プロのリングで試合を重ねてきたが怪我で入院したことを機に引退。入隊の決め手は、陸上自衛隊には軍隊格闘があることだった。

 入隊して感じた辛さは理不尽さくらいで、周りの者が根を上げる訓練も教官の指導も、格闘技の練習には及ばず、祖父の教育のほうが厳しかった。それは、精鋭一普連と呼ばれる第一普通科連隊に配属されても変わらなかった。

 上級格闘、レンジャーと、自衛隊の教育でもトップクラスの厳しさを誇る教育課程でさえ、キツイと思う瞬間こそあったが、プロのリングで味わったような緊張感はなく、「こんなものか」と思うことのほうが多かった。


 特殊作戦群への希望を出したのも、そこが陸上自衛隊の最高峰だと言われたからで、非常に厳しい訓練の日々は充実感をもたらしたが、次第に意義を見出せなくなってしまった。

 拉致被害者は増え続け、ミサイルは何度も飛んでくるが、自分たちの出番はない。空も海も侵されている。海自も空自もそれに対処しているが、自分たちは何もできない。そのもどかしさが募るばかりだった。

 全国に15万人、海上自衛隊の約3倍の人数を数えながら、その活躍の場は災害派遣くらいのもので、関東の第一師団では未だに「富士山を敵勢力に奪われ、それを奪還する」という想定の訓練を行っている。どこの国が何もない富士山を奪うというのか。

 自衛隊が嫌いなわけではなかった。格闘技しかできなかった自分を拾ってくれたという、ある種、恩のようなものを感じてもいる。だがそれだけに、無駄な訓練に税を使い、にもかかわらず活躍の場のない現状が耐え難かった。

 せめて後進の育成に尽力しようと、教育隊への転属を申し出てはいるが、近年のぬるい教育体制を見るに、本田の出番はなさそうだった。親から苦情が来て問題になる未来しか見えない。国を守る自衛隊の、訓練が厳しすぎると親から苦情が来たり、多くの隊員が辞めてしまうから「あまり厳しく指導するな」と上から達せられる。今の自衛隊はそんな場所になってしまっている。


「やっぱり厳しい環境を求めて入隊されたんですか?レンジャーや特戦も自分を追い込んで高めるために……」


「よせ、そんなんじゃない。ただ、自分が活きる場所を求めていただけだよ」


「それだけであんな厳しいことできるんですか?」


「俺は昔から体力馬鹿だからな。俺みたいな体力しかない人間も、ここでは活躍させてくれるし、人並みに給料も貰える。恩返しみたいなもんだ。だからせめて、一番必要とされる場所に行こうと思ってな」


 意識したことない自分の気持ちが自然と溢れ出てきた。

自分と向き合うということは何も鏡とにらめっこすることじゃない。他人と話すことで見えてくる自分もいるものだと、改めて感じた。

 良い夜になりそうだ。そんな予感さえする。


「やっぱさすがですね!カッコいいです!」


「まあ、なんだ、さっきの愚痴は忘れてくれ。部下に聞かせる話じゃなかった。すまん」


「仕方ないですよ。本田2曹みたいに意識高い人なんて駐屯地に何人いるかってくらいですもん。ほんとは全員が本田2曹みたいにあるべきなんですけど」


「お前はなんで入隊したんだ?」


 じゃあなんで特戦群を辞めたのか。そんな質問を中村が腹の底でこらえているような気がして、話を変えた。その答えはそのまま、また先ほどの不満につながってしまう。


「いやぁ、自分、昔からいわゆるミリオタでして、それが高じて……あ、あと学生の頃、【レディ・オブ・パンツァー】ってアニメにドはまりして、戦車乗りたいなーって。萌えアニメだと思って舐めてかかると度胆抜かれますよ本当に戦車の細部まで丁寧に作られていて履帯の駆動音や主砲の砲音まで細かくて何より彼女らの熱い……」


 何も聞いていないのに突然早口で語り始めたが、何を言っているのかさっぱりわからない。さっきまでの大人しさはどこに消えたのか。

 アニメについて熱く語りだしたが、アニメなど全く見たことがないし興味もない。この熱弁は誰に対するものなのだろうか。謎の語りはなおも続く。

 こいつは本当に先ほど俺の入退動機を聞いて感心していた奴と同一人物なのだろうか。


「ちょっと待て、戦車のアニメが好きならなんで普通科なんだ。機甲科に行けばよかっただろう」


 普通科が乗る車両はせいぜい軽装甲機動車くらいで、中村が熱く語る、10式戦車をはじめとする履帯式の車両や、最新の機動装甲車などの主砲がついた車両は、水陸機動団などの一部の例外を除き、機甲科でしか扱っていない。


「それが、僕の期から機甲科は縮小が始まっていて、戦車部隊の廃止も決まっていたんです。機動装甲車もカッコいいけど、やっぱり履帯がいいじゃないですか。レディタンファンとしては。それで、一昔前のゲームなんですけど、【戦場のワルキューレ】ってのがあって、歩兵が主役なんですよ。それ思い出したら、歩兵も魅力的に思えてきて」


 適当な相槌を打つのも嫌になった。何より早口でついていけない。兵器や装備の性能こそ気になるものの、カッコいいなどと思ったことは一度もない。

 時計を見て落胆した。こいつと二人きりであと二時間以上過ごさなければいけない。

 だいたい仮にも国防を担う自衛隊への入隊理由が、アニメやゲームとはいったいどうなっているのだろうかと、心の中で嘆いた。近年こんな奴らばかりだと聞くが、実際に見たのは初めてのことだった。


 ロクに運動の経験もないオタクがそんな理由で入隊してすぐやめたがるからどんどん訓練がぬるくなっていく。このままでは有事の際、役に立つ隊員などいなくなってしまうが、その「有事」を想定して訓練に励む自衛官など、もうどこにもいない。


 やっぱり教育隊はダメかもしれない。こんな奴らが大勢いるのかと思うとうまくやっていけるとは到底思えない。教育隊からの同期が一人、今まさに教育隊で新隊員を受け持っているが、言われてみれば日に日に顔に浮かぶ疲労の色が濃くなってきている気がした。

 中村の話は止まらず、時計の針はさっきからちっとも進まない。


「本田二曹はこういった暇な時間、どんなことを考えたりしているんですか?」


 嫌な予感はしつつも、話が変わるのはありがたい。


「考えたりはしないが、そうだな、周辺視野を鍛えたりするな」


 頭を動かさず目だけで左右に限界まで動かして物を捉えたり、眼球を左右上下に動かすことで目の周りの筋肉が鍛えられ、動体視力が上がるのだと教えると、熱心に聞き入り、早速実践している。こういうところは素直でかわいい後輩だ。


「僕は暇になるとすぐゾンビの妄想しちゃいますね」


 「ゾンビ?」


 「はい!駐屯地周辺でゾンビパニックが起きるんです。感染しているとはいえ民間人を撃つわけにもいかず、上の指示を待っている間にどんどん感染が広がっていって、それで・・・・・・」


 また相手を無視したマシンガントークが始まった。これだから最近のやつは、アニメだの漫画だのに毒されて現実との区別がついていない。


 「武器も弾薬も国内じゃ駐屯地ほど揃ってる場所もないですし、食料も長期保存のできるレーションが……」


 心の中で毒づきはしたものの、中村の話は聞くほどに現実味を感じるほど練られており、次第に引き込まれていった。オタクの知識は相当なもので、数多のゾンビ映画によって裏付けされた非現実的な説得力は本田を夢中にさせた。

 ロシアやアメリカの軍には宇宙人の襲来に対するマニュアルがあると聞くが、ゾンビのマニュアルがあってもおかしくなさそうだった。


 「しかし、89式小銃でゾンビと戦うのは無理があるな。100m先ののろのろ歩くゾンビをゆっくり落ち着いて狙えるならまだしも、迫られる恐怖の中、頭を正確に狙える奴なんかいないだろうな」


 「本田二曹でもですか?」


 「ばーか。誰に言ってんだよ」


 「さすが特戦群」


 「だが俺一人じゃ国民は救えない。対ゾンビマニュアルは改善の余地ありだな。直ちに是正せよ」


 「はい!直ちに是正します!」


 教育隊で、掃除の不備などを指摘する際のやり取りをして笑った。自衛官の中で教育隊ネタは鉄板のジョークだ。

 もう六月になる。教育隊の前期教育も終盤だ。話の通じない新配置隊員がどっと入ってくるまでもう三か月しかないのかと思うと憂鬱な気持ちになるが、中村のような後輩なら悪くはない。


 「こんなにまじめに国防について考えながら上番している警衛もなかなかいないぞ」

 「ですね。でも、実任務ですから」


 気づけば空が明るくなっていた。

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