第10話 帰還

 0925


「佐藤三曹!今どこにいる!?」


 一区隊長の上村一曹から電話が来てしまった。

 0930の出発だから仕方ないが、吉田は何も言わなかったのか。


「すみません。今厚生センターのところです。すぐに……」


「警務隊を呼んできてくれ!吉田三曹が暴れだした!手に負えない!2~3人連れてきてくれ!早く!」


 普段、温厚で絶対に声を荒げない上村一曹の慌てぶりで、ただ事ではないのはわかった。

 警務隊の事務室のある隊舎は、正門を背に右手に進んで一番手前の建物で、厚生センターからは近い。

 警務隊とは、自衛隊内での警察組織だ。機密情報が多く、外部の者が介入できないことが多い自衛隊内での事件や事故の捜査を行う。警察官と全く同じ権限をもった司法組織である。

 警務隊は佐藤の話を聞くと飛び出していった。佐藤もあとに続いた。

 現場の駐車場に着いた。

 担架に乗せられ、首から大量に出血している学生が運ばれて行く。これは自衛隊の医務室なんかじゃ無理だと思った。

 吉田三曹が警務隊とほかの班長に押さえつけられ、手錠をはめられていた。それでもまだ暴れている。何かがおかしい。

 119番を押そうとしたら、救急車のサイレンが聞こえてきた。


「佐藤!ついて行ってくれ!」


 誰が叫んだのか確認もできなかったが、救急車に乗り込んだ。

 車内では賢明な治療が行われているが、なかなか出発しない。


「病院が見つからないってどういうことですか!」


 学生の班長の竹内三曹が救急隊員に訴えかける。


「受け入れ可能な病院がないんです!似たような患者でどこもあふれてる」


 ピーーーーーーーーと、ドラマでよく耳にする音が聞こえてきた。人の人生が終わるにはあまりにも軽く、実感の伴わない高い音だった。

 車内で慌ただしい声が飛び交うが、専門用語だらけでよくわからない。学生の名を呼び続けていることしか認識できなかった。

 学生の手が動いた。そう思ったら、救急隊員の顔を引き寄せ、噛り付いた。悲鳴が響く。先ほど死にかけていたのがウソのように暴れだす学生を、救急隊員と竹内が必死に抑えるのを、なぜか呆然と見ていた。


 吉田も、出勤途中で噛まれたと言っていなかったか?

 そこら中、同じような患者で溢れている?


 噛まれた吉田が暴れだし、その吉田に噛まれた学生が暴れだした。

 目の前で必死に助けを求める同僚を無視し、医務室のほうへ向かいながら電話をかけた。今週は夜勤だったはずだ。確かそれで昨日は休みだった。そうだ、なのに俺が帰れなくて、次のママのお休みはみんなで焼き肉に行こうって大河にいったのに、行けなくて電話越しで拗ねてたんだ。そうだ、それなら家にはいるはずだ。頼む……


「はい、もしもーし」


「志保!よかった。大河は学校か!?」


「どうしたの?大河、昨日あの後熱出しちゃってさ。今日はお休み」


「絶対に家から出るな!カギをかけて、誰が来ても絶対に開けるな!」


「え?何なの、何かあったの?」


「まだ詳しくわからないが、新種の感染症かもしれない。あちこちで暴動が起こってる。いいか、絶対に外に出るな。職場の応援要請にも絶対に答えなくていい。大河を守ってくれ」


「わ、わかったけど……ごはんとかどうしよう。4~5日くらいしかもたないよ」


「すぐに向かう!俺が来るまではとにかく絶対にドアを開けずに静かにしてるんだ。あとは……」


 医務室から叫び声とともに、ワラワラと隊員や医官が走り出てきた。そのあとを追うように、ぎこちない不自然な歩き方で、口や頬を真っ赤に染めた学生が追う。


「どうしたの?大丈夫なの?」


「あ、ああ。必ず行くから、押し入れの奥に災害用の俺のリュックがある。そこに入ってるマニュアルを読んで、行動してくれ。とにかく家から出るな」


「わかった。待ってるからね」


「志保。愛してる」


「私も」


 電話を切って正門へ走った。

 営内居住者は外出証と、身分証がなければ外に出れないが、そんなことを言っている場合ではない。懲罰になるが、突っ切るしかない。正門はもうすぐそこだ。

 正門の方角から悲鳴が聞こえた。

 4~5人の民間人が駐屯地に入ろうとして、警衛が必死に止めようとしている。警衛所から応援が来て3人で食い止めているが、乱暴なことはできないため押されている。

 クラクションの音が鳴り響き、甲高いブレーキ音と、大きな衝撃音が響いた。交通事故だ。辺りは悲鳴や怒号が飛び交う阿鼻叫喚だ。

 分哨長らしき人が「門を閉めろ!」と叫んだ。暴行を受けたのか、血を流している。

 助けを求める民間人が、次々と柵を乗り越えて基地に侵入してくる。

 どうすればいい。どこに行けばいい。誰か指示をくれ。

 走り回った。どこに行っても血を流す人がいた。暴れる人がいた。制止しようとする自衛官が、次々と噛まれた。


「自衛官は決して仲間を見捨てない。その信頼があるから、最後まで戦えるんだ」


誰だったか、何かの教育で言われた言葉が頭をよぎった。その通りだった。皆、仲間を助けようと必死になっている。そんな中、自分だけが悲鳴を、助けを無視して走り回っている。自衛官失格で構わない。父親としてやるべきことを果たしたかった。

なぜ指示がないのか。放送がないのか。連隊長は、駐屯地指令は何をしているのか。

 庁舎へ来た。指令室がある。指令か、少なくとも代理の者はいる。

 庁舎など来たことがないからどこに何の部屋があるのかわからない。闇雲に走り回った。

 階段の手前で、前方にいる三人が同時に振り返った。奴らだ。向かってくる。振り返って初めて、陸士が二人ついてきていることに気が付いた。その後ろから、奴らが追ってきている。挟まれる。

「どうする!?」と、二人の陸士が目で訴えかける。

 階段を駆け上った。

 階段を上がった先で、女性自衛官が襲われ、必死に抵抗している。制服の肩は金色だ。噛みつこうとする奴の腹に飛び蹴りをして引き離した。


「噛まれていないか?」


「は、はい!」


 声が裏返っていた。

 目の前の部屋、恐らく指令室の中で、二人の奴らに襲われている幹部の姿が見えた。もう、間に合わない。3人を連れて、その正面の部屋に逃げ込んだ。外から助けを求める声が聞こえるが無視してドアを閉めた。全員がその場に座り込み、誰も口を開かなかった。

 志保、大河。二人のことしか考えなかった。


 3人が警衛所に向かってから二時間が経過していた。行って帰って来るだけなら15分の距離だ。

 田中は、消費期限の一番早いパンをかじりながら「遅い」と何度も漏らした。


「何かあったんじゃないでしょうか?」


 牛島が辺りを見回す。これも何度目かわからない。

 河野は三人が消えていった方角を見続けているが、ライトの明かりは見えてこない。

 この暗さの中だ、もともと無理な話だったのだと、田中は思っていた。

 銃は欲しかった。バットで殺したとき、3体以上は相手にできないと思ったからだ。射撃は苦手ではない。銃なら楽に殺せる。

 中村のおかげで食料にはしばらく困らない。それに、非常食やお菓子をストックしている営内者は多い。外出一つに上司の判子が4つも5つも必要なため、買い物はまとめ買いが基本だ。5階だけでも探せばまだまだあるだろう。

 もともと無理をする必要などないと思っていたが、反対はしなかった。銃があればもちろんプラスになる。だからごねるふりをして条件を出した。銃を持ったものが主導権を握るのは明白だ。もし、失敗して三人が消えるなら、食い扶持が減るうえに屋上の覇権は自分に戻る。悪いことは一つもない。

 完全な階級社会である自衛隊では、上官を盲目的に信頼する者が多い。実際、そのように教育されている。上司に従ってさえいれば、自分に責任は一切なくなるからだ。自分より上の階級で、それも、元特戦群という戦闘のカリスマは疎ましい存在だった。

 どうせ1~2週間もすれば救助が来る。それまでここを動く気は一切なかった。自分の安全さえ確保できればそれでいい。自分の命のためなら、他者を犠牲にすることに、なんの感情もなかった。


 「あ!来ました!」


 河野が声をあげた。

 一人しかいない。おそらく本田だ。奴らに追われてはいないようだった。銃どころか、持っていったハンマーすら持っていない。

 ものすごいスピードでカーテンを登ってくる。田中と河野が引くころには半分は登っていた。


「ちょっと待ってくださいよ。失敗した挙句、一人でとんずらですか本田二曹」


 わざとオーバーに詰め寄った。その通りなら、ここでの信頼は地に落ちる。

 

「違う。人数が増えた。引き上げる人員が足りなくなるから、偵察もかねて先行してきた」


 息一つ乱れていない。落ち着いた調子で淡々と話す姿に、田中は畏怖さえ感じた。


「銃は」


「四丁ある。弾もだ」


「あ、来ました!」


 隊舎と隊舎の間の大きな道路を6人が走っている。外灯に映し出されたそのうちの一人が足を引きずり、一人が肩を貸しているのがわかる。静かな夜に、半長靴の足音が響いている。


「あいつ、噛まれていないでしょうね?」


「庁舎の二階から飛び降りたとき挫いただけだ。噛まれたものがいれば対応している」


 6人がカーテンの下についた。その音に反応して、3体のゾンビが正面玄関から出てきたが、50m程ある。十分間に合う。


「牛島、一気に引くぞ」


 本田と牛島がカーテンを引きあげる。

 上がってくる順番は決めていた。銃を二丁背負った佐藤、同じく中村、庁舎で合流した三人、最後に横野だ。しんがりは横野が自ら買って出た。

 佐藤が上がり、銃を投げ捨てるようにその場に置くと、カーテン引きに加わった。銃をそんなぞんざいに扱うなど通常あり得ないことだが、そうもいっていられない。

 中村が上がり、その直後に、庁舎で合流した女性自衛官、羽田二尉が上がる。下には残り三人だ。ゾンビが集まってきている。

 横野の前にカーテンが降りてくる。弾帯に結び、上がろうとするが、上がれない。分厚い皮手袋は摩擦が少なく、ロープ登りなどには不向きだ。

 手袋を外し、カーテンを握る。行けそうだ。

 隣の二人は引き上げられていく。自分は一人でも上がれるはずだ。と言っていたから、二人を一気に引き上げる作戦だ。ゾンビが間近まで迫る。足が速くなっている気がした。

 カーテンを握り、地面を強く蹴って上がる。上がれるが、握力が続かない。降りるときに蹴破ってしまった窓のふちに立って休む。ここなら下のゾンビの手は、伸ばせば届く高さだが、半長靴も迷彩服もとても丈夫だ。爪や歯では破れない。十分に対応できる。

 異変を感じた本田と中村が横野のカーテンを引き始める。たるんだカーテンが引っ張られ始めたその時、横野の体が室内に引き込まれた。


「うわああああああああ」


 横野の叫び声が響き渡った。


「エイ!田中!手伝え!」


 4人で一気に引き上げた。

 柵を何とか乗り越え、横野は倒れこんだ。右ひざを押さえている。

 本田がライトを当てながら、横野の手をどけた。

 出発の際、ズボンの膝を破ったガラス傷の上に、歯形がくっきりと浮かび、血が滴っていた。







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