第27話 ハッピーエンドに決まってる
「じゃあバイト頑張ってね」
学校からの帰り道、バイト先に向かう俺に舞果が明るい声で手を振った。
「ああ、じゃあ」
「あのさ、覚えてる? 明日でちょうど一ヶ月だけど」
「もちろん」
サブスクリプション彼女サービスの期限だ。舞果は契約更新を望んでいるようだ。そして俺も。
Win-Winの関係。そこにはなんの障壁もない――はずなのだが。
先日の出来事が引っかかっていた。不審な男に対し、異常なほど怒りを露わにしていた舞果。
――あの男のひとが、もしかして……。
「直司、聞いてる?」
「あ、ああ、聞いてる聞いてる」
「今日の夕飯はね、お肉にしようと思ってる。デザートも用意しておくからね。ですので、どうぞよしなにお取り計らいのほどを……」
と、揉み手をした。
「ゴマすりが分かりやすすぎる」
「直司さんもおひとが悪い」
「あとゴマすり観が古いわ」
「えっへっへ」
妙にテンションが高い彼女に、俺もテンションを上げて応える。表面上は仲のよいふたり。しかしなぜか、余計に心の距離が離れてしまったような気がしていた。
◇
「うあっ!?」
缶ビールを陳列中、手が滑って床に落としてしまった。破裂することはなかったが、缶はべこべこに変形してしまった。これでは売り物にならない。
恐る恐る店長へ申告する。彼は笑って言った。
「珍しいね。大丈夫、俺が買ってくから。でもつぎからは気をつけてね」
「すいません……」
商品を破損するようなミスはいままで一度もしたことがなかった。
舞果のことが常に頭の片隅に居座っており、集中することができない。
俺はひとつずつ動作を確認しながら、ゆっくり着実に仕事を進めた。はかどりはしなかったが、幸いそれ以降はミスすることなく退勤時間を迎える。
店を出たところ、
「君」
と、横合いから声をかけられた。
身体がびくりと震えた。
急に声をかけられて驚いたわけではない。むしろこうなると予感すらしていた気がする。
来るときが来た。そんな怯えに似た感情だった。
俺は声のしたほうを振り向く。
――やっぱり。
そこに立っていたのは、メガネをかけ、スーツを着た、真面目そうな四十歳くらいの男性。あの日、俺たちのことをじっと見つめていた人物だった。
「ちょっと聞きたいんだけど、小瀬水舞果、という子と知りあいだよね?」
「どちら様ですか?」
「父親、かな。一応」
――まあ、そうだよな……。
分かっていたことなのに、俺の気持ちは落ちこむ。
彼は名刺を渡してきた。
『エスメッドシステム株式会社 開発課主任
事業内容を見ると、医療系のシステム管理とある。
「苗字が違うのは、まあいろいろ事情がね。でもほら、写真を持ってる」
ポケットから最新機種のiPh○neをとりだし、画面を何度もフリックする。
「ん? あれ? どこだ? ――あったあった」
と、俺に画面を向けた。
ケーキバイキングの店内だろうか。皿の上に小さなショートケーキやモンブラン、ザッハトルテが乗っている。それらのケーキを前に、ぶすっとむくれた小学校低学年くらいの女の子。
舞果をそのまま縮めたような容姿だった。
陣野というこの男性は、舞果の父親だ。初めから疑ってはいなかった。舞果の反応を見ていれば分かることだ。
「君は――。名前を聞いてもいいかい?」
「有永です」
「有永くんは、舞果の彼氏?」
「……そうですけど」
そう口にさせたのは、彼への対抗心だった。なにに対抗しているのかは俺にも分からない。
「だよね。それなら安心して話せる。――立ち話もなんだから、飯でも食べながら話さないかい? 街のほうに行きつけのステーキハウスがあってね。けっこう評判……、って地元の君なら知ってるか」
知っている。一番安い肉でも四千円近くするところだ。そんな店に気軽に通い、食べ盛りの高校生を誘えるくらいに、彼の財布には余裕があるらしい。
対抗心が
「いえ、夕飯を用意して待ってくれてるんで」
社会的地位も経済力も経験値も彼には敵わない。俺が勝てるのは『舞果に嫌われていない』という一点のみのように思える。
しかし彼がそんな俺の思惑などに気づくわけもない。
「まあそうか、そうだよね。じゃあ手短に。――昔の仲間から舞果の現状を聞き及んでね。本来こっちに出張に来るのはべつの者だったんだけど、無理を言って変わってもらったんだ。で、ようやく見つけたら、あのざま」
俺たちが全速力で逃げたことを指しているようだ。
「だから、有永くんから伝えてくれないか」
また心臓が嫌な動きをした。どきん、というよりは、ずくっ、と痛むような。
「なにを、ですか」
「よかったらこっちで一緒に暮らさないかって」
「……」
黙りこんだ俺に、陣野さんは微苦笑のような表情をして言う。
「彼氏としてはつらいところだよね、離ればなれになるのは。でもさ、分かるだろ?」
分かっている。舞果を買ったことがまちがっていたとは思わない。でもそれは急場しのぎだ。
安定した経済力のある肉親のもとで生活する。それに越したことはない。
それが一番いいに決まっている。
決まってるんだ。
俺は頷いた。陣野さんも頷いた。
「じゃあ、頼むよ。連絡は名刺の電話番号にかけてくれればいいから」
彼は右手をちょっと挙げて、その場をあとにした。
俺はしばらく立ち尽くしていた。しかし、これは舞果にとっては良い話だ。伝えたくないと思うのは俺のわがままで。
俺は重い足を引きずるように歩きだした。
「おかえり~!」
ドアを開けると舞果の明るい声が響いた。つんと刺激的で、食欲をそそる香りが漂ってくる。
そこには俺が――いや、俺たちが過ごしてきた日常があって、でもこれから俺はその日常に終止符を打つ言葉を伝えなければならない。
胸がつまる。でもこれは良い話なのだから、しけた顔ではなく笑顔でなければ。
「ただいま。――あのさ」
「今日は生姜焼きにしてみた。豚のロースが安売りしててさ」
「うん。それでさ――」
「生姜焼きってご飯が進むでしょ? いっぱい炊いたから。あ、でも食べすぎには注意してね」
「分かった。それで――」
「デザートはプリンね。ぷっちんできるやつ。お皿に出してあげるから」
「ああ。で――」
「それから」
「舞果」
とめどなくしゃべる舞果を俺は止めた。
「なに?」
彼女は笑顔になる。
――そう、これは嬉しいこと。だから笑顔で……。
目を細め、頬の筋肉を引きあげる。うまく笑えているだろうか。
「契約の話だけど」
「うん」
「更新はしない」
「……」
舞果は笑みを大きくした。
「そっか」
口にしたのはそれだけだった。
じゅうじゅうと肉の焼ける音がやけにうるさい。
「理由、気にならないのか?」
「お父さん?」
舞果も予感していたらしい。俺は頷く。
「やっぱり……」
俺は陣野さんからもらった名刺をダイニングテーブルに置いた。
「連絡先」
感情が溢れそうになって、必要最低限の言葉しか話せない。
「うん」
かちっ、と、ガスコンロの火を消す音。
「どうしたの、ぼーっとして。ご飯だよ。ほら、座って」
「あ、うん」
白米と、生姜焼きと、わかめの味噌汁が並べられる。
「いただきます」
「召しあがれ」
舞果は正面に座り、生姜焼きを口に運ぶ俺の写真を撮った。
「なに撮ってんだよ」
「最後の晩餐を食す直司」
「処刑前夜のやつだろそれ。明日は明日でちゃんと食うわ」
そう、明日も生活はつづく。そばに舞果がいなくなるだけだ。
「記録しておかないと、記憶が薄れちゃうから。――あ、でも直司は忘れないよね」
「そうだな」
「いいなあ、その特技。わたしのことも、たまに思いだしてね」
「べつに今生の別れじゃあるまいし」
「でも多分、お父さんのところに行くことになると思うから」
「……まあ、そうか。うん、分かった。思いだすよ」
たまにどころかきっと毎分思いだす。
「……っ」
舞果が顔を伏せたかと思うと急に立ちあがり、名刺をエプロンのポケットに入れ、早足で寝室へ向かった。
「ど、どうした?」
「連絡してくる。プリンは自分で用意して」
と、こちらを振り向くこともなく引き戸を閉めてしまった。
箸を置く。せっかく舞果が作ってくれた最後の夕食なのに、まったく喉を通らない。
俺は大きなため息をついた。
◇
翌朝、目が覚めて、すぐに違和感を覚える。ダイニングのほうにひとの気配がない。いつもなら舞果が朝食を作る音が聞こえてくるのに。
引き戸を開けた。しんとしている。
寝室の戸を開く。誰もいない。舞果の荷物もない。今日は曇りのようで、部屋の中まで灰色だ。
きれいに直された掛け布団の上にメモ紙だけが一枚、置き去りにされている。
『鍵は郵便受けに入れておきます。それでは、ご利用ありがとうございました。 小瀬水舞果』
舞果との契約は終わった。
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