第1話 エリクサーが使えない
エリクサーは溜めこまず、上手に使っていくのがゲームをスムーズに進めるコツだ。
頭では分かっている。分かってはいるが使えない。この先にいまよりも困難な状況が待ち受けているかもしれない、なんて理由を後づけしてみるが、結局のところ『もったいない気がする』『踏んぎりがつかない』だけ。
そうしてゲームの中盤あたりで足踏みするのが俺という人間だ。
そういう性格が少なからず――いや、大いに高校生活にも災いしている。
廊下側、前から二番目の席に座っている俺は、横目で教室を見た。あちこちにクラスメイトの塊ができており、がやがやとなにか話しては、ときおりどっと笑う。大きな塊は七、八人。一番小さな塊は二人。
俺は塊になれず、ひとりきり。
九月も半ばを過ぎて、気候もすっかり秋めいてきた。だというのに気軽に声をかけることのできる相手もいない。
高校に入って初めての夏休みを経験し、より結束を増した彼らのあいだに割って入ることはもう不可能だろう。
彼らが友情に恋に、青春を余すことなく謳歌していただろう夏休みのあいだ、俺は実家に帰ることもなくバイトに明け暮れていた。おかげでそこそこの貯蓄ができたが、使う当てはとくにない。
クラスメイトに話しかけようと努力したことはあった。しかし、
『こいつとは仲よくなれるだろうか、なんて話しかけたらいいだろう、第一声は? なれなれしくならないように、しかしよそよそしくならないように、失敗したら嫌だな、恥をかきたくないな』
そんなことをぐるぐると考え、最終的に、
『よし、今日はやめておこう』
と結論する。それの繰りかえし。
友だちの作り方を解説した本を読んでみたりもしたが、出てくるアドバイスは「話すときは元気よく」とか「こういう話題がおすすめ」とか、すべて
「じゃあさ、みんなでカラオケ行こうよ」
最大の塊、その中心で
彼女や彼女の周りのクラスメイトは、言うなれば『エリクサーを上手に使えるタイプ』だ。羽目をはずせない俺とは違い、ほどよく羽目をはずせる。
大人は俺たちに『真面目はよいこと』と教えるくせに、大学や社会に出てから評価されるのは『ちょっと遊んでた奴ら』だ。バイト先でも人気があるのはちょっとやんちゃな匂いのするひとばかり。上司も、その上司もそんなタイプだ。
頭がよく、真面目なところは真面目だけど、ほどよく羽目をはずせる。社会はそんな人びとがメインになって回している。八宮さんのグループがこのクラスの最大勢力なのは、言わば社会の縮図だ。まっとうな青春を送れるのも彼らのようなマジョリティである。
――どうして俺はあの中に入れないんだろうな……。
入りたいわけじゃない。彼らのノリについていけるとは思えないし。でも入れないのは、なぜだかみじめな気持ちになる。
そして今日も、みじめな気持ちを胸に抱えたまま高校生活を送る。
俺は、メインでなければモブでもない、路傍の石ですらない不可視化された存在。一言で言えば『青春難民』だった。
そして青春難民は、このクラスにもうひとりいる。
教室のドアががらっと開き、彼女が入ってきた。
彼女は真っ黒なパーカーのポケットに手を突っこみ、つり目ぎみの目を眠そうに細め、窓側後方の席に座ると、鞄からとりだした文庫本を読みはじめた。
昼休みももう終わろうかという時間の登校。にもかかわらず、クラスメイトの誰もがちらっと横目で見ただけで声すらかけないのは、つまりそういうことだ。
「
クラスメイトのひとりが小声で言った。そのたった二文字には、多くの情報が詰めこまれている。
また遅刻? また朝帰り? また男と――?
小瀬水さんには噂がある。
男と
実際、その手のホテルが程近い場所で、夜に徘徊しているのを目撃されているらしい(じゃあ目撃した奴はなにをやっていたんだという話だが)。
好奇の視線がちらちらと向けられるも、小瀬水さんはどこ吹く風といった顔であくびをした。日だまりで伸びをしている様はどこか猫を思わせる。
羽目をはずしすぎた彼女が青春難民となるのは必然だった。羽目をはずせない俺とは対極の人間なのに、立場が同じ。だからか、俺は彼女に親しみのようなものを感じていた。
エリクサーが使えない俺。エリクサーを使いきった小瀬水さん。人生がRPGだとしたら、俺たちはどちらも底辺プレイヤーだった。
◇
夜の九時を少し過ぎたころ、俺はバイトを終えて勤務先のドラッグストアを出た。
親からの仕送りは九万円、家賃は約五万円。残りで食費、光熱費、通信費をぎりぎり
しかしいざというときのために余裕が欲しい。そう考えてバイトをしているというわけだ。十七時から二十一時までの四時間勤務。通常の月はだいたい三万四千円くらいになる。交際費がいっさいかからないから貯蓄は順調に増えている。
「あ~、ぼっちでよかったあ」
わざと声に出してみたが、あまりの空しさにむせび泣きそうなった。
帰り道の足どりは重い。
物の少ない殺風景な部屋に帰って、やることといえばインスタント食品を食べ、シャワーを浴び、課題を消化して、寝るだけ。ただでさえ学校でははみ出し者なのに、あの部屋にいると完全に社会から隔絶されてしまったような気分になり、滅入ってしまう。
リュックのポケットからスマホをとりだし、小説投稿サイトのアプリを立ちあげた。
――やっぱり更新はないか……。
そんな俺の生活に唯一彩りを添えてくれていた小説『昔助けたいじめられっ
内容はタイトルととおり。小学生のころ太っていることでいじめられていた女の子を救った主人公が高校に上がり、数年ぶりに彼女と再会したらとんでもない美少女になっていて――、という鶴の恩返しみたいなラブコメだ。
フォロワーやポイントが突出して多いわけではないが、王道のラブコメで、掛けあいのテンポもよく、なにより石橋を叩いて渡る性格の主人公にシンパシーを感じて楽しく読んでいたのだが……。
焦れったいふたりの関係がいよいよ動きだしそうな流れだったのに、ぱたっと更新が止まってしまったのである。
青春が停滞している俺のような輩が応援していると更新も停滞するのだろうか。
などと考え、またむせび泣きそうになる。
代わりになる小説でもないものかと、ちょうど目についた
彼らのあいだを通りぬけて、俺は文庫本の棚へ向かった。
「ううん……」
俺はうめいた。店に入るまでは買う気満々なのに、いざ陳列された本を目の前にすると二の足を踏んでしまう。
できるならハズレは引きたくない。読むならちゃんと買いたいから図書館で借りるのは抵抗がある。最近では電子書籍のサブスクリプションもあるが、読書量が多いわけじゃないから元がとれない。
買えない理由ばかりが頭に浮かんできて、棚と棚のあいだをうろうろするばかり。
ランキングの上から順に試し読みしてみたが、ピンとくるものはなく。そもそも世間からはみ出している俺が、世間一般で評価されているものを楽しめるわけもない。
――ほんと俺、世の中に向いてない……。
小説じゃなくてもいい、なにか暇を潰せる本はないかと未練がましく店内をうろうろしていると、趣味と実用書の売り場に行き当たった。
――なんか高尚な趣味でも始めるか?
などと考えるが、そもそも趣味なんてものは好きが高じて始めるものだし、またそうでなければつづかないだろう。
――俺の好きなものって言っても……。
並んだ背表紙に視線を滑らせていく。すると、ある一角で目が止まった。
イラストのコーナー。手の描き方、肌の塗り方、タブレットで始めるイラストなどなどのタイトルが並んでいる。
「……」
俺は目を逸らし、売り場をあとにした。
スマホの時計を見ると、時刻はすでに二十二時近くだった。ファミレスやファストフード店から未成年が追いだされる時間だ。書店だっていい顔はしないだろう。早く帰らないと。
店を出て、近道をするために路地へ入る。
――あれ?
袋小路だった。少しもどって角を曲がる。
――方向的にはこっちだと思うんだけど……。
しかしまたもや行き止まりだった。引きかえしてべつの分岐に入る。
もどったり曲がったり、また引きかえしたりを繰りかえしていくうちに、俺はすっかり自分の居場所を見失ってしまった。
――ここ……。
明るい路地。しかし本通りとは別種の明るさだった。
原色系や、ピンク、パープルの照明。なんとも毒々しい。つまり、ここは――。
――ホテル街ってやつか。
さまよっているうちにずいぶんと遠くまで来てしまったらしい。
自分とは縁がない未知の世界。いま現在もこの中で、うまく羽目をはずせる人びとがふつうの幸せを満喫しているのだろう。
足がすくむ。俺はあまりに場違いだ。
踵を返そうとしたとき、
「はあ? なに言ってるんですか?」
と、女性の声が聞こえてきた。びくりとしてそちらに目を向けると、ホテルの出入り口の前に男女が立っていた。俺は看板の陰に身を隠す。
痴話喧嘩かと思ったが、どうも様子がおかしい。
立ち去ろうとする女性を男が通せんぼしている。それだけならまだ痴話喧嘩に見えなくもない。おかしいのは、男性がジャケットにスリムなパンツといういかにも気合の入ったファッションなのに対して、女性のほうが上はパーカー、下はスウェットのショートパンツというラフな格好だということだ。連れだってホテルにやってきたカップルにしてはファッションの格差が大きすぎる。
それに年齢にも開きがあるように見える。男性のほうは三十代後半くらい、女性のほうは十代後半くらいだ。
と、いうか。
「……え?」
――あれ……、まさか……。
目を細める。無造作なボブカット、整った顔立ち、すらりと長い脚。そして真っ黒なパーカー。
やっぱりだ。まちがいない。
――小瀬水さんだ。
小瀬水さんが男に言い寄られている。
例の噂が頭をよぎった。
しかし。
「帰るんで、どけてもらえます?」
「こんな場所で、そんなに脚を出して誘っておいてさ、君もそのつもりだったんだろ? 金なら出すよ。いくら欲しい?」
「この格好をしてるのは楽だから。それが誘ってるように見えるって、どれだけ認知歪んでるんですか?」
「……あんまり大人を馬鹿にするなよ?」
「だったら馬鹿にされるようなことをしないでくださいよ」
――っ!
男が小瀬水さんの手首をつかんだ。
「大声出しますよ?」
「こんなところで大声出したって、楽しんでると思われるのがオチだ」
小瀬水さんは手を振り払おうとしたものの、がっちりつかまれて離れない。
彼女の顔に初めて焦りの色が浮かぶ。
――まずいまずいまずいまずい!
たしかに大声を出したって助けが来てくれるとは思えないし、誰かを呼びに行く猶予もない。
警察を呼ぶ? いや、むしろ俺や小瀬水さんが補導されかねない。
じゃあ呼ぶ振りをする? いや、ばれたら終わりだ。
などとまごまごしているあいだにも、小瀬水さんは暗がりのほうへ引きこまれていく。
――くそっ!
俺は看板の陰から躍り出て、男にスマホのカメラを向けた。シャッター音と、真っ白なLEDのフラッシュ。
まぶしそうに顔を歪めている男に俺は言い放った。
「と、撮ったぞ! 未成年に手を出そうとしたところ! これを広められたくなかったら――」
「ガキがあ……、
肉食獣みたいに歯をむき出しにし、男は一気に俺との距離をつめると、スマホを奪いとろうと手を伸ばした。
「うおっ」
俺は間一髪で避ける。
――襲いかかるのに躊躇なさすぎだろ!?
狂犬かよ!
俺は身を翻して逃げだした。
「待てコラガキぃ!!」
男が追いかけてくる。
――よしっ。
これで小瀬水さんは安全だろう。
あとは自分の安全だ。運動は得意でも不得意でもないが、俺の倍以上も生きてそうなオッサンになら負けない、はず。
俺は袋小路に行き当たらないよう祈りながら、暗い路地に飛びこんだ。
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