第8話 恋愛IQが低い

「あのね、わたし、有永くんのことが……好きなの」


 俺は舞果に告白された。


「え……?」


 俺は戸惑った。


「どうした急に」


 俺は水筒の麦茶を飲んだ。


 どこかふたりきりになれるところで一緒にお弁当を食べようと舞果に提案されて、俺たちは特別教室棟の裏へやってきた。ここは普通教室棟から離れているため、昼休みにひとがやってくることはほとんどない。


 非常階段に並んで座り、弁当を食べた。食後、舞果はとうとつに立ちあがり、近くに植わっていた木のところまで歩いていくと、幹に手で触れて、恥ずかしそうな顔で振り向き、さっきの台詞を口にしたというわけである。


「なんかほら、こういうのいろいろすっ飛ばしてたなあって思って」

「たしかに」

「ねえ、嬉しい?」

「うん」

「――だけ!? リアクション薄くない?」


 女の子から告白をされるのはもちろん嬉しい。しかし、すでに同居しているし、もっと過激なアプローチを経験してしまっているのでいまさら感があり、感慨は薄かった。


「さっきも『あ~ん』で食べさせてあげたのに、あんまり喜んでくれなかったし」

「あれは、まあ……」


 青春難民である俺にとって『あ~ん』はもちろん憧れのシチュエーションである。しかし実際に経験してみると、自分のタイミングで食べられない不便さが気になり、いちゃいちゃの甘さが減衰してしまったのである。これは俺にとっても意外なことだった。


「それより、もう食べ終わったし教室もどらない?」


 ちょっと不満げな顔だった舞果は、俺が立ちあがると身体を寄せてきた。腕を組もうとしたらしい。しかし俺はすっと距離をとった。


「別々にもどったほうがよくないか? クラスで噂になったりしたら舞果も困るだろ?」


 あと単純に、くっつかれるとひじに舞果の立派なものが当たって理性が飛びそうになるので。


「あとから行くから、舞果は先にもどってくれ」


 なのに舞果は動かない。何事か考えるように難しい顔で、あごに拳を当てている。


「……舞果?」

「彼氏っぽくない」

「はい?」

「そうだ、彼氏っぽくないんだ!」


 ひとりでなにかに納得している。


「どういうこと?」

「わたしがどんなに彼女っぽいことをしても、直司が全然彼氏っぽいことをしてくれないから空回りしてるって言ってるの。――いい? 彼氏がいての彼女、彼女がいての彼氏だよ? 片一方では成り立たない。直司はもっと、わたしに彼氏らしく振る舞うべき!」


 後頭部をぶん殴られたような衝撃を受け、俺は唖然とした。


 俺は、口ではもっともらしいことを言っていても、結局のところ金を払っているのだから一方的にサービスを受ける権利があるのだと、無意識に思いこんでいたらしい。


 舞果のサービスは過剰すぎると思っていた。しかしその原因は俺にあったのだ。俺が彼氏らしく振る舞わないから、舞果が過剰に彼女らしく振る舞わざるを得なかった。


 舞果はずっと、暖簾に腕押し状態だったにも関わらず懸命に頑張ってくれていた。


 彼氏がいての彼女。彼女がいての彼氏。どちらかが欠けても成り立たない。そんな当たり前のことにすら思い至らなかった。


「だから、もっとわたしにいろんなことをしても――」

「すまん!!!!」


 俺は深々と頭を下げた。


「ん、ん!? なにが?」


 舞果は困惑の声をあげた。


「俺、甘えてた……」

「え、え?」

「舞果に甘えてた」

「いや、全然甘えてこないなって話なんだけど」

「もっと彼氏らしく振る舞えるように頑張るよ」

「うん、聞いて?」

「少し時間をくれないか? きっと舞果の期待に応えてみせるから!」

「まずわたしの話に答えてくれる?」


 俺は駆けだした。一分一秒も無駄にしたくない。


「ちょ、どこ行くの!」

「図書室!」


 分からないことがあるのなら、まずは調べることだ。恋愛IQの低い俺ならばなおのこと。


 昼休みは残り少ない。俺は走る。


「直司! ――ほんと、そういうとこやぞおおおお!」


 舞果が大声でなにか叫んだ。多分、応援してくれたのだろう。俺は振りかえって手を振り、図書室へ向かった。





 図書室に男女間の機微を直接学べるような本はなかった。俺はファッション関係の雑誌を数冊借り、あとはネットの力を頼った。


 調べた結果、女性が彼氏に求めるものは概ねこういう感じらしい。


・頭を撫でてほしい

・手をつないでほしい

・ハグしてほしい

・強引にキスをしてほしい

・リードしてほしい

・彼氏から連絡してほしい

・決断力


 などなど。スキンシップが多いのは、やはりそれが効果的だからなのだろうか。


 しかし、強引にキスはよくない。合意の上でのキスもまだ早いのに。ハグは触れる面積が広すぎる。手をつなぐのは、俺は手汗がすごいから無理だ。


 残るのは――。


 ――頭を撫でる、か。


 俺はキッチンで料理をしている舞果を見た。表情は真剣そのものだ。


 頭を撫でるのは少し難易度が高いが、料理について軽く会話を交わし、その流れから「お疲れさま」みたいな感じでぽんぽんするくらいならなんとかできるのではないか。


 夕食の献立は鰤の照り焼きときんぴらごぼうらしい。甘くて香ばしいタレの香りが部屋中に漂っている。


 俺は何気ないふうを装って舞果の斜め後ろに近寄る。


 ――おお……。


 女の子が料理をする後ろ姿って、こう、なんだかとても、いい。しかしそのせいで急に緊張してきた。


「きょ、今日もおいしそうだなあ」


 微妙に声が震えてしまった。


「でしょ?」


 舞果は上機嫌で返事をする。


「誰に料理を習ったんだ?」


 無言。


 ――あれ?


 聞こえなかったのだろうか。


「あの……、舞果?」

「なに?」

「料理を――」

「作ってるよ」

「じゃなくて。料理を誰に――」

「直司に」

「でもなくて。誰に習っ――」

「ねえ」


 舞果が少し不機嫌そうな顔で振り向いた。


「気が散るから座っててくれる?」

「すいません」

「あ、ちゃんと手は洗ってね」

「はい」


 彼氏扱いどころか子供扱いだった。


 なんとなくだが、話をはぐらかされた気がする。


 ――あ、そうか。


 あんな状況にあった舞果は、まずまちがいなく過去につらい思いをしている。俺の質問は、そんな過去を思い起こさせるような内容だ。


 ――デリカシーないな、俺……。


 また余計な気を遣わせてしまった。舞果の頭をぽんぽんどころか、自分の頭をぼこぼこにしてやりたい。


 俺のコミュ力では自然にスキンシップへ持っていくのは無理だ。ほかの方法を探さねばならない。


 夕食を食べながら考える。スキンシップ以外だと『リードしてほしい』『彼氏から連絡してほしい』『決断力』だ。


 歯ごたえのあるきんぴらごぼうを食べていたためか頭が冴え、それらすべてを満たす答えはすぐに見つかった。


「明日さ、学校が終わったらスマホを見に行かないか?」

「スマホ?」

「持ってないんだろ? バイトを探すにしてもスマホがあったほうがいいって前に言ってたよな」

「そうだけど、高いし……」

「機種にこだわらなければ中古で五千円くらいだし、回線も月千五百円くらいのがあるし」


 これぞといった機種をずばっと決めてやり、決断力のあるところをアピールする。幸い、以前に買いかえようと検討したときの知識はある。


「うん、じゃあ、行く」


 ――よし。


 明日こそ、舞果に彼氏らしさを見せつけてやる。

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