第9話 りんごが無難

 中古スマホ専門店の店内には、スマホだけでなくタブレットやノートPCも所狭しと陳列されていた。


 舞果は背中を丸め、びくびくと周囲に目をやっている。


「どうした?」

「い、一万円代の商品がたくさんあるから、なんか怖くなって……」

「そんなに?」

「だ、だって! 見てこれ。一万四千八百円だよ? なのに『激安!』って書いてる! 安くないって! 一万四千八百円は大金だって!」

「こ、声がでかい。店員さん見てるだろ。相対的に安いってことだよ」

「知ってるけどさあ……」


 おどおどしている舞果。ちょっとかわいそうな気もするが、彼氏らしいところを見せるには好都合だ。


 舞果がじとっとした目で俺を見た。


「直司、なんか悪い顔になってる」

「えっ?」


 思った以上にうまく事が運び、自分でも気づかないうちににやにやしてしまっていたらしい。


「い、いや、違うぞ? ほら俺、けっこう、その……。そう! デジタルガジェットが好きだから! 自然と顔が笑っちゃったんだよ」

「どっちかって言うと、そのデジタルガジェットでハッキングとかしそうな顔だったけど」

「そ、そんなことより、こっち」


 俺は強引に話を打ちきって、安価な機種のコーナーに舞果を案内した。


 さて、ここからが勝負だ。おすすめ機種は頭に入っている。なにを買えばよいかと悩む舞果に決断力のあるところを見せれば、きっと彼氏らしいと認めてくれるはずだ。


 舞果は古いiPh○neを手にとった。


「じゃあこれにする」

「ちょいちょいちょーい!」

「なに急に大きい声出して。店員さん見てるよ?」

「もうちょっと吟味したほうがいいんじゃないか?」

「これでいいよ。有名なやつだし、まちがいないでしょ」

「たしかにそれもいいけど、舞果にぴったりのやつがほかにあるかもしれないだろ。――たとえばこっちのやつ。処理速度は劣るけどバッテリーの容量が大きいから電池持ちがいい」

「じゃあそれでいいや」

「いやいやいや。本体が大きいからけっこう重いし。その隣のやつだとバッテリーは少なくなるけど軽くて取り回しがいい」

「じゃあそれで」

「まあちょっと待って。さらに隣のやつだとタッチ決済機能がついてるし、防水なんだよ」

「じゃあそれ――」

「あとひとつ。その下のやつは」

「あのさあ」


 舞果は腰に手を当てて、呆れたように言う。


「直司って優柔不断だよね」

「な……!」

「やっぱりiPh○neでいいや」


 舞果はとっとと会計に行ってしまった。


 なぜだ。決断力があるところを見せたかったのに、なぜ真逆の結果になっているんだ。


 スマホを購入後、電気店へ行って格安回線を契約し、設定も終えた。


「じゃあLINE教えて」


 舞果は即座に俺のIDを尋ねた。


 スキンシップに躊躇がなく、決断力があり、LINEのIDもさらっと聞ける。


 ――俺より彼氏らしい……。


 スキンシップは駄目、優柔不断で、彼女をリードすることもできない。いったい俺はどうすれば彼氏らしくなれるというのだ。もう俺が彼女っぽくしたほうがバランスがとれるんじゃないかという気すらしてきた。


 いや、それでは根本的解決にならない。舞果に無理をさせつづけることになってしまう。


 久々にLINEに友だちが追加された。しかも同級生の女の子。『よろしく』なんて素っ気ないメッセージも、家族とすらほとんどやりとりをしない俺にとっては有頂天になるほど嬉しい――はずなのに、自分が情けなくて素直に喜ぶ余裕もない。


 ――いったいどうすれば……。


 その日の夜、床についてからも考えつづけたが答えは見つからず、翌日、寝不足のぼんやりした頭のまま午前の授業をやりすごした。前日と同じように舞果と一緒に弁当を食べたが、なにを言われても上の空で、彼氏らしさとは余計に離れていってしまっている気がする。


 タイミングをずらし、舞果よりも一足早く普通教室棟へもどる。


 玄関で上履きに履きかえていたところ、


「有永くん」


 と、急に呼ばれて、俺はびくりとなった。


 顔をあげる。そこいたのは八宮彩理。クラスでもっとも大きなグループの、いつも中心にいる女子だ。


 ――まぶしい……。


 つやつやした黒髪も、濡れたような瞳も、抜けるように白い肌も、すべてが輝いて見える。舞果が猫だとしたら、八宮さんは犬――ボーダーコリーのような凛とした美しさがあった。


「あ、な、なななに?」


 声が裏返る。


 数日間のときを一緒に過ごしたことで、舞果とはようやくふつうに話せるようになった。しかしほかのクラスメイト、しかもこんなきらきらした女子に話しかけられ、俺のコミュ障は嫌でも再燃してしまう。


 八宮さんはまるでグラビアの表紙みたいに微笑んだ。


「そういえば、こうやって話すの初めてだよね」

「そ、そうだっ……そうですね」


 距離感が測れず、言葉遣いに迷う。


 八宮さんは口元を手で隠して上品に笑った。


「有永くん、丁寧だね。ふつうでいいよ」

「は、はは、は……」


 そのふつうがよく分からないから困っているのだが。すでに脇や背中は汗でびちょびちょだ。


「そ、そそれで、なに?」

「あのね、聞きたいことがあるんだけど」

「う、うん」

「もしかして有永くん、小瀬水さんと――、あ」


 そう言いかけて、言葉が止まる。八宮さんの視線は俺をすり抜けて玄関口のほうへそそがれていた。


 釣られて振りかえる。そこには舞果がいた。彼女は一瞬だけ怪訝な顔をしたあと、靴を履きかえ俺たちの横を通りすぎる。


「小瀬水さん」


 八宮さんが舞果を呼びとめた。


「なに? ええと……、一ノ瀬さん」

「八宮ね。小瀬水さんとちゃんと話すのも初めてだよね」


 舞果は肩をすくめた。


 下駄箱前に、俺と、舞果と、八宮さん。


 ――なにこの状況……。


 教室ではあり得ない組みあわせだ。


 八宮さんは恥ずかしそうに身体を揺すった。


「あのね、もしかして……、ふたりって付きあってるの?」

「付きあってないけど」


 即答した舞果を俺は二度見した。舞果は俺に目を向けて首を傾げる。


「なに?」

「い、いや……」


 たしかに正式に付きあっているわけではないが、彼女が少しも迷うことなく返答したことに、俺は思いのほかショックを受けていた。


「そっかあ。仲がよさそうに見えたから。ごめんね」


 八宮さんは手を合わせ、決まり悪げに微笑んだ。


「もう行っていい? ええと、……二宮さん」

「八宮ね。うん、ごめんね、呼びとめて」

「べつに」


 舞果はその場を離れた。


「あ、じゃあ、俺も」

「うん。――あ、そういえば、なんか不審者が出るらしいから気をつけてね」

「不審者?」

「なんかね、四十歳くらいの男のひとが、車のなかからじーっと学校のほうを見てたんだって」

「あ、うん」


 八宮さんは朗らかな笑顔で小さく手を振った。俺が手を振りかえしたらキモい感じになるだろうと思い、見なかったことにして去ろうとしたが、それでは感じが悪いだろうと考えなおし、迷った末ぺこっと会釈して玄関をあとにした。


「はあぁ……」


 ――緊張した……。


 どっと疲れが押しよせる。今日はバイトが休みでよかった。


 八宮さんは俺たちの仲を疑っているようだ。舞果との密会はしばらく休止したほうがいいかもしれない。


 舞果が俺との関係を否定したときの様子が頭をかすめた。


 八宮さんに関係を悟られないよう注意を払ってくれたのだろう。しかし、少しでも俺のことを彼氏らしいと感じてくれていたのなら、ちょっとくらいは戸惑ってくれそうなものだ。一蹴してしまえるということは、俺のことをなんとも思っていないということではないか。


 胃がつねられたように痛む。


 ――そういえば……。


 八宮さんの話では学校付近に不審者が現れたらしい。


 一緒に下校し、舞果を守る。男らしいところ見せれば、彼女も見直してくれるのではないか。


 ――使える。


 俺はほくそ笑んだ。彼女が怯えるのを喜んだり不審者の出没を嬉しがったり、彼氏らしくないどころかひととして終わっている気もするが、大事の前の小事だ。


 俺は意気揚々と教室に引きかえした。

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