第14話 距離感
放課後、途中から舞果と合流して下校する。これはいつもどおり。しかし、今日はなんだか隣を歩く彼女との距離が妙に近い。肩や手の甲が触れそうだ。
と思ったとたん、手の甲が触れる。
「あれ? もしかして直司、手をつなぎたいの?」
「え? ええと……」
舞果が距離をつめて手をぶつけてきたのに、どうしてそうなるのか。当たり屋か。
いや、つなぎたくないわけではない。でも俺は手汗がすごいし、きっと舞果は気持ち悪がるだろう。そう思い、返事を躊躇していると、
「つなぎたいでしょ? つなぎたいよね? つなぎたそうな顔してるもんね。しょうがないなあ、じゃあつないであげる」
と、ものすごい早口で自己完結し、舞果は俺の手を握った。
しなやかな指がからみつく。ひやりとした小さな手だった。
――おお……。
女の子と手をつないだのは小学校のフォークダンスの授業以来だった。あのころは触れあうことに羞恥心などなかったのに、どうしていまはこんなにも照れくさいのだろう。心拍数が上がり、じわりと手に汗がにじむ。
「あ、あのさ、俺、手汗すごいだろ? 嫌だったら無理しなくていいからな?」
「べつに気にしないけど。汗なんてほとんど水と塩だよ。海みたいなものだって」
まさか俺の手汗が大海原にたとえられるとは思いもしなかった。もしかして大量に噴きだす手汗への皮肉だろうか。
手をつないでからというもの、舞果は伏し目がちになり、口数も少なくなった。俺のねちょ手を我慢しているのかと思ったが、嫌そうな顔はしていない。それどころかうっすら微笑んでいるようにも見える。
結局、マンションの部屋に着くまで舞果が手を離すことはなかった。
バイトから帰ってきて、夕食を食べる。いつもなら俺の正面に座る舞果は、今日はなぜか俺の斜め横に座り、食事をする俺を頬杖をついてぼんやりと眺めている。その顔もやはりほんのりと微笑んでいて、俺は口元に米粒でもついているのかと指で探ったがなにもない。
「なに?」
「え? なにが?」
「いや、見てたから」
「は、はあ? べつに見てないけど。――おいしそうに食べてくれるのが嬉しいから、つい見ちゃっただけだし」
――いや、どっち?
舞果は顔を赤くして口をとがらせている。怒らせたくないのでそれ以上は追求せず、俺は黙々と食事を口に運んだ。
翌日は休日。昼食を食べ終えたあと、舞果は部屋着をパーカーとデニムに着替えた。食料品の買い出しに行くためだ。しかし俺は部屋着のまま。買い出しには舞果ひとりで行く。
同居人として荷物持ちくらいはすべきなのは分かっている。しかし、並んで歩いているところをクラスメイトに見られるくらいならともかく、一緒に食品を買い込んでいるところを目撃されるのは極めてまずい。かといって俺ひとりではなにを買っていいのか分からないから、結局舞果がひとりで行くこととなった。
「変装してついていくか?」
「大丈夫。つぎはなにを食べてもらおうかなってじっくり考えながら買い物するの、けっこう好きだから」
と、屈託なく笑う。
「いいお嫁さんって感じだな」
「うわあ……」
褒めたつもりだったのに、舞果は眉をひそめた。
「そういうジェンダーロールに凝りかたまった発言、ものすごく怒るひともいるから気をつけたほうがいいよ」
「え、も、もしかして、こういうのってセクハラになる?」
「場合によっては」
「マジか……」
「いまのはならないけどね」
「どっちだよ」
「だって、わたしは気にしないから。バリバリ働く女になるのもかわいいお嫁さんになるのも個人の自由じゃん。どっちかが駄目な世の中なんて息苦しいよ」
自由で平等。舞果の発言はいつもフラットだ。身体の起伏はすさまじいのに……とか言ったら、これはまちがいなくセクハラだ。
「舞果はどっちになりたいんだ?」
「え? あ、ええと……、わたしは――」
と、目を泳がせる。
「舞果はどっちでもなさそうだな。旅人になりそう」
「旅人?」
「全国、なんなら全世界を気ままに旅して、インスタとかYouTubeに現地の風景とかおいしそうな料理をアップして……。うん、なんか似合うな」
「そ、その旅にさ、直司は――」
「チャンネル名は『マイカのひとり旅』とか」
言葉が重なってよく聞きとれなかった。
「いまなんて?」
「……べつに」
舞果は急にぶすっとした顔になって玄関へ向かう。しかし途中で立ちどまって言った。
「たしかにわたしは大勢でわいわいするのは好きじゃないし、ひとりでいると楽だけど――」
「う、うん」
「ずっとひとりでいたいわけじゃないから」
それだけ、と言い捨てて出ていった。怒っているというよりは拗ねているといった表情だった。
「ええと……?」
旅をするなら誰かと一緒がいいということだろうか。
俺は想像した。
遠い異国の地。舞果が信頼の笑顔を向ける相手。それは、背が高くて、筋肉質で、無精髭もなんだかお洒落で、大きな手で彼女をぐいぐい引っぱる大人の男だった。
まちがいなく俺ではない。というかそもそも俺は旅が嫌いだ。知らない場所では安眠できない性質だし、知らないひととたくさん話さなくてはならないから。
大きなため息が漏れた。勝手に想像して勝手に落ちこんでいる。
――いや待て、なんで落ちこむ。
舞果とはあくまで契約の関係だ。彼女の生活環境が改善されれば、サブスク彼女なんて茶番をする必要はなくなる。
一時的な結びつき。そんなことは分かっていたはずなのに。
胸がもやもやして、もう一度ため息をつく。
そのときふと、窓際に置かれたクッションが目に入った。舞果が買った、ちょっと前は『人をダメにするソファ』なんて言われていたやつだ。そこで眠る彼女はなんとも幸せそうで、その姿を思い出すだけでも表情が崩れてしまいそうになる。
俺もそこで眠れば、この暗い気持ちを洗い流すことができるだろうか。
『直司も使っていいよ』とは言われているが、俺の体臭を染みこませてしまうのが申し訳ないし、もともとダメな俺が人をダメにするソファを使う資格があるのかなどと考えてしまって使ったことはない。
でも、救いがほしかった俺は、ついにそのソファに身を沈めた。
「はあふ……」
思わず声が出た。あえて陳腐に表現するなら、まるでマシュマロだ。『ふわっ』と『もちっ』のいいとこどりみたいな感触。
舞果があれほど幸せそうだったのも頷ける。俺が悪霊だったら成仏するところだ。窓から差しこむぽかぽかとした陽光も、天国からの導きみたいに思えてくる。
――ちょっとだけ……。
舞果が帰ってくるまで仮眠させてもらおう。そう考えて目をつむる。
――これは、いいわ……。
そのうちなにも考えられなくなり、俺は眠りの世界へと旅立った。
甘い香りがした。クッションに染みついた舞果の匂いだろうか。
と、思った瞬間。
ずん、と肩が重くなった。
――か、金縛り……!?
初めての体験に俺は焦って身を固くすることしかできない。
――こ、これはあれだ、心霊的なやつじゃなくて、ほら、なんだっけ……、身体は寝ているけど脳が起きている状態、だっけ? それだ。なんか疲れているときになりやすいらしい。……待てよ、俺、そんなに疲れてたっけ? ……いや、俺、めちゃくちゃ繊細だからな。知らないうちに心労を溜めていたんだろうな。うん、きっとそう。
疲れによる金縛り。そう結論したのに、なぜか手は動かせる。足も動かせた。俺は目を開け、おそるおそる、重みを感じている肩のほうへ首を回した。
俺の肩に頭が載っていた。見覚えのあるつむじ。舞果の頭だ。甘い匂いはクッションからではなく、舞果から直接に香っていたらしい。
――なに、この状況……。
金縛りではないと分かったのに、俺の身体はがちがちに固くなった。
俺が目覚めた気配を感じたのか、舞果が顔をあげた。
目が合う。
――ち、近っ……!
彼女はふわりと微笑んだ。
釣られてデレッと表情が崩れそうになり、俺は弾かれたように天井に顔を向けた。
「な、な、な、なんで?」
「なにが?」
「なんで隣で寝てんの!?」
「帰ってきたらお昼寝しようと思ってたから」
「いやそっちはわりとどうでもいい。なんでくっついてるんだよ」
「さっき言ったでしょ。ずっとひとりでいたいわけじゃないって」
「それとこれとは――」
すると舞果は俺の耳に口を寄せて、ささやくように言った。
「くっついちゃ駄目?」
背筋を羽でくすぐられたみたいに、ぞくぞくが走り抜けた。
「だ……駄目、くない」
甘えるような声、香り、体温が俺の言語能力を奪い去った。
舞果は小さく笑って、また俺の肩に頭を預ける。
――なんだなんだ本当になんなんだ……!
コインパーキングでの一件があって以来、舞果の距離が妙に近い。
以前からスキンシップが多めではあった。しかしそれはどちらかといえばセクシャルな匂いのするアプローチで、だから俺は舞果が無理をしているのではと心配した。しかし最近は、ただただ、距離が近い。猫が膝に乗ってくるように、するりと身を寄せてくる。
アプローチの方針を変更したのか、それとも……。
分からないことばかりだ。しかし、ひとつ確かなことは、あの胸のもやもやがすっかりと晴れたということ。
そもそも舞果の存在が原因だったのに、結局、舞果の存在で俺は救われた。
初めて話したあの日から、俺の心は舞果に揺さぶられっぱなしだ。
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