第13話 花丸はつけられない

 午後九時、バイトを終え、マンションに帰る。


 部屋の明かりがついていない。玄関には舞果の靴もない。


 胸がざわっとした。舞果が使っている寝室を慌てて確認する。


 スポーツバッグが置いてあり、俺はひとまず安堵した。出ていったわけではないらしい。


 でも、じゃあどこへ? 不審者の噂もあるし、前に舞果を襲おうとした男のこともあるし、夜にひとりで出歩くのは防犯上よくない。


 LINEにメッセージを送ってみたが既読すらつかない。俺は舌打ちをする。


 ――またかよ。


 そのとき、八宮さんの言葉が頭をよぎった。


『まちがってないよね、って確認したがるのは、まちがってた気がしてるからじゃない?』


 ――俺は……。


 遅刻するのはよくないことだから、夜に出歩くのはよくないことだから、怒ってるのか?


 いや、それでは三角だ。


 じゃあ、丸をつけられる答えはなんなのだろう?


 俺はマンションを出て、まっすぐあの場所に向かう。舞果と初めて話したあの場所へ、丸の答えを探しながら。


 自分では落ち着いていたつもりだったのに、気が急いていたのか、俺は知らず知らずのうちに早足になっていて、コインパーキングに着くころには息があがっていた。


 黄色い柵に腰かける人影。黒いパーカーのフードを目深にかぶった女の子。舞果はやはりここにいた。


 俺は自販機でお茶とスポーツドリンクを買って舞果に近づいた。こちらに気づいていないわけはないのだが、顔を上げず、じっと自分のつま先のあたりを見つめている。


「ほら」


 俺はスポーツドリンクを差しだす。舞果はやっと顔をあげた。


「いまはお茶って気分なんだけど」

「このシチュエーションで選り好みする?」


 しおらしくしているように見えても、舞果は舞果だった。


 隣の柵に腰を下ろし、スポーツドリンクで喉を潤す。舞果はお茶がいいと言ったくせに口をつけず、ペットボトルをせわしげにもてあそんでいるだけだった。


「あのさ」


 俺は口を開いた。


「俺、その……、なんかいろいろ言ったけど、それは三角で――」

「三角?」

「ええと、当たらずとも遠からずというか……。要するに言いたかったことは」


 俺はさっき舞果がしていたみたいに自分のつま先のあたりを見つめながら言った。


「舞果が心配だっただけなんだ」


 舞果の手が止まった。


「……うん」


 かすかに頷く。


 俺は急に恥ずかしくなってきて立ちあがった。


「さ、さあ、帰ろう!」

「待って。わたしも、ひとつ」


 舞果はフードをはずし、今度はちゃんと俺をまっすぐに見て言った。


「『余計なこと』って言ったのは、あんなことをして直司がますます孤立したら悪いなって思ったから。それだけ」

「……」

「な、なんか言ってよ。わたしが変なこと言ったみたいじゃん」


 と、口をとがらせ、恥ずかしそうにうつむく。


「いや、変って思ったわけじゃなくて……」


 つまり俺たちは、お互いに相手のことを心配していただけということ。


 それってなんか本当の恋人みたいで、嬉しすぎて言葉にならなかったのだ。


 俺は口元を手で覆った。


 ――やばい、なんか……めちゃくちゃ照れる……!


「はい、終わり! 帰ろう」


 舞果は太ももをぴしゃりと叩いて立ちあがり、すたすたと歩いていってしまう。俺は慌ててあとを追った。


「そうだ、もうひとつ言っておく」


 舞果は立ち止まって振りかえる。


「わたし、直司を信じることにしたから」

「え?」


 とうとつに宣言されて、俺はぽかんとしてしまった。


「直司がけっこういい奴だって」

「いまさら気づいたのかよ」


 俺はおちゃらけて返事をしたが、舞果はごく真面目な顔で言った。


「いまさら気づいたの。ごめんね」

「お、おお……」


 冗談で言っているわけではないらしい。


 なぜ急にとか疑問はあるが、ひとまず置いておこう。いまはこの浮かれた気分を素直に味わいたい。


 俺たちはいつものように、いや、前よりもずっと会話を弾ませながら、マンションへの道を並んで歩いた。





 翌日。


 教室へ向かう廊下の窓を雨粒が叩いている。


 ――今日も遅刻だな、これは。


 この風雨のなかを舞果が登校してくるとは思えない。


 教室に入り、教科書やノートを机に仕舞った。


 スマホの小説アプリを立ちあげる。あの小説の更新は今日も来ていない。しかたなく予習でもしようと教科書を出した。


 そのとき、教室のドアががらりと開いて、舞果が入ってきた。


 ぽかんとする俺をちらりと見て、窓際の席まで歩いていく。俺は彼女の姿を馬鹿みたいに目で追ってしまった。


 席につき、スマホになにか入力する。ほどなくして俺のスマホの画面が点灯した。


『こっち見んな』


 そう書いてあったのに、俺は思わず舞果に目を向けてしまった。


 舞果が横目でにらんでくる。俺は目を伏せた。


 ――なんで……?


 小雨の日の登校だって億劫そうな舞果が、こんな日にきちんと登校してくるなんてどういう風の吹き回しだろう。これ以上、天候が荒れなければいいが。


 舞果の奇行の理由が気になり、午前の授業はまったく身が入らなかった。


 昼休み、人気ひとけのない特別教室棟の備品倉庫前に舞果を呼びだし、俺は疑問をぶつけた。


「どうした?」

「なにが?」

「なんで来た?」

「自分がここに呼んだんでしょ」

「そうじゃなくて、学校に」

「徒歩で」

「方法でもなく! なにゆえ登校したって聞いてる」

「来ちゃ駄目なの?」

「この天気じゃ遅刻するか休むって思ってたから」

「『学校なんて、ただの勉強に適した施設』」

「え?」

「前に言ったでしょ」


 舞果は俺から顔をそむけて胸の下で腕を組み、ちょっとふてくされたような口調で言う。


「そうじゃなくなったの」


 そして口をつぐんでしまった。


 ――そうじゃなくなった……?


 つまり勉強以外に学校へ来る、もしくは来たいと思わせるような理由ができた、ということだろうか。


「それって、もしかして……」

「い、いちいち言わなくていい」


 舞果の頬に赤みがさした。やはり俺の予想は当たっているようだ。


「友だちができたとか?」

「は?」


 舞果はまじまじと俺を見た。


「なんだ、教えてくれればよかったのに。それなら俺のことは気にしないで、そっちを優先していいから」

「……」


 ぽかんと口を開けたまま固まっている舞果。


「……どうした?」

「アホ」

「アホ!?」


 なぜ突然なじられた?


 舞果は呆れたようにため息をつき、ちょっと笑った。


「まあ、直司っぽいけど」

「アホだと俺っぽい……」


 ――え、俺、そんなふうに見られてたの……?


 そりゃ賢そうではないだろうが、かなりショックだ。


「けっこういい奴って話じゃなかったっけ……?」

「『けっこういい奴』と『アホ』は両立するでしょ」


 舞果はバッグを持ちあげて言った。


「で、今日はここで食べる?」

「友だちと食べないのか?」

「食べないよ」

「いいの?」

「いいに決まってるでしょ。わたしは君の彼女なんだから」


 と、微笑んだ。


 その笑顔を見たとき俺は気がついた。


『舞果が心配だっただけなんだ』


 あの答えでは、まだ丸はもらえないことに。


 心配だったではない。


『舞果と、もっと一緒にいたい』


 これが花丸の答え。


 でも照れくさくて伝えられないから、結局、三角のままだ。

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