第16話 果てがない
食器洗剤がそろそろ切れると思い出し、退勤後、先ほど陳列した新製品を一本持ってレジへ行く。
するとレジに入っていた先輩がちょっと興奮気味に言った。
「さっきさ、めちゃくちゃきれいな娘が来てさ」
――舞果のことかな。
「でさ、めちゃくちゃおっぱ――スタイルがよくて」
――舞果のことだな。
舞果がそういう目で見られることは分かっているが、実際に聞くとなんだか無性にむかむかとしてくる。
「仕事中じゃなかったら声かけてたんだけどな~。ってかその娘、売りきり品の花火を買ってったんだけどさ」
レジ前のワゴンに放りこんである売れ残りの花火のことだ。半額にしてあるのになかなか売れない。もう十月になろうかというこの時期に、花火をしようなんて酔狂な客は少ないということだろう。
「ということは多分、彼氏いるんだよな~……。そりゃいるよな~」
その彼氏というのは自分だ。まあふつうの彼氏ではないが。『上手にエリクサーを使えるタイプ』である先輩に初めて優越感を覚えた。思わずにやにやしそうになり、俺は表情筋を引きしめる。
「お先に失礼します」と先輩に声をかけて、俺は店の外に出る。舞果は出入り口横の壁にもたれ、パックの豆乳を飲んでいた。左手のレジ袋からは一番安い手持ち花火のセットが覗いている。
舞果は俺に気がつき、跳ねるように壁から背を離した。
「お疲れさま。じゃあ行こう」
「花火、俺のリュックに入れるか?」
「ううん、すぐ使うから」
「これから?」
「そ」
舞果は弾むような足どりで歩く。たどりついたのは近くの小さな公園だった。
鉄棒とブランコ、ジャングルジム、そして水飲み場だけ公園。木製の看板には『すずらん公園』と書いてあるが、土がむき出しの地面にはところどころに雑草が顔を出しているだけで、すずらんの要素は皆無だった。
舞果は豆乳パックの口を開き、水を汲んだ。
「終わったらここで消火してね」
「そのために飲んでたのか」
「うん。まあ、もともと豆乳はけっこう好きだけどね」
「だろうな」
「? なにが?」
「え? いや……」
豆乳を飲むとバストアップが見込めるという話を小耳にはさんだことがあったからなのだが、それをそのまま伝えるわけにもいかない。
「健康的だから」
「でしょ?」
得意そうに小鼻をふくらませた。
百円ライターで手持ち花火に点火する。名前は分からないが、ポッ○ーみたいに棒を火薬でコーティングしているやつだ。ぱちぱちと音を立てて四方八方に火花が飛び散る。
「見て見て。残像」
舞果はぶんぶんと腕を振り回す。
「やめろよ。それ飽きてきた終盤にやるやつだろ」
「本数が少ないから最初からクライマックスのつもりでいかないと」
「刹那的に生きてんな……」
「つぎは三本同時に点けちゃう!」
花火を指の股にはさんで、まるで熊手のようにして点火する。
「ほらこれかっこよくない? こういうの男の子好きでしょ? 真似していいよ」
「いや、そういうのは中学で卒業したから」
「照れるなよ。お前もベアクローにして戦おうぜ」
「腕白か」
「ふふっ」
俺は細い筒状の花火を袋からとりだした。
「ライター貸してくれるか?」
「火、分けてあげる」
舞果は火のついた手持ち花火を俺の花火にくっつけた。
「チュッ」
「へ、変な効果音つけるなよ」
「じゃあ、チュパッ」
「余計アウトだろ!」
「花火のせいかな、情熱的な気分になっちゃった」
なんて、半笑いで言っている。
そんな調子で、妙にテンションの高い舞果に振り回されながら、花火は徐々に減っていき、残りは線香花火のみとなった。
「やっぱりトリはこれになるな」
派手に火花を散らす花火よりも、線香花火のほうが好みだ。ちりちりと
「そうだね」
舞果はそう言って、線香花火を十本ほどつかみあげ、一気に点火しようとした。
「待て待て待て!」
舞果は怪訝な顔をした。
「なに?」
「儚さ!」
「は?」
「線香花火は儚さだろ!」
「おっきい火の玉にして遊んでこそでしょ」
「さっきから遊び方がワイルドすぎなんだよっ」
「じゃあ裸足になってさ、その上に持ってどっちが長く我慢できるか勝負する?」
「なにが楽しいんだよそれ」
「ちりちりが終わってからの緊張感がたまんないんだよ」
舞果はぶるっと身体を震わせる。
「花火は穏やかな気持ちで楽しみたいわ……」
「チキンだなあ。じゃあ、ふつうにやろっか」
と言いつつ、舞果は三本を束ねて点火した。呆れた俺はもうなにも言わず、一本に火をつける。
しゅうしゅうと火を吹きだし、つぎにぱちぱち、そしてちりちり。
ぼんやりとオレンジ色に染まる舞果の顔を俺は上目遣いで見た。玉を落とさないよう集中しているのか、目が真剣そのものだ。俺は吹きだしそうになるのを堪えた。
――花火、けっこう楽しいな。
そのとき、俺は気づいた。どうしてあのアンケートにうまく答えることができなかったのか。
――果てがないんだ。
舞果と過ごしていると俺の中の『楽しい』や『嬉しい』がどんどん更新されていく。塩のきいた鮭のおいしさに気がついたすぐあとに、鱈のフライのおいしさを知った。ひとつ屋根の下で生活することの楽しさ、一緒に下校する嬉しさ、人をダメにするソファの快適さなどなどがどんどん積み重なっていき、「つぎはもっと楽しいことが起こるんじゃないか」と果てがない。
だから過去の一瞬だけを切りとって、それを一番と格付けすることが不誠実な感じがしていたのだ。
でもいまこの瞬間なら答えられる。
「思いついた」
「なにが?」
「アンケートの答え。問三の『『彼女としたことで一番楽しかったのは?』」
「急だね。――なに?」
「時季はずれの花火」
舞果はぷっと吹きだした。
「なにそれ。いまじゃん」
「いまだよ」
果てがないから、いま伝えないと意味がないんだ。
線香花火の玉がぽとりと落ちた。小さな明かりすら消え、あたりはしんと静まりかえった。
しかし不思議と寂しさは感じなかった。またべつの楽しいことが始まる、そんな期待感が胸に残っているから。
「さ、帰ろっか」
舞果は消火した花火をレジ袋に入れて口をくくった。
「花火のゴミは持ち帰んないとね」
「意外としっかりしてるよな」
「意外とは余計」
舞果は俺をじとっとにらんだ。
――……あれ?
舞果はバッグの類を持っておらず、レジ袋には使用済みの花火が入っている。
――ほかの荷物は?
俺には頼みづらいものを買いにきたって言ってなかったっけ。忘れたのだろうか。
「舞果」
「なに?」
尋ねようとした瞬間、俺はある可能性に思い至った。
――もしかして、俺と花火をしたかった……?
もともとそのつもりだったのなら、ほかのものを買っていなくて当然だ。
心臓がどきんと跳ねた。
いや、待て待て。契約継続のためにアンケートをとるほどの舞果が、そんな遠回しなアプローチをするだろうか。
するわけがない。する理由がない。ただ単に花火でテンションが上がって忘れただけだろう。
「ええと、なんか忘れてるものはないか?」
「? ないけど」
「な、ならいい」
「変なの」
舞果は肩をすくめた。
夏がもどってきたみたいに身体が熱くなる。
たしかに俺は少し変かもしれない。
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