第22話 彩理の世界2
「お待たせ!」
駅南口のモニュメント前。所在なさげに棒立ちになっている有永くんの背中に声をかけた。振り向いた彼は、なんだかぽかんとした顔でわたしを見る。
「なんか変かな?」
と、腕を広げてみせた。有永くんは慌てて否定する。
「い、いや、私服、初めて見たから」
あまり気合いを入れたファッションだと有永くんが緊張すると思って、今日はキャミワンピとロングスリーブTシャツの、わりと落ち着いた感じのコーデにした。出かけるときお母さんに「なんかマタニティみたい」と言われたが、まさにそういう路線を狙った。
しかし有永くんの感想は予想と違った。
「なんか、やっぱりお洒落だな……」
と、感嘆したように言った。
こういうファッションがツボなのだろうか。それとも比べる誰かがいるのだろうか。たとえばパーカーばかり着ている女の子とか。多分、後者だろう。
「ありがとう。有永くんもカッコいいよ」
「え゛っ!? いや、そんなことは……」
恥ずかしそうにうつむき、もごもごとなにか言っている。
クリーム色のシャツに黒のスリムなデニム。リュックがちょっと野暮ったいけど、清潔感がある。恥ずかしそうにしているのは、たんに褒められ慣れていないのだろう。
――じゃあ今日はたくさん褒めてあげよう。
今日の目的は、有永くんと親睦を深めること、そして楽しい気持ちになってもらうこと。ふたりきりで出かけることにしたのも、大勢が苦手な彼に配慮したからだ。そして、打ち解けたらわたしたちのグループに改めて誘う。
つまり、説得をあきらめて接待に方針を切りかえたというわけだ。
「じゃあ、行こっか」
わたしは有永くんの手を握る。
「うおあっ!?」
彼は変な声をあげる。
「どうしたの?」
「あ、あの、手を握るのは、ちょっと……」
「あ、ごめんね」
わたしは手を離した。
「わたし、弟がいて、ふたりで出かけるときはいつも手をつないでたから、なんか癖で」
半分本当で、半分嘘。出かけるとき手をつないでいたのは事実だが、それは弟が小学校三年生くらいまで。彼はもう中学二年生だ。
スキンシップで心の距離を縮めようと考えたのだが、たしかにちょっと性急だったかもしれない。まだ時間はある。落ち着いていこう。
「改めて、行こっか」
「ええと、どこに?」
「服とか小物とか見たいけど、とくに決めないでぶらぶらしようよ」
「う、うん」
あくまでコミュニケーションをとるのが目的だから、下手に目的を設定しないほうがいいだろう。お店に入って、雑談をして、話題がなくなったらべつのお店に移って……、というふうにすれば無理なく長い時間を一緒に過ごすことができる。
それにはショッピングセンター『シエスタ』が打ってつけだ。一階から四階までが家電量販店店で、五階から八階はファッションや雑貨のフロア。その上はにアミューズメントパークや飲食のフロアもあるし、屋上は庭園&カフェになっているので、過ごそうと思えばここだけで一日過ごせる。
「こっち」
わたしたちは連絡通路を通り、シエスタへ向かった。
電気店のフロアに入るとスマホがずらりと並んでいた。
「わ、たくさんあるね」
有永くんはざっと見渡して言った。
「あ、春夏の機種だ。秋冬のはそろそろ発表されて、だいたい十月の下旬に発売される」
「へえ、詳しいね」
「あ、いや、前にちょっと……、調べたことがあったから。――八宮さんは、なに使ってるの? やっぱりiPh○ne?」
「うん、ひとつ前のやつだけどね」
「そっか。やっぱりiPh○neが無難だよな」
なんとも幸せそうな表情でふっと笑った。ここにはいない誰かを見ているような遠い目で。
――わたしが目の前にいるのに。
わたしはちょっとムカッとした。
そのあとも、有永くんはずっとそんな感じだった。
雑貨を見に行っても、わたしの話に上の空で、なにか探すみたいに棚を凝視していた。ユニ○ロに行っても、なぜかレディースの小物ばかり気にしている。家具のお店ではいわゆる『人をダメにするソファ』をぼうっと見つめたりして、またひとりで幸せそうな顔をしている。
暖簾に腕押しだ。ここはいったんリセットしようと、屋上のカフェに行く。食卓を囲んでの雑談は心理的な距離を縮める効果が高いと聞いたことがある。正面に座ると相手が身構えてしまうので斜め前の席がベストだ。
わたしが注文したのはカフェラテとキッシュ。有永くんはウーロン茶とフィッシュサンド。
「男の子だからがっつりお肉を食べるのかと思った」
「あ、いや、なんか最近、魚の舌になってるっていうか……」
と、また笑みをこぼす。
胸のもやもやが喉まで迫りあがってきそうで、カフェラテを流しこむ。
「あ、あのさ」
「ん? なになに?」
わたしは笑顔を形作った。
「ちょっと、聞きたいことが……」
有永くんは申し訳なさそうに言った。今日、彼から話を振られたのは初めてのことだった。ようやく心を開いてくれたのかもと思い、わたしは嬉しくなって身を乗りだすようにした。
「いいよ、なんでも聞いて」
「あ、うん。――プレゼント、なんだけど」
「プレゼント?」
「その……、女子って、どういうプレゼントが嬉しいのかな、と」
「……」
わたしはすぐに理解した。
ふたりを尾行したあの日、耳にした会話。小瀬水さんの誕生日のこと。
有永くんは小瀬水さんにプレゼントを贈ろうと考えた。しかしなにを贈ればいいか分からなかった。そこに、遊びに誘ってきたわたし。これ幸いと彼は誘いを受け、アドバイスを受けようと考えた。
そう、最初から彼の頭の中には小瀬水さんのことしかなかったのだ。
――なにそれ……。
どうして有永くんは世界とつながれるチャンスをみすみす捨てるのか。わたしが手を差しのべているのに、その手が目に入ってすらいない。
そんなの駄目だ。世界とつながらず、ふたりだけで幸せだなんて、それじゃあわたしが――。
それを手放してしまったわたしがまちがっているみたいじゃないか。
――まちがってるのはそっちなのに……! お金で、同級生を買うなんて……!
このもやもやは、もうカフェラテで抑えることは無理そうだった。
「小瀬水さんに?」
「え? いや、あの、ええと……。い、一般的に、どういうのがいいのかなって」
「ごまかさなくていいよ」
自分でもぞくっとするほど冷たい声が出た。有永くんは目を丸くして固まる。わたしは構わずつづけた。
「でも意外。プレゼントするんだ。そういう仲でも」
「そういう、って……?」
「だって――」
わたしは言わなくてもいいことを言おうとしている。でも、弱い私にはもう止められない。彼らがまちがっていなければ、わたしがまちがっていることになるから。
「買ったんでしょ? 小瀬水さんのこと」
言ってしまった。カップの取っ手をつかむ指に力が入り、白くなる。
ほんのり赤に色づいていた有永くんの顔がみるみるうちに青くなった。
「え、あ……、え? いや、あの……」
気の毒なくらいにうろたえている彼に、わたしは追い打ちをかける。
「聞いちゃったんだ。それに、見ちゃった」
「な、なにを……」
「ふたりが同じマンションに入っていくところ」
有永くんはもう言葉を発することもできなくなっていた。
「安心して。このことはわたししか知らないと思うから」
有永くんはフィッシュサンドに虚ろな視線を落としている。
彼をやり込めたことでわたしの中のもやもやが晴れた――なんてことはなかった。べつのもやもやが立ちこめてきて、でもどうすればいいか分からなくて、だから吐きだすことしかできない。
「どうしてそんなことになったの? 有永くんのほうから持ちかけた? それとも小瀬水さんのほうから?」
「……」
彼は顔を伏せたままなにも言わない。
「ねえ、思うんだけど、もっといろんなひとと関わってみたらどう? ひとりきりでいると考え方が先鋭化して、おかしな道に踏みこんでいても気がつかないってこともあるんじゃないかな」
有永くんはがくりと肩を落とし、わたしの話を黙って聞いている。糸の切れた人形みたいに生気がなかった。
「わたしは歓迎するよ。みんなもきっとそう。だから小瀬水さんも誘って、今度みんなで一緒に遊ぼうよ」
もう一押しで、きっと有永くんは首を縦に振る。そう感じる。
「やっぱり、そんな関係、まちがってるよ」
「それは違う」
彼は顔をあげ、落ち着いた声ではっきりと口にした。
思ってもみなかった反撃に、今度はわたしが黙る番だった。
「俺たちはそうするしかなかった。そうしなければ舞果は、きっと大変なことになっていた」
「……どういうこと?」
「詳しいことは言えない。でも、舞果は噂のような人間じゃない」
「そんなこと言っても、身体を買ったのは事実でしょ」
「身体を買ったわけじゃない。ある契約の対価として金を支払ってる」
「ある契約って」
「言うつもりはない」
「お金で小瀬水さんを束縛してるんでしょ? 同じことじゃない」
「そうかもしれない」
「なら――」
有永くんはわたしの言葉を遮るようにして言い放った。
「それが俺たちの関係だ。まちがっていると思いたければ思えばいい」
――ふつうにしゃべれるじゃん……。
わたしはなにも言えなくなった。でも不思議なことに、胸のもやもやが薄くなっている。
本当は気づいていたのかもしれない。わたしは有永くんや小瀬水さんに、小学生のころわたしをいじめていた子たちと同じことをしているのではないかと。
自分とは違う存在を不気味に思って攻撃すること。逆に、孤立した存在を無理に引き入れようとすること。どちらも、相手の世界を壊そうとする行為だ。
どことも噛みあっていない小さな歯車も、自力で必死に回っている。大きな歯車と噛みあうことが、必ずしも幸福とは限らない。
有永くんはまた青い顔になってうつむいている。さっきまではちょっとかっこよかったのに。多分、勢いとはいえ、秘密を暴露してしまったことを悔いているのだろう。
なら、わたしは言わなければならない。
「わたしね、昔、太ってたんだ」
有永くんは「え?」と顔を上げた。
「小学生のころの話。太ってて、根暗で、いじめられてた。で、ある女の子といつも……。――まあそれは関係ないけど。それが嫌で、ダイエットして、中学生のころから徐々に友だちが増えて、高校では、まあ知ってのとおり」
「その女の子とは……?」
「友だちが増えはじめたころから、なんとなく疎遠に」
有永くんは得心したように頷いた。
「でも、なんで急にそんな話を?」
「絶対に知られたくない秘密だから」
「あ……」
察してくれたらしい。秘密の共有。お互い誰にも話さない約束。太ってたことなんて有永くんと小瀬水さんの秘密に比べれば取るに足らないかもしれないが、わたしには重い重い秘密だ。
「で、でも、すごいな」
またいつものたどたどしいしゃべり方にもどった有永くんが感心したように言った。
「努力で自分を変えられるって。俺は無理」
今日はわたしが有永くんを褒めるはずだったのに、なぜわたしが彼に褒められているんだろう。
わたしは有永くんの顔をじっと見る。気弱で飾り気がなくて、でもまっすぐで。難物の小瀬水さんが心を開いたのもなんだか分かる気がする。
「有永くんにとって小瀬水さんってどんなひと?」
「え!?」
耳まで赤くする有永くん。
「ああ、もう言わなくてもいい。分かったから」
お金を介したおかしな関係。でもそこにある想いはどこまでもピュアだ。
わたしは冷めたキッシュを温いカフェラテで流しこみ、立ちあがった。
「ごめん、わたし用事ができたから」
「え? あ、うん。――あ、ちょっと待って。あの、プレゼントのアドバイスを……」
「あげたいものをあげればいい」
「いやそれじゃ全然……」
「プレゼントは、品物が半分、一生懸命考えて選んでくれたっていう気持ちがもう半分。誰かに教えてもらったものを買うなんてずるしちゃ駄目だよ」
「それが難しいんだよ……」
有永くんは顔をしかめた。
「じゃあ、たっぷり悩んでね」
わたしは手を振ってその場をあとにした。
◇
『サイちゃん!?』
こちらの名前を告げる前に、インターフォンから愛海の驚いた声が聞こえた。
『ちょ、ちょっと待ってて、すぐ行くから!』
一分とたたないうちに玄関のドアが開く。
息を切らしている愛海。その腕にはきれいな包装紙とリボンでくくられた三つの小箱。
その姿を見せられて、わたしはもう堪えることができなくなった。
熱いものがこみあげてきて、視界が歪む。
「あ゛い゛み゛~! ごめっ……、ごめんね~!」
「なんで泣くの。せっかくかわいくなったのに台なしだよ」
なんて言いながら、愛海も涙ぐんでいる。
「わだじ、わだじ、愛海のこと、むっ、無視して……!」
「違うよ。わたしがひがんじゃったんだよ。サイちゃんがどんどんきれいになっていったから」
「もう無視しないから……」
「わたしもひがまない。痩せてきれいになっても、泣き顔は昔のサイちゃんのままだもん」
「あ゛い゛み゛~……!」
「とりあえず上がってよ」
「おじゃばじばず……」
約三年ぶりの愛海の部屋。机もベッドもあのときと変わっていない。本棚が一台増えているのはさすがといったところだ。
「あ゛い゛み゛の部屋だ~……!」
「なんにでも泣くね」
「だってもう入れないかもって思ってたからぁ」
「ほら、落ち着いて。リンゴジュース、好きだったよね」
と、琥珀色の液体が入ったグラスを差しだす。わたしは一息で半分くらい飲んだ。
「いままでのリンゴジュースの中で一番おいしい……」
「バ○リースのひと、きっと喜ぶよ」
「わたしもプレゼント持ってきた」
紙袋を持ちあげて見せた。
「じゃあ、久しぶりにプレゼント交換しようか」
「これ、さっき買ってきたやつ」
紙袋から縦横四十センチくらいの箱を取りだして、愛海に渡す。
「けっこう大きいね。開けていい?」
「もちろん」
包装をといて、化粧箱を開く。中から出てきたのはわたしとおそろいの、中の歯車が見える壁掛け時計。
「これ、すごい……」
「センスいいでしょ?」
「さすがサイちゃん」
愛海は裏の蓋を開けて単三電池を挿入した。かすかな駆動音とともに秒針と歯車が動きだす。
わたしたちの時間が、再び動きだした。
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