アーダルベルト

 王国の祖、蒸気王が造り出した空を行く機械仕掛けの土塊。アンヌーンにて――。

 蒸気文明の代名詞。どこまで行っても変わり映えのしない灰色の空を見上げ、一本角の鬼種(おに)である元帝国空軍少将アーダルベルト・バルクホルンは煙草を吹かした。

 紙煙草である。戦争に行く前は葉巻を吸っていた彼だが、戦争から帰って来てからは紙煙草を愛用していた。

 三十年連れ添った妻は、煙草代が掛からなくなり喜んでいるが――くゆる紫煙の先を目を細めてみる彼に言わせればそこにはロマンが有った。壮大な物語だ。決してそんな妻の機嫌を良くする為の安っぽい理由では無い。男が煙草を換えるのにはそれなりの理由が必要なのだ。


「……」


 だが帝国の男として、妻の機嫌を良くする義務が有る事も確かだ。だから、もしかしたら、ひょっとしたら、無意識の内にそんな理由もあるかもしれない。

 そこら辺の気遣いが雑な鬼種と言う種でありながら、そこら辺の気遣いが出来たと言う事実こそがアーダルベルト・バルクホルンと言う男が帝国空軍少将と言う地位まで昇ることが出来た遠因なのだから。

 そもそもアーダルベルトは帝国の女の怖い所の一つに、家庭に入るまではあんなにも可憐なのに、家庭に入った瞬間にその名残が一切無くなる事だと考えている。考えているだけで口には出さない。かあちゃん怖い。

 一息。深く吸い込んで、肺を煙で満たす。

 それは逸れた思考を戻す為か、恐怖に震えた身体を誤魔化す為か――それはアーダルベルトにも分らない。分からないが、肺をたっぷりと煙で満たせば、思い出す事もある。

 それは薄暗い洞窟での想い出だ。

 それは硝煙の香る戦火の中の想い出だ。

 思い出した姿は、皇国人の少年だった。

 王国人と帝国人の区別もつかない上に、軍と言う階級社会を理解できないような雑で、若い皇国人の少年だった。

 彼と出会ったのは終戦間際。人同士の争いで有った三国戦争で弱った人を喰らおうと《竜》が介入してきて国の垣根が無くなった時期だ。

 空の最前線に彼とアデルは居た。

 彼は軍人としては下の下だが、実に竜騎兵好みの男だった。軋む機械の左腕携え、失ったばかりの左目から血を流し、それでも空で死ねると言うだけで笑って飛べる竜騎兵だった。

 猛禽の眼を持った彼の事を思い出したのは今、吸っている紙煙草の銘柄が当時、彼に貰ったモノと同じだからなのか、それとも灰色の空に翻る皇国空軍のフライト・ジャケットを目にしたせいか――


「ん?」


 おや? とアーダルベルトは眉を潜めた。空を行く竜騎兵の視力が遥か遠くの違和感を捉えたのだ。

 見れば、戦火の想い出を励起させる原因となった濃緑色の飛行服が徒歩でこちらに近付いて来ていた。

 軽く、首を傾げる。

 実の所、戦後と言う微妙な時期にも関わらず、あちこちで濃緑色の――皇国空軍の飛行服は見かけることが出来たので、それ自体は珍しいモノでは無かった。

 高高度での空気の冷たさに、風の荒さに耐えられるようにと、元より国を問わず飛行服は頑丈に造られるので、軍からの払下げ品として人気が高い。

 中でも皇国の飛行服は人気だ。

 あの国は戦いには強いが、政治に弱い。結果、意味の分からない所に金を注ぎ込み、肝心な所に金が流れていなかった。

 飛行服もその悪癖の一つだ。アーダルベルトに……いや、帝国と王国の空軍に言わせれば、アレはモノが良すぎる。

 そんな訳で、皇国の飛行服は外套としての人気が高いので、愛用者も多い。だから、それを着た人物を見かけるのは珍しくない。珍しいのは、その飛行服を纏った人物が、こちらに向かっていると言う事だった。

 アーダルベルト・バルクホルンは三国戦争の英雄だ。

 少なくとも、帝国の空軍の現場にはそう認識されており、王国、皇国でも彼の指揮する部隊と戦った者達はそこに異論を挟まない。

 だが、政治に負けた負け犬だ。

 色々な責任を取るのに調度良い場所に立ってしまった自分の立ち回りを嘆く気は毛頭無いが、経歴の帝国空軍少将の頭に『元』の文字が付き、妻の祖国であるアンヌーンに逃げ込んだ現状を鑑みれば、これもまた事実だった。

 だからあまりアーダルベルトの家を訪ねて来る者は居ない。軍人なら尚更だ。

 落ちぶれた少将の下に軍人が集まると言う『絵』はあまりよろしくないのだ。

 にも関わらず、飛行服の人物は片手に持った紙片に視線を落とし、道が間違っていない事を確かめる様にしながらこちらに近付いてきている。

 歩き方を見るに、軍人だ。払下げ品を外套代わりにした民間人とは思えない。

 煙草をもみ消す。ゆったりとしていられる時間はここまでの様だ。髭面の鬼種は難しそうな顔を造り、我が家を振り返る。

 帝国では有り触れた煉瓦造りの家だ。古臭さが無いのは、ここに越して来るに当たり、新しく建てて貰った為だ。煙突から昇る白い煙が灰色の空に溶けている。どうやら妻が進めている朝食の準備は順調のようだ。

 竜舎(りゅうしゃ)から騎竜であるグリフォンを駆り出すか、家の中から銃だけでも持ち出すべきか。アーダルベルトはそんな事を考えながら、ポケットから双眼鏡を取り出す。鳥を見たり、撃ったりするのに便利だからと言う理由で退役の際に持ち出した双眼鏡は、久方ぶりに本来の働きをし、過って嫌と言う程映した敵国の飛行服をまた映し出す。


「ほぅ?」


 髭面が歪んだ。笑いが零れた。

 これは、これは――面白いモノが見えた。

 嬉しそうに笑いながら、双眼鏡をズボンのポケットに押し込み――こんもりと触れあがったポケットを見て口を『へ』の字に曲げる。これでは格好がつかない。急いで家に駆けこみ、双眼鏡を棚の上に、そして鼻歌を歌いながら朝食を用意する妻に、もっと大量に作る様に頼み、鏡で髪を整える。

 そのまま、また外に出て煙草に火をつける。紙煙草では無い。葉巻だ。この方が――見栄えが良い。そしてやはり、味も良い。だが、今はゆっくり吸っている暇は無いある程度の長さまで吸っておかなければならない。

 煙草が長すぎると格好がつかないが、短いと貧乏くさい。

 再会には多少の演出が許されるべきだ。

 例えば、そう。『丁度煙草を吸いに出た所に、もう会えないと思っていた友人が訪ねて来る』の様な。

 だからアーダルベルトは煙草を吸う。

 先程双眼鏡で捉えた姿に胸をわくわくさせながら。彼がやって来るであろう坂を横目で眺めながら。『ウチの人は何をやっているのかしら?』と言う妻の視線を背中に受けながら。


「……ここは良い空だな」


 そうして五分も経たない内に、どこか硬さを含んだ少年の声が耳に届いた。


「そうでも無いさ。この時代、空はどこも変わらんよ」


 それに、『今気が付いた』と言わんばかりの動作で振り返るアーダルベルト。振り返った際、驚いた表情を造る事も忘れないし、背中の妻の生暖かい視線にも屈しない。

 だが、少し困った事がある。思ったよりも嬉しいのだ。彼との再会は。

 だから、表情が緩みそうになる。『大人の余裕の中に滲む再会の嬉しさ』が崩れそうになる。だから早めに言葉を投げようとする。帝国語が出て来そうになり、『そう言えば』と思い返し、飲み込む。目の前の隻眼隻腕の竜騎兵は皇国語しか分からないのだ。


「カゲロー……と言ったかな? 君の騎竜はどうした?」

「森で留守番だ。流石に……あー行き成り来ちまったわけだからよ……」

「ふむ? 何、君と私の仲だ。遠慮は要らんよ。後でウチの竜舎に移すと良い。ヴァイスも喜ぶだろう」


 苦笑い。申し訳なさそうな竜騎兵の様子に、戦場での獰猛さが重ならず、それでもそこに記憶の中の面影が見えて、思わずソレが零れる。

 そうだった。王国帝国を震え上がらせた皇国のエースは陸ではこんな風だった。年頃の少年だった。不器用で、不愛想で、それでも何処にでも居る様な少年だった。


「助かる。少将」


 空軍式の脇を締めた窮屈な敬礼を取る竜騎兵。その横に立ち、不思議そうにその行動を見た後に、見様見真似で、それでも脇が開いた陸軍式のモノに近い敬礼する小さな影。それにアーダルベルトの視線が向かった。

 竜騎兵が左目を機械に置き換えたのとは逆で、右目を眼帯で覆う小さな人間種の子供だ。暗褐色の髪と、暗褐色の瞳。見覚えのあるソレから判断するに、恐らくは、竜騎兵の弟か妹。兄に似ないで可愛い顔立ちをしたその子供の頭には、これまたどこか見覚えのある灰色の鱗の翼竜の幼体が居た。一人と一匹の胸に竜玉と呼ばれる竜騎兵の訓練用に使われる水晶球が吊るされていることから判断するに、この子達も騎兵であり、騎竜なのだろう。


「こさめです! おはようございます、しょうしょうさんっ!」


 アーダルベルトの視線に気が付いたのだろう。兄の凍り付いた様な硬質な声とは違う明るい声で自己紹介と挨拶をされる。


「あぁ、おはようコサメ。挨拶が出来て偉いな。――コサメは、君の?」


 そちらに挨拶を返しながら、兄の方に視線と問いを投げる。


「……弟だ」


 言って、その弟の眼帯で覆われた右目を隠す兄。それだけで、この蒸気時代に生きるアーダルベルトはこの兄弟の事情を薄々察した。

 だが、それを表に出さないのが大人の男と言う物だ。


「それで、どうした? あの日の煙草代でも取り立てに来たのか――レフティ?」


 ――それならば上がると良い


 葉巻を燻らせ、アーダルベルトは国と年代が違う友人を我が家に招き入れた。








あとがき

連載初日特典で二話更新。

――もってくれよ、俺のストックっ!!


あ、今更ながらタイトルは「きんがんどらぐなー」と読んでやってくださいませ。

別に目は悪くない。

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